嗣妃(こうし)となられた秋篠宮文仁親王を陰で支える、紀子さま。
今回は、そんな紀子さまを育んだ実家の父親、母親、弟を中心に、家族の軌跡をご紹介します。
◆実家・川嶋家
①実家・川嶋家の出自
紀子さまの実家である川嶋家は、和歌山県で代々庄屋をつとめる大地主でした。
「紀子」という名前は、和歌山県の旧国名紀伊国に由来していると言われています。
一方で、父方の祖母が紀子(いとこ)さんというお名前なので、祖母の名前をいただいている面もあるのでしょう。
②実家の家族構成
紀子さまの実家の家族構成は、父親、母親、紀子さま、弟の4人家族です。
それでは、お父様から見ていきましょう。
◆父親の職業は?
①父親の職業は?
紀子さまの父親の名前は、川嶋辰彦(かわしま・たつひこ)さん。
1940年4月20日生まれになります。
父・辰彦さんの職業は経済学者で、現在の肩書は学習院大学名誉教授となっています。
また、ご自身が立ち上げたNPO法人『草の根国際協力研修プログラム』の活動で、タイの山岳地帯を訪れるなどしています。
学習院時代は、馬術部の部長をつとめており、その縁で明仁親王一家(当時)とは面識がありました。
そう考えると、紀子さまと秋篠宮様の結婚は偶然ではなく、運命であり、必然であったのかもしれません。
②父親とパチンコ社長との交友
最近、父親の川嶋辰彦さんに黒い交友関係がささやかれています。
その人物とは、新潟県上越市で遊技業「三井企画」を営む、三井慶昭社長です。
三井社長は山梨県出身で日本大学を卒業。
家業のパチンコ店を継いだ後は、国内初のフランチャイズチェーン展開を行うなど事業を拡大しました。
また、上越市内の大型商業施設の建設を手掛けたこともあり、地元では名士として広く知られた存在です。

本も出されてますね
それだけなら良いのですが、2003年に自民党の坂井隆憲(さかい・たかのり)代議士の政治資金規正法違反が発覚した際、三井社長の名前も浮上。
1千万円の不明朗な支出があったとして、東京地検特捜部の家宅捜索と事情聴取を受けましたが、逮捕されるには至りませんでした。
さらには、三井社長が身を置く在日本大韓民国民団上越支部の総会の席上、三井さんはかねて対立していた他の役員と言い争いになります。
激高した三井社長が暴力をふるい、相手からは被害届を出されました。
この事件で、三井社長は新潟地検に書類送検され、不起訴処分となっています。
両方の事件とも、逮捕・起訴には至っていませんが、グレーな感じは否めません。
宮内庁は、川嶋辰彦さんと三井社長との交友に神経をとがらせています。
◆母親の実家について
紀子さまの母親の名前は、川嶋和代さん。
母・和代さんは、旧姓・杉本和代さんといって、静岡県の出身です。
実家の杉本家は、戦前、従業員20人ほどをかかえる鏡台製作所を経営していました。
和代さんの父親(紀子さまの祖父)である杉本嘉助さんは、当初木工職人になるつもりでしたが、勉強があまりによくできるので、先生のすすめで現在の静岡工業高等学校へ進学。
その後、横浜高専(現・横浜国立大学)を経て、満州鉄道に入社しています。

戦後は静岡に戻り、指圧師として生計を立てていたようですね
紀子さまは小学校1年生の6月~9月、弟の出産のため、母方の実家の杉本家に預けられたことがあります。
アメリカ育ちで、日本語がよく話せない紀子さまでしたが、自転車に乗ったり、プールで遊んだり、少し長めの楽しい夏休みだったそうです(^_-)
◆弟の学歴は?
①弟の学歴は?
紀子さまには弟がいて、名前は川嶋舟(かわしま・しゅう)さん。
年齢は、紀子さまより7歳年下になります。
弟・舟さんは、学習院高等科を卒業後は麻布大学、東京大学大学院で獣医学を専攻。
現在は、東京農業大学で農学部デザイン農学科准教授として教鞭を執っています。
2006年に結婚しており、奥さまの名前は麻紗美さん。
妻・麻紗美さんは、福島県にある相馬中村神社の娘で、自身も神職を務めていました。

しかし、噂によると離婚されたそうですね
離婚理由は、麻紗美さんの不倫によるものとする記事もありますが、詳細は不明です。
②弟の週刊誌報道
紀子さまの弟・舟さんですが、最近、週刊誌にとりあげられる報道がありました。
なんでも、特定の団体に“広告塔”のような役割を担わされているといった内容です。
その団体の関係者が
一口10万円で10口、つまり100万円を寄付してくれるなら、紀子さまの弟の川嶋先生との食事をセッティングする
という触れ込みで、お金集めをしていたのだとか。
結局、このことが原因で、舟さんはこの団体の役員を辞していますが、宮内庁は弟さんの動向にも注意しているようです。
◆秋篠宮さまと結婚
紀子さまは、1990年6月29日に、23歳で結婚しています。
夫は秋篠宮文仁(あきしののみや・ふみひと)親王。
1965年〈昭和40年〉11月30日生まれなので、紀子さまより1歳年上になります。

秋篠宮さまとの馴れ初めは、学習院大学の構内にある書店でのこと。
店主から、
こちら、川嶋教授のお嬢さまです
と、紹介されたのが、お2人の出会いでした。
お2人は秋篠宮さまが結成したサークル『自然文化研究会』での活動を通じて親密な仲となります。
そして、出会った翌年、常連だった目白のスナックの帰り道。
秋篠宮さまは駅近くの交差点で信号待ちをしていた時、

私と一緒になってくれませんか?
とプロポーズされました。
突然の求婚に驚いた紀子さまは、

よく考えさせていただけませんか
と返答しましたが、後に結婚を承諾。
1990年1月12日に納采の儀、6月29日に結婚の儀が執り行われました。
◆長女・眞子さま
紀子さまの長女のお名前は、眞子(まこ)さま。
1991年〈平成3年〉10月23日生まれになります。

眞子さまは学習院初等科を経て、学習院女子中・高等科を卒業。
大学は皇族として初めて、国際基督教大学へ進学しました。
大学に在学中、留学説明会で出会った小室圭(こむろ・けい)さんと交際に発展し、2017年9月3日に婚約が内定します。
その後、紆余曲折があったのですが、2021年内の結婚が報じられています。

◆次女・佳子さま
紀子さまの次女のお名前は、佳子(かこ)さま。
1994年〈平成6年〉12月29日生まれなので、眞子さまより3歳年下になります。

佳子さまも、学習院の初等科、中等科、高等科を卒業し、大学も学習院へ進学。
しかし2年次に中退して、眞子さまと同じ国際基督教大学へ再入学しました。
大学卒業後は、成年皇族として公務にまい進しています。
◆長男・悠仁さま
紀子さまの長男の名前は、悠仁(ひさひと)さま。
2006年〈平成18年〉9月6日生まれなので、眞子さまより15歳年下になります。

悠仁さまは、戦後皇族として初めて、学習院ではなくお茶の水女子大学附属小学校に入学。
中学校も、お茶の水附属に進学しています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、紀子さまの成長の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、紀子さまの歩みは続いていきます(^o^)丿
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