佐々木朗希の【家族】~父親を震災で失い、母と兄弟と歩む「白球の道」

千葉ロッテマリーンズで活躍する、佐々木朗希投手。

登場曲はあいみょんの「今夜このまま」です!

今回は、そんな朗希さんを取り巻く『家族』の物語です

名  前:佐々木朗希(ささき・ろうき)
生年月日:2001年〈平成13年〉11月3日
身長体重:190cm/86kg
血液型 :O型
家族構成:
【実家】父親、母親、兄、弟
【結婚】独身(未婚)
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◆実家・生い立ち

佐々木朗希さんは、岩手県陸前高田市高田町の出身。

幼少期はいたずら好きで、外をずっと駆け回る活発な少年だったそうです。

小学校は地元の、陸前高田市立高田小学校へ通いました。

小学校3年生の時、地元の高田野球スポーツ少年団で野球を始めています。

同じく小学校3年生の11月、千葉ロッテマリーンズが日本シリーズを制覇。

この時、朗希さんは家族と東京ディズニーランドへ遊びに行き、帰りに千葉マリンスタジアムを訪れました。

お目当ての優勝パレードは終わっていましたが、オフィシャルストアでグッズを購入したそうです。

そして同じく小学校3年生の3月11日に東日本大震災が発生。

津波で父と祖父母を亡くし、実家も流されたため、母の親戚がいる大船渡市へ転居しました。

大船渡市立猪川(いかわ)小学校に転校し、軟式少年野球団・猪川野球クラブに入部。

小学校6年生の時には、岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会「リアスリーグ」に出場します。

この大会は、ロッテがバックアップしており、マリーンズの本拠地・QVCマリンフィールドで開催されました。

朗希さんは、千葉の少年野球チームとの親善試合で、現ZOZOマリンスタジアムのマウンドに上がっています。

中学校は、大船渡市立第一中学校へ進学。

軟式野球部に入部すると、投打で実力を認められ、2年生秋の新人戦からエースナンバーを背負いました。

しかし、股関節系の怪我などで思うように投げられない時期が断続的に続き、3年生になる直前の2016年初春に腰の疲労骨折が判明。

3年生時の中総体出場は叶わず、チームは夏の大会地区予選で初戦敗退を喫しました。

しかし、故障から復活した3年秋に参加したオール気仙では、「第16回県中学生KWB野球選手権」で9年ぶりの優勝を達成。

東北大会でも準優勝し、県選抜にも選出され、「第11回U15全国KWB野球秋季大会」に出場しました。

大会では初戦敗退したものの、県KWB野球連盟と県中学生野球連盟の優秀選手賞を受賞。

また、大会中に当時の自己最速となる球速141 km/hを計測しました。

高校進学に当たっては県内外から声がかかりましたが、

地元で甲子園を目指したい

という思いから、岩手県立大船渡高等学校へ進学。

公式戦デビューは1年夏の県大会2回戦で、4対3(二死二・三塁)の場面で3番手投手として登板。

球速147 km/hを計測し、ピンチを断ち切りました。

この大会はこの1試合の登板のみで、チームは3回戦で敗退しています。

2年夏の県大会では、初戦に球速154 km/hを計測。

しかし、朗希さんが外野手として出場した3回戦で、チームは敗退しました。

2年秋の県大会では、エースナンバーを背負い、1回戦で高校2年生史上最速タイとなる球速157 km/hを計測。

また速球だけではなく、精度を上げた変化球でも打者を翻弄し、チームを16年ぶりのベスト4に導いています。

3年生になった2019年4月6日、高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、非公式ながらスピードガンで球速163 km/hを計測。

これは大谷翔平(おおたに・しょうへい)さんが持っていた、当時の高校生最速記録である160 km/hを上回るものでした。

ShowTime と呼ばれてます!
404 NOT FOUND | 蜉蝣のカゾク
父の大きさ、母の温かさ、兄のたくましさ、姉の優しさ…家族の数だけ存在する、家族のドラマをご紹介していきます。

このように、速球で大きな注目を集めた朗希さんは『令和の怪物』と称され、

  • 星陵の奥川恭伸(おくがわ・やすのぶ)さん…
  • 創志学園の西純矢(にし・じゅんや)さん…
  • 横浜の及川雅貴(およかわ・まさき)さん…

と共に『高校BIG4』と呼ばれました。

バレーボールが得意です!
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全国から大きな注目を受けて迎えた3年夏には、エース兼4番打者を務め、4回戦の盛岡四戦では公式戦での高校生投手史上最速タイとなる球速160 km/hを計測。

この試合では延長12回で194球を投げ、21奪三振・7被安打の好投でチームを勝利に導きました。

一関工業との準決勝でも、150 km/h台の速球を武器に15奪三振で完封勝利を収め、チームは決勝へ進出。

花巻東との決勝戦では、國保陽平(こくぼ・ようへい)監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも朗希さんを出場回避させ、チームも敗れました。

この件では、大船渡高校に苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論となり、メディアでも取り上げられるほど社会問題となっています。

3年生の10月にプロ志望届を提出し、朗希さんは記者会見で、

12球団どこでも頑張りたい

と、プロ志望を表明。

ドラフト会議では、

  • 北海道日本ハムファイターズ
  • 千葉ロッテマリーンズ
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 埼玉西武ライオンズ

の4球団が1位指名し、抽選でロッテが交渉権を獲得。

朗希さんは、小学校の時から縁のある千葉ロッテマリーンズにて、プロの道を歩き始めました。

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