プロレスラーや政治家として活躍した、アントニオ猪木さん。
今回は、そんな猪木さんを取り巻く『家族』の物語です。
本 名:猪木 寛至(いのき・かんじ)
生年月日:1943年〈昭和18年〉2月20日
没年月日:2022年〈令和4年〉10月1日
身 長:190 cm
◆実家・生い立ち
アントニオ猪木さんは、神奈川県横浜市鶴見区生麦町の出身。
実家は石炭問屋を営んでおり、日本鋼管の溶鉱炉に使用する石炭を独占していました。
しかし戦後、世界のエネルギー資源の中心が石炭から石油に変わったことから、倒産してしまいます。
12歳で横浜市立寺尾中学校に入学しましたが、生活は厳しいものがありました。
13歳の時、貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、一家はブラジルへ渡ります。
まだ少年の猪木さんでしたが、サンパウロ近郊の農場で、早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられました。
一方で、陸上競技の選手として現地の大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、その身体能力を発揮する。
そんな姿が、ブラジル遠征中の力道山の目に留まり、プロレスラーとしてスカウトされたのでした。
◆父親
アントニオ猪木さんの父親の名前は、猪木佐次郎(いのき・さじろう)さん。
父・佐次郎さんは、熊本一中を経て、関西大学を卒業しました。
警察官を志して内務省に入り、23歳で警部補になりましたが、退官。
横浜で祖父の事業であった石炭商を継承しました。
一方で、鳩山一郎氏、河野一郎氏、芦田均氏らが結成した日本自由党に入党。
横浜市会議員に立候補しましたが、昭和23年、猪木さんが5歳のとき、選挙中に急死しています。
葬儀には時の総理大臣だった吉田茂氏も焼香に訪れたといいます。
◆母親
アントニオ猪木さんの母親の名前は、旧姓・相良文子さん。
母・文子さんは、夫を支えながら、幼稚園を経営していました。
母親の従兄弟には、東京大学総長で国会議員にもなった、林健太郎氏がいます。
◆11人兄弟の第9子で六男
アントニオ猪木さんは、11人兄弟の第9子で六男です。
兄弟構成は、以下の通りです。
- 長男 健郎さん
- 次男 康郎さん
- 長女 千恵子さん
- 次女 久江さん
- 三男 寿一さん
- 三女 京さん
- 四男 快守さん
- 五男 宏育さん
- 六男 寛至さん(猪木さん)
- 四女 佳子さん
- 七男 啓介さん
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