馬目郁也の『家族』~兄・祖父と鍛えた幼少期、実家の父・母と姉

大阪桐蔭を沈めたヒーロー、仙台育英の馬目郁也(まのめ・ふみや)選手。

今回は、そんな馬目選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

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◆実家は福島・いわき

馬目郁也選手は、1999年6月16日生まれの福島県いわき市出身。

小学校3年生の時に「いわき平リトル」で野球を始め、投手と遊撃手を務めました。

いわき市立磐崎(いわさき)中学校時代は、「いわきシニア」でプレーし、中3の時に全日本選手権に出場しています。

仙台育英では1年春からいきなり背番号「14」でベンチ入りしたことで、

実力があると勘違いしてしまった

と振り返る馬目選手。

その後はベンチから遠ざかってしまいます。

これではだめだ…

馬目選手はバッティングに一層力を入れ、寮に帰ってからも500回の素振りを自らに課し、血まめができるまでバットを振りました。

そして2年秋には背番号「16」で、ベンチ入り復活。

3年夏、大阪桐蔭への逆転勝利を決めた殊勲打は、打つべくして打たれた一打だったのですね(^_-)

◆兄・祖父と鍛えた幼少期

馬目郁也選手は、

今の自分があるのは兄と祖父のおかげ

と話します。

祖父の新田貞雄さんは、今年(2017年)で75歳。

兄の馬目拓也さんは、20歳です。

幼稚園の頃から、一緒に暮らしていた祖父・貞雄さんは、兄・拓也さんに内野ノックをほどこし、郁也さんはそのお手伝いをしていました。

テレビで見るどんなプロ野球選手よりも、兄の姿はかっこよく、

早く自分もこんなプレーがしたい…

と憧れる郁也少年。

小学校時代は、学校から帰ると3人で公園や小学校の校庭へ行き、ティーバッティングや内野ノックに励みました。

馬目選手が中学校に進学し、兄は仙台育英で離れてしまってからも、貞雄さんと2人で練習を続けます。

ここで背番号を取って少しでも兄に近付きたい…

そう考えた馬目選手は、兄を追って仙台育英に進学。

兄・拓也さんは2年秋にはベンチに入れず、努力の末、3年春に背番号「4」をもらいましたが、チームは春夏とも甲子園に届きませんでした。

拓也さんは、

自分がすごく目指して出られなかった場所。2番手でもこれだけは頑張ったと言えるものを高校生活で残してほしい

と、弟にエールを送っています。

兄・拓也さんは現在、東北学院大の経済学部へ進学し、野球を続けています。

◆父・母と姉

馬目郁也選手のその他の家族には、両親とお姉さんがいます。

◆まとめ

これまで見てきたとおり、馬目郁也選手の野球人生の陰には、温かく支えてくれる『家族』の姿がありました。

これからも兄・拓也さんと一緒に、野球界を盛り上げてほしいと思います(^o^)丿

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