プロ野球・オリックスの捕手として将来を期待されていた、野上士耀さん。
2025年〈令和7年〉のドラフト会議でオリックスから7位指名を受け、18歳でプロの世界へ飛び込みました。
身長170cmと大柄ではありませんが、強肩と力強い打撃を武器に、明秀学園日立高校では4番・捕手としてチームをけん引。
2025年夏には、初めて甲子園の舞台にも立ちました。
しかし2026年〈令和8年〉9月30日、19歳という若さで急逝したことが発表されました。
今回は、野上士耀さんの家族と生い立ち、そして短くも輝いた野球人生をたどります。

◆愛知県春日井市で野球を始める
野上士耀さんは、2007年〈平成19年〉5月23日、愛知県春日井市で生まれました。
幼少期から野球を始め、春日井オルティーズでプレー。
小学6年生の時には、中日ドラゴンズジュニアのメンバーに選ばれています。
中学校は硬式野球の愛知名港ボーイズへ進み、捕手としてプレーしました。
ここで磨かれたのが、野上さんの大きな武器となる強肩です。
その後、茨城県の明秀学園日立高校へ進学します。
◆4番・捕手として甲子園へ
明秀学園日立高校では、2年夏から公式戦に出場。
3年夏には正捕手と4番打者を務めました。
2025年夏の茨城大会では打率4割を超える活躍を見せ、決勝では延長10回に勝ち越し打を放ちます。
チームはこの一打で勝利し、3年ぶりの夏の甲子園出場を決めました。
野上さん自身も、初めて甲子園の土を踏みます。
甲子園では初戦敗退となりましたが、強肩捕手として存在感を示しました。
二塁送球では1秒8台を記録するなど、プロのスカウトからも高い評価を受けています。
◆ドラフト7位でオリックスへ
2025年10月23日、プロ野球ドラフト会議で、野上さんはオリックス・バファローズから7位指名を受けました。
入団時には、目標とする選手として森友哉選手を挙げ、

右の森友哉選手になれるように頑張ります
と意気込みを語っています。
2026年からは背番号「60」を背負い、プロ野球選手としての第一歩を踏み出しました。
◆プロ1年目
プロ1年目の2026年、野上さんは主にファームで経験を積みました。
ファームでは32試合に出場し、75打数14安打、打率.187、4打点。
まだ19歳。
これからプロの投手に慣れ、捕手として経験を積み、一軍を目指していく時期でした。
野上さん自身も、

1軍で早く試合に出られるように
と目標を語っていました。
◆野上士耀さんの家族
野上士耀さんについては、父親や母親の名前、職業、兄弟姉妹など、家族の詳しい情報は公表されていません。
春日井で野球を始め、ドラゴンズジュニア、愛知名港ボーイズ、明秀学園日立を経てプロ野球へ進んだ歩みの陰には、家族の支えもあったことでしょう。
また野上さんは、明秀学園の金沢成奉(かなざわ・せいほう)監督のことを

自分にとって父みたいな存在です
と話しています。
当の金沢監督は
彼の家庭環境もそうですが、野上本人がどうしても野球を職業にしたいという意志が強かったので、プロ野球選手ということであれば、独立リーグも探しました
と話しています。
大学に進学せず、プロへの道を模索したのは、家庭環境が影響しているようですね。
◆エピローグ
2026年〈令和8年〉9月30日——。
オリックス・バファローズは、野上士耀さんが急逝したことを発表しました。
19歳でした。
球団によると、野上さんは前日まで練習していたとされています。
9月26日のファーム戦では安打を放ち、27日のファーム最終戦にも出場。
一軍を目指していた矢先の突然の出来事でした。
プロ初安打も、初めてのお立ち台も、正捕手としてチームを支える日も、すべて「これから」の物語。
その未来が、19歳で突然閉ざされました。
それでも、野上さんが歩んだ道は消えません。
春日井の少年野球から始まった一歩は、甲子園へ届き、そしてプロ野球の世界へ届きました。
19歳の捕手が追いかけた夢。
その続きを見ることはできなくなりましたが、野上さんが残した足跡は、これからも野球ファンの心に残り続けることでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
◇出典
- 日本野球機構(NPB)「野上 士耀」選手名鑑・個人年度別成績
- オリックス・バファローズ公式サイト「野上 士耀 選手名鑑2026」
- 中日ドラゴンズ公式サイト「NPB12球団ジュニアトーナメント2019 ドラゴンズジュニア選手プロフィール」
- 愛知名港ボーイズ公式サイト「選手紹介」
- スポーツ報知 2026年9月30日「オリックス・野上士耀さんが死去」
- スポーツナビ「オリックス・野上士耀」



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