川崎宗則の『家族』~嫁の名前は原田麻衣?子供はイチロー?

メジャー4年目を終えたブルージェイズ・川崎宗則選手の去就に、注目が集まっています。

今回は、そんな川崎選手を支えてきた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

スポンサーリンク
レスポンシブNEO

◆嫁の名前は原田麻衣?

川崎宗則選手のお嫁さんは、原田麻衣さんだと言われています。

原田麻衣さんは、1983年1月14日生まれなので、現在32歳で、川崎選手より2歳年下。

埼玉県出身の兵庫県育ちのお嬢様で、特技はピアノとクラリネットだそうです。

大学で声楽を学んだ後、グラビアアイドルやタレントとして活躍し、「モバイトドットコム」のCMにも出演しました。

そして、2011年に川崎選手と結婚(?)

しかし、川崎選手からも原田さんからも、公式にそのことは語られていません。

むしろ、当時の週刊誌には「お相手は福岡市在住の一般女性」「職業はウェディングプランナー」とされています。

2014年のNHK番組「最強の補欠になる!」に、川崎選手のお嫁さんも横顔が映っています。

151029_川崎宗則の家族

うーん、原田麻衣さんに似ているような、似ていないような…?

◆子供の名前はイチロー?

川崎宗則選手には、男の子が一人います。

2013年8月に生まれていますから、現在2歳ですね。

息子さんの名前を検索すると、「子供 イチロー」との表示が…

川崎選手が、イチロー選手に心酔していることは有名ですが、まさか、子供の名前にまで引用?

と思ったら違いました。

8月16日に生まれたから、「16(イチロー)に生まれました!」と話したという事でした(*^_^*)

息子さんの名前は「逸将(いっしょう)」くんです。

◆父親の職業は?

川崎宗則さんのお父さんの名前は、川崎正継さん。

お父さんの職業は、地元鹿児島県で「川崎電気工事」という電気工事店を経営しています。

川崎選手は、高校2年生の時、お父さんに第2種電気工事士の国家試験を受けたいと申し出ました。

「厳しいぞ」と言う父親に、息子は「分かっている」と鋭い言葉を返します。

自宅で開かれたマンツーマンの講座に、川崎選手は必死で食らいついてきました。

そして、クラスの半分も合格できなかった難関を、川崎選手は見事1回でクリアするのです。

川崎選手が野球を始めたのも、野球好きのお父さんの影響。

3歳のころ、父・正継さんとキャッチボールをし、初めて捕れた嬉しさが忘れられず、ますます野球を知りたいと思うようになったのでした。

◆母親の優しさ

川崎宗則選手のお母さんの名前は、川崎絹代さん。

お母さんは、お父さんとともに電気工事の現場に出て、朝から晩まで仕事に追われて働きました。

しかし、小児ぜんそくで体が弱かった川崎選手を、月に2~3回は病院に連れて行ってくれたのもお母さんでした。

川崎選手は高校3年になり、両親に頼みます。

「ボクは将来プロになりたい。そのために大学に行かせてください。4年間で体をつくって、プロテストを受ける。それでダメならあきらめもつくし、その時は家を継ぐつもりです」

しかし、当時は全国的な建築不況がニュースになった時期であり、実家の電気工事店にもその余波が直撃します。

お母さんは、学費をねん出するために必至の行動に出ます。

電気工事店の仕事をする傍ら、午前中に5時間、近所の精肉店にパートとして通い始めるのです。

息子が自ら選んだ本気の目標だから、本気で受け止める必要がありました。

幸いにして、川崎選手は高校時点でドラフト指名されたため、大学には進学していません。

◆姉

川崎宗則選手にはお姉さんがいて、名前は紀代美さん。

川崎選手は子供のころ、実家の前で、いわゆる「壁当て」を毎日のようにやっていました。

その様子をいつも見ていたお姉さんは、次のように語っています。

本当に飽きもしないでずっと投げつづけるんですから。

暗くなるまで・・・

いや、暗くなってからも投げてました。

そうやって壁に刻まれた白いボール跡は、今も消えることなく残っているそうです。

◆兄

川崎宗則選手のお兄さんの名前は、川崎直文さん。

川崎選手は小3の時、お兄さんの影響で野球部に入っています。

小さい頃は、野球を教えてくれていたのでしょうね。 

◆祖父

川崎選手のお祖父さんは、川崎正則さん。

川崎選手の「宗則」という名前は、お祖父さんから「則」という字をもらっています。

「宗」には「天下を取る」との意味が込められているということです。

◆まとめ

高校3年の1月、川崎選手は、ソフトバンクホークスの合同自主トレに参加しました。

ただ一人の高卒という孤独の中、プロの投げるボールの速さ、バットが風を切る音に圧倒され、絶望のふちに追い込まれていきます。

卒業試験で一時帰郷したとき、両親の前で驚きの言葉を口にしました。

ボールが前に飛ばない。自信が持てない。光が見えない。死にたい。

母・絹代さんは、キャンプ地の高知に飛び、息子の頬を3回、力一杯ひっぱたきます。

翌日、吹っ切れたような顔でグラウンドに姿を見せた川崎選手は、古賀監督に自ら歩みより、「バッティングを教えてください」と指導を乞いました。

スタンドで見守った母・絹代は「もう大丈夫」と確信。

ほおを伝う涙をぬぐうと、そっと球場を後にしたのでした…

《海を渡ったサムライたち》

スポンサーリンク
レスポンシブNEO
レスポンシブNEO
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です