2021年5月30日、作曲家の小林亜星さんが、心不全のため亡くなりました。
今回は、生前の亜星さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆生い立ち
小林亜星さんは、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)出身。
旧制慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校に進学します。[1]
高校の同じクラスには、作曲家の冨田勲(とみた・いさお)さんと同じく作曲家の林光(はやし・ひかる)さんがいました。
同じクラスから作曲家が3人出たんですね!
大学は猛勉強して、なんと慶應義塾大学の医学部へ入学。
しかし、医学部へ入った後は、
もう俺はやることはやった
という気分になり、ジャズバンドに熱中したこともあって、経済学部に転部。
卒業後は大手製紙会社に入社しましたが、数ヶ月で退社し、作曲家への道を歩き始めました。
◆父親は逓信省の役人
小林亜星さんの父親は、劇作家志望の逓信省(ていしんしょう)の役人だったそうです。[2]
亜星さんが慶應の医学部に進んだのは、父親に勧められたからでした。
祖父は医師だったので、その影響があったのでしょう
それなのに、勝手に経済学部に転部し、卒業するまで黙っていたため、亜星さんは父親から勘当されています。
◆母親は劇団員
小林亜星さんの母親の名前は、塩子さん。[2]
母親は長野の出身で、実践女学校の専門学部を卒業。
新築地小劇場の劇団員として活動していました。
亜星さんの名前は、母親が尊敬する演出家の息子の名前をとって「亜星」と付けられています。
「亜星」さんは本名なんですね!
亜星さんが幼いころの話。
『不思議の国のアリス』を読んで感動した亜星さんは、
お母さん、面白いから読んでみて
と母親に話します。
するとお母さんは、
お前はこんな本を読んでるからバカなんだよ。世の中に不思議なんてことはないんだよ。よく考えなさい
と怒って、本で頭をたたかれてしまいました。
このようにクールで理論的な塩子さんは、92歳まで何でも自分でこなし、102歳で亡くなっています。
ちなみに母親の兄の孫は、経済学者の有賀敏之(あるが・としゆき)さんです。
◆妹はイラストレーター
小林亜星さんには妹がいて、名前は川村みづえさん。[1]
妹さんは美大を出て、イラストレーターとしてレナウンの宣伝部に勤めていました。
新しいコマーシャルを作るスタッフになったとき、
兄貴が作曲できるらしいです
と言ってくれたおかげで世に出たのが、レナウンのコマーシャルソング『ワンサカ娘』でした。
◆妻も作曲家
小林亜星さんの奥様の名前は、小林早苗さん。[3]
1938年〈昭和13年〉生まれなので、亜星さんより6歳年下になります。
妻・早苗さんは、渋谷区代々木の生まれ。
山脇学園女子短大・家政科を卒業後、ヘラルド映画、電通、TBSなどを経て、亜星さんと結婚しました。
作曲家という肩書も持っています。
◆2人の息子
小林亜星さんには、2人の息子さんがいます。
長男は一般人のようですが、次男は『太陽戦隊サンバルカン』への出演で知られる元俳優の小林朝夫(こばやし・あさお)さんです。
朝夫さんは俳優以外にも、東京エコール進学教室、大原予備校や市進学院などの講師を歴任。
朝日新聞の記事にて、
塾の世界で、小林先生を知らない人はいません 「国語の神様」です
と紹介されています。
2013年6月、女子高校生にみだらな行為をしたとして、 逮捕されてしまいました…
◆まとめ
これまで見てきた通り、小林亜星さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからは空の上から、残された家族を見守ってくれる事でしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇脚注
- AERAdot. 2021年6月14日 小林亜星さん死去「医学部からバンドマン、『北の宿から』、『寺内貫太郎一家』…」本人が語ったマルチ人生
- SmartFLASH 2017年12月10日 小林亜星『不思議の国のアリス』を読んで母に殴られる
- 畑田国男のケーキDEデート 1986年9月30日 小林早苗さん 代官山・八幡通り「シェ・リュイ」
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