高橋真梨子の『家族』~父親は病気で両足を…確執の母へ「ごめんね…」

「ごめんね…」「for you…」などのヒット曲で知られる、歌手の高橋真梨子(たかはしまりこ)さん。

今回は、そんな真梨子さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

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◆父親は病気で両足を切断…

高橋真梨子さんのお父さんの名前は、森岡月夫さん。

父・月夫さんは戦前、国鉄の広島鉄道局に勤めていましたが、広島工機部(現・広島車両所)での勤務中に原爆が投下されます。

幸い、直撃は免れたものの、直後に廿日市の実家に戻ろうと線路伝いに歩き、被爆。

この事が、後に月夫さんを苦しめることになりました。

戦後、月夫さんは、鉄道局のブラスバンドでサックス奏者として活躍します。

父・月夫さんはサックスだけでなくフルート、クラリネットもこなし、ピアノの調律まで手がける「耳」を持っていました。

やがて、ダンサーとして働いていた女性(真梨子さんの母)と結婚します。

真梨子さんが生まれて間もなく、プロのジャズクラリネット奏者を目指した月夫さんは、国鉄を辞め、家族を連れて博多へ移り住みます。

当時博多では、朝鮮戦争の影響でジャズが流行していたのです。

しかし、博多での活躍もつかの間、父・月夫さんに、被爆を原因とする病魔が忍び寄っていました。

足の親指の付け根から広がった傷はどんどん悪化し、脱疽(だっそ)だと診断されたのです。

両足の切断にまで追い込まれた脱疽の治療費で、家計は圧迫。

働くことのできない父に代わり、母親がキャバレーのホステスとして働きに出るようになりました。

間もなく父は実家に帰ってしまいましたが、少しでも経済的負担を減らそうとしたのでしょう。

やがて両親は離婚。

お父さんは長らく後遺症に苦しんだのち、37歳の若さで亡くなりました。

真梨子さんと一緒に過ごした時間はあまりありませんでしたが、お父さんが歌手・高橋真梨子に与えた影響は、計り知れないものがあります。

◆母親との確執

高橋真梨子さんのお母さんの名前は、高橋千鶴子さん。

母・千鶴子さんも、原爆投下時には広島市内の銀行に勤めていましたが、お母さんには原爆の被害は出ていません。

父・月夫さんと結婚し、博多に移住した千鶴子さんでしたが、前述のとおり真梨子さんが5歳の時、夫と別居状態となります。

母一人、子一人で、戦後の混乱を生き抜くのは、並大抵の苦労ではなかったでしょう。

生きるためには藁にもすがらなければならなかったお母さんは、やがて父以外の男性と付き合うようになりました。

しかし、幼い真梨子さんに大人の事情など分かるはずもなく、父以外の男と関係する母を、真梨子さんは憎むようになります。

中高生時代には、母が自分に触れることすら許さなかったそうです。

◆夫はヘンリー広瀬さん

1993年8月5日、高橋真梨子さんは、音楽プロデューサーのヘンリー広瀬さんと結婚しました。

広瀬さんは、真梨子さんが「ペドロ&カプリシャス」に所属していた時代のメンバーであり、ヒット曲「桃色吐息」「ごめんね…」も手掛けています。

73歳となった現在も現役で、2016年暮れの紅白歌合戦では、キーボード奏者として真梨子さんをサポートしました。

ちなみに「ヘンリー」という外国風の名前は(おそらく)芸名。

広瀬さんは神奈川県の出身で、お父上は相撲取り、お母さんは岐阜の料亭の娘という純和風なルーツとなっています。

◆子供はいる?

高橋真梨子さんは40歳を過ぎてから結婚しており、結婚直後から更年期障害に悩まされたそうです。

このため、子供さんはいませんが、体調不良に苦しむ真梨子さんを、夫の広瀬さんは温かく支えてくれました。

公私に渡り、広瀬さんはかけがえのないパートナーだったのです。

◆まとめ

高橋真梨子さんは、お母さんとの確執から、一時期は絶縁状態になっていました。

しかし、お母さんが

「がんで余命半年」

と知らせを受けてからは、亡くなるまで一緒に暮らしました。

お母さんをコンサートに招待すると、真梨子さんの歌の中で一番好きな“フレンズ”では、涙を流して聞いていたそうです。

もっと早く母に孝行して置けばよかった…

自身が詩を手掛け、真梨子さん最大のヒット曲となった「ごめんね…」は、実はお母さんに捧げられたタイトルなのかもしれません。

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