さとう・こういち【佐藤浩市】
1960年〈昭和35年〉12月10日生まれ。
東京都新宿区出身の俳優。本名同じ。[1]
❶父親
三國連太郎(みくに・れんたろう)。
1923年〈大正12年〉1月20日生まれ、2013年〈平成25年〉4月14日没。
静岡県出身の俳優、映画監督。本名は佐藤政雄(さとう・まさお)。
生涯4度結婚しており、3人目の妻との間に生まれたのが佐藤浩市。[2]
❷母親
石原とし子。[3](敏子)[4]
神楽坂の置屋の娘で芸姑。
三國連太郎が「戦国無頼」の撮影をしている合間に知り合い、1957年結婚。[3]
1972年10月に離婚した後は、浩市氏を引き取り母子2人で暮らした。
とし子はスナック経営を始めたが、その母を手伝う“よっちゃん”と呼ばれる男性が現れ、いつしか“内縁の夫”として一緒に自宅で暮らすようになった。
突然自宅に転がり込んできた見知らぬ男に、思春期だった浩市氏は耐えられず、高校2年のときに家を飛び出し、以後30年にわたって母子関係は断絶状態となった。
とし子は2008年7月に脳梗塞で倒れ、都内の病院に入院し、同年12月には、内縁の夫“よっちゃん”も他界する。
内縁の夫を失い、脳梗塞の後遺症から認知症を患い、その症状は急速に進んでいった。
変わりゆく母の姿を目の当たりにした浩市氏は、母の面倒を見ることを決意。
2008年の年末、浩市氏は母を退院させ自宅に引き取り、食事、入浴から排泄まで全部、家族で介護している。[5]
❸姉
伊都子。[6]
三國連太郎が最初の妻との間に設けた娘。
数え年2歳で亡くなっている。
❹前妻
1986年にモデルの女性と結婚したが、手塚理美(てづか・さとみ)との不倫騒動もあり3年後に離婚した。[1]
❺現妻
広田亜矢子(ひろた・あやこ)。
舞台女優。映画監督である広田レオナの従妹。
チャリティ活動やボランティアに取り組んでおり、2018年頃から里親制度(フレンドホーム)を活用して、児童を一時的に預かる活動をしている。[1]
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❻子供(第1子)
前妻との間に子供が一人いる。[1]
❼子供(第2子)
寛一郎(かんいちろう)。
1996年〈平成8年〉8月16日生まれ。
18歳で俳優になることを決意し、2017年に映画『心が叫びたがってるんだ』でデビュー。[7]
寛一郎さんインタビュー「根拠のない自信はありませんが、根拠づけられるよう、自信を蓄えているところかなと」|映画『シサム』 | 田舎暮らしの本 Web – https://t.co/A1cGZjGOPM pic.twitter.com/ajDv6mWXQG
— 田舎暮らしの本 (@inakagurashiweb) September 11, 2024
脚注
- Wikipedia 2025年5月17日確認 佐藤浩市
- Wikipedia 2025年5月17日確認 三國連太郎
- キネマ旬報 2025年5月17日確認 三國連太郎 略歴
- NHK総合 2025年4月30日 ファミリーヒストリー 佐藤浩市
- 女性セブン 2012年9月13日 佐藤浩市 30年関係断絶していた認知症の母を自宅で介護中
- 日刊スポーツ 2025年5月4日 佐藤浩市が死別した腹違いの姉の存在を知る、父三國連太郎さんからは「聞いてなかった」
- Wikipedia 2025年5月17日確認 寛一郎
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