忌野清志郎の『家族』~最愛の母へ捧ぐ“デイドリームビリーバー”

RCサクセションなどのボーカルを務めた、伝説のロックミュージシャン・忌野清志郎(いまわのきよしろう)さん。

今回は、清志郎さんの『家族』を振り返り、その在りし日を偲びたいと思います。

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◆実家は東京

忌野清志郎さんは東京出身。

国分寺市立第三中学校時代に、同級生の林小和生さん、破廉ケンチさんと「The Clover」を結成し、音楽活動を始めました。

ちなみに「RCサクセション」の名前の由来は、「The Remainders of The Clover Succession」の頭文字をとったもの。

クローバーからの継続

というニュアンスですが、音楽を始めた中学時代の気持ちを大切にしていたのでしょう。

ちなみに、俳優の三浦友和さんも中学からの友人で、東京都立日野高等学校でも同級生でした。

三浦さんは、デビュー前のRCでパーカッションを担当したほか、発売禁止となったアルバム『COVERS』にも参加しています。

三浦さんが俳優として有名になってからは、

あいつ(三浦さん)にギターを教えたのは俺だ

と、清志郎さんは自慢していたのだそうです(*^_^*)

◆実父・新井弘さん

忌野清志郎さんには、2人の父親がいます。

実のお父さんと育てのお父さんです。

実父の名前は、新井弘さん。

清志郎さんは実母が早くに亡くなっていますが、それから父・弘さんとは離れて暮らしました。

弘さんは後に再婚しましたが、時々、清志郎さんの様子を見に来ていました。

時は流れ、ロック歌手として成功した清志郎さんは、実父への手紙を書きかけています。

新井弘様
ぼくは今、小説(?)を書いています。RCのツアーで忙しい毎日ですが、書かずにはいられないのです。歌ではとてもいい表せそうもないので、稚拙な文章なのですが、とにかく書き始めました。(中略)近いうちに会って下さい。いろいろな話をうかがいたいのです。人生は忙しくて、あまり時間がありませんが、時間を作ります。ぼくに会って下さい。
清志

この手紙の下書きは、清志郎さんの死後、遺品の中から見つかりました。

清志郎さんが、この手紙を実際に出したのかは分かりません。

清志郎さんは、2006年7月に喉頭がんの闘病生活に入ってから、実父と2人で温泉旅行などに出掛けています。

◆育ての父〈おやじ〉さん

忌野清志郎さんを育ててくれた〈おやじ〉さんは、伯父にあたる人物でした。

〈おやじ〉さんの名前は、栗原康平さん。

〈おやじ〉さんは東京ガスに勤め、清志郎さんから見ると「まじめな会社員」という印象。

しかし、意外にも清志郎さんのバンド仲間と話が合い、売れないバンドマンたちの面倒を見てくれています。

チェルノブイリ原子力発電所事故が発生した1986年4月26日は、〈おやじ〉さんの誕生日でもありました。

清志郎さんは、父の誕生日に起きた過ちに怒り、「サマータイムブルース」で反原発を訴えます。

1988年2月25日、同曲を含むアルバム「COVERS」の発売を待たずして、〈おやじ〉さんは急逝。

清志郎さんは、ラジオ出演中にそのことを知り、大きな衝撃を受けました。

「COVERS」は「サマータイムブルース」などの歌詞が問題となり、所属レコード会社「東芝EMI」から発売中止となります。

しかし、世論の後押しもあり、古巣「キティレコード」からの発売が決定。

この作品は、RCサクセションで唯一、オリコン1位を獲得しています。

◆実母に捧げる歌

忌野清志郎さんには、お母さんも2人います。

清志郎さんの実母の名前は、富貴子さん。

富貴子さんは、30歳を過ぎても、当時の人が着こなせないような、赤や緑の服を平気で着るような人でした。

いつもおもしろい事を言ってみんなを笑わせ、歌が好きでとても上手だったそうです。

清志郎さんは、お母さんの性格を受け継いだのですね (^_-)

しかし、母・富貴子さんは清志郎さんが3歳のとき、33歳の若さで他界。

富貴子さんの遺品の中には、短歌が入っていました。

帰らざる 人とは知れど わがこころ なほ待ちわびぬ 夢のまにまに

実は、富貴子さんは康平さんと結婚する以前に、レイテ島で戦死した夫がいたのです。

当時、最愛の夫を思い、その帰りを待ちわびながら、ついには薄っぺらい「戦死広報」でその死をしらされた富貴子さん。

実母に思いをはせた清志郎さんは強い衝撃を受け、これを機に反戦の歌詞を書くようになります。

「COVERS」の攻撃的な歌詞の理由も、ここにあるのでした。

また、富貴子さんは亡くなる直前、歌を何曲か録音して、レコード盤に残しています。

その中の1曲が「からすの赤ちゃん」。

1988年の末、RCサクセションはアルバム「コブラの悩み」を発表しますが、そこには清志郎さんが歌う「からすの赤ちゃん」が収録されています。

◆人生相談に投稿した育ての母

忌野清志郎さんは、実母の死後、そのお姉さん夫婦に養子として引き取られました。

育てのお母さんの名前は、久子さん。

久子さんは、高校生になった清志郎さんの将来を案じて、1969年11月4日の朝日新聞の人生相談に投稿しています。

18になる私の子供は小さい頃から寝起きのいい方ではありませんでしたが高三になってからは登校時間になっても起きず遅刻はしょっちゅう月に1回は休んでしまいます。
私どもも口がすっぱくなるほどいい、先生からも注意受けましたが一向に直そうとはしません。性格は内向的でハキハキとはしませんがお友達には好かれているようです。
高校卒業後は美術大学に入る予定でしたが最近では進学したくはないといいます。
友達3人とギターで吹き込んだのをレコードにしたりあちらのホールあちらの放送局とあちこちで出演し時々は受けているそうです。
学校を休んだ日は一日中寝ています。
どうしても大学に行かないなら高校を出てお勤めをして欲しいと申しますとお勤めはいやだ!ギターのプロのなると申します。
私どもには何が何だか分からなくなりました。
プロには簡単になれるものでしょうか?どうしたら学校に行かす事ができるんでしょうか?

これには、映画監督の羽仁進さんが、

私の友達で結局ギターをやっていたけど解散した。で、中学の先生になった人もいる。だから若いときの経験は生きていく…

と、ていねいに回答をされています。

このように、養子の清志郎さんに愛情を注いでくれた久子さんでしたが、病に倒れ6年間闘病した後、1986年に亡くなっています。

◆兄弟はいる?

忌野清志郎さんには、あまり知られていませんが、弟がいました。

弟さんの名前は毅(たけし)さんで、2歳年下でした。

しかし、実母の死後、弟は実父がひきとり育てたので、清志郎さんとは離れて暮らしています。

そして20歳の時、谷川岳で雪崩に遭って 亡くなっています。

最期まで、兄と弟という形で話すことはできないままでした。

◆妻・石井景子夫人

忌野清志郎さんの奥さんの名前は、栗原(旧姓・石井)景子さん。

ソロアルバム「Memphis」に収録されている「石井さん」ですね。

清志郎さんは〈石井さん〉に出会ってすぐに、

結婚してください

と言ったのだとか。

付き合ってくれ、付き合ってくれ

としつこく言っていたら、お父さんが怒鳴り込んで来て、

お前みたいなな、どこの馬の骨かもわからん奴に娘はやれん!

と、怒られてしまいました。

そこで清志郎さんは、

売れなきゃいけない!

と考え、わかりやすいロックとして世に送り出したのが、名曲「雨上がりの夜空に」を含むアルバム『ラプソディー』でした。

清志郎さんのねらい通り、「ラプソディー」はロングランヒットを記録します。

しかし、その後も清志郎さんはしばらく独身を続けました。

実は清志郎さんは高校3年生のとき、「僕の好きな先生」のモデルとなった教師から

自分が本当にやりたいことがあるなら、結婚はするな

と言われたことが、頭から離れなかったのです。

〈僕の好きな先生〉が初めてライブに来てくれたときにそのことを伝えると、

君はもういいんだよ

と言ってくれたため、〈石井さん〉と無事、結ばれています。

◆息子・竜平さん

忌野清志郎さんには息子さんがいて、名前は竜平(たっぺい)さん。

年齢は今年(2017年)で28歳くらいでしょうか。

竜平さんが生まれた当時、清志郎さんはよほど嬉しかったらしく、

♪oh- タツ、魔法のタツが生まれたぞ お父さん子だよ

とMC中に歌いだし、周りは何のことか分からず「シーン」となったこともありました。

1991年には、忌野清志郎&竜平名義で、『あこがれのソノ・シート』を発売。

「タッペイくん」「竜平くんとお父さん」「おやすみなさい」の3曲を収録し、良い意味で親バカ全開の作品となりました(*^_^*)

しかし、竜平さんが高校生になると、

親が忌野清志郎だってバレないようにしてる

家に友達を連れてきても、俺に会わせないようにササッと自分の部屋に行っちゃうんだ

と話しており、清志郎さんはちょっと寂しそうでした。

2010年に発売された遺作「Baby ♯1(ベイビー・ナンバーワン)」では、竜平さんがコーラスで参加しています。

竜平さんは小さいころから清志郎さんに連れられ、ステージに上がったり、「子どもの声」でレコーディングに参加したことはありました。

しかし、本格的な親子共演は、この時が最初で最後となっています。

◆娘・百世さん

忌野清志郎さんには娘さんもいて、名前は栗原百世(ももよ)さん。

ちなみに、百世さんも「プリプリ・ベイビー」でコーラス参加した経験があります。

百世さんは、2013年1月から消しゴムハンコなどの芸術活動を開始。

東京、京都などで展覧会を開催するほか、シンガー・ソングライター・岡村靖幸さんのライブグッズも手がけています。

2014年5月2日に発売された、清志郎さんの遺作(著書)『ネズミに捧ぐ詩』で装画を担当し、こちらも親子コラボを果たしたのでした。

◆まとめ

忌野清志郎さんの母の遺品の中には、初めて見る実母・富貴子さんの写真もありました。

清志郎さんのノートには、この時の抑えきれない喜びようが残されています。

わーい、ぼくのお母さんて こんなに可愛い顔してたんだぜ こんなに可愛い顔して 歩いたり、笑ったり、手紙を書いたり 歌ったり 泣いたりしてたんだね

そして、翌年発表した「デイ・ドリーム・ビリーバー」。

Ah今は 彼女 写真の中で やさしい目で 僕に微笑む ♪

歌の中で出てくる「彼女」とは、実母・富貴子さんのことなのでした。

今ではお母さんと天国で、再会を果たしていることでしょう。

今日は、清志郎さんの8回目の命日です .。.:*・゚゚・

《特選記事》

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コメント

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