俳優として映画やドラマで活躍し、ナレーターとしても独特の「優しい声」で親しまれた、森本レオさん。

将棋の腕は芸能界最強と言われてます!
今回は、そんな森本レオさんを取り巻く『家族』の物語です。
本 名:森本治行(もりもと・はるゆき)
生年月日:1943年〈昭和18年〉2月13日
没年月日:2026年〈令和8年〉9月4日
出 身:愛知県名古屋市
◆家系図・家族構成

森本レオさんは、愛知県名古屋市で生まれ育ちました。
実家は料亭を営んでおり、父親は板前、母親も店を切り盛りする働き者でした。
森本さんには兄弟姉妹はおらず、一人っ子でした。
自身は1971年に、元女優の森和代(もり・かずよ)さんと結婚。
長男の森本類(もりもと・るい)さん、長女の森本絵瑠(もりもと・える)さんが誕生し、4人家族となりました。
妻の和代さんは、結婚前にはモデルや女優として活動していた女性です。
森本さん夫妻は、その後、長い期間にわたって別々に暮らしていたことでも知られています。
それでも離婚することなく、家族としてのつながりを保ち続けました。
◆実家は名古屋の料亭
森本レオさんは、1943年〈昭和18年〉2月13日、名古屋市で生まれました。
戦時中の名古屋で、料亭を営む家庭に育ちます。
父親は大阪・河内の出身で、職人として板前をしていました。
一方、母親は四国・香川県の出身。
性格も言葉遣いも、両親は対照的だったといいます。
森本さんは後年、

父親は河内弁で言葉がきつかった
一方で、

母親は四国出身らしい柔らかな話し方だった
と振り返っています。
この「父と母の違い」が、後の森本さんの俳優人生に思わぬ形で生きることになります。
◆父親は厳しい板前
森本レオさんの父親は、板前として働いていました。
戦前には大きな料亭だった実家も、戦後、大きく環境が変わります。
森本さんは後年のインタビューで、進駐軍の影響などによって料亭が強制的に買い上げられ、家が没落していった経緯を語っています。
さらに、父親はその後、酒に溺れ、自宅に火をつけようとするなど、荒れた時期もあったそうです。
幼い森本さんにとって、父親は「怖い存在」でもありました。
しかし、長い年月が過ぎてみると、その父親から受け取ったものもありました。
父親は、戦前には栄華を極めた料亭が、戦争によって一変する姿を経験しています。
そして晩年には、
「一升ますは一升だよ」
という考え方にたどり着きました。
どれほど頑張っても、一升ますには一升しか入らない。
だから、背伸びをしてまで生きるのではなく、一升ます分で楽に暮らせばいい――。
森本さんは幼いころから、そんな父親の生き方を見ていました。
そして後年、

僕も、一升ますで生きよう
と思うようになったと語っています。
激しい時代を生きた父親の背中は、息子の人生観にも深く刻まれていたのでしょう。
◆「森本レオの声」を産んだ母の子守歌
森本レオさんには、もう一人、大きな影響を与えた家族がいました。
母親です。
母親の名前は公表されていませんが、香川県出身だったことが分かっています。
そして、この母親が歌ってくれた子守歌こそ、後の「森本レオの声」の原点でした。
森本さんは、母親が歌ってくれた子守歌について、

四国風のゆったりしたメロディーだった
と振り返っています。
節を長く伸ばし、ビブラートをかけるような歌い方。
それは、四国のお遍路さんの歌を思わせる響きだったそうです。
森本さんといえば、どこか遠くから聞こえてくるような、ゆっくりとした独特の語り口です。
本人は、自分の声を決して「いい声」だとは考えていませんでした。
しかし、あるときナレーションをしていて、

オフクロのメロディーだ
と気づいた瞬間があったといいます。
自分の声の中に、母親から受け継いだものを感じたのです。
俳優・ナレーターとして多くの人を包み込んだ、あの柔らかな声。
その原点には、幼い息子をあやした母親の子守歌がありました。
これは、森本レオさんの家族を語る上で、最も印象的なエピソードの一つではないでしょうか。
◆兄弟はおらず、一人っ子
森本レオさんには兄弟姉妹がいません。
母親は森本さんを出産するとき、生死の境をさまようほどだったため、2人目を考える余裕もなかったといいます。
戦時中という厳しい時代に、一人息子として生まれた森本さん。
父親と母親、そして自分。
その小さな家族の中で、戦争による社会の変化や、家庭の浮き沈みを幼いころから経験しました。
そうした環境が、後の俳優としての感受性につながったのかもしれません。
◆妻は元女優・森和代
森本レオさんは1971年5月10日、森和代(もり・かずよ)さんと結婚しました。
和代さんは1950年〈昭和25年〉9月8日生まれなので、レオさんより7歳年下になります。
和代さんは、結婚前にはモデル・女優として活動していた女性です。
結婚式は石川県金沢市の広坂カトリック教会で挙げましたが、この時すでに和代さんは妊娠6か月でした。
◆長男・森本類
森本レオさんの長男は、森本類(もりもと・るい)さんです。
1971年〈昭和46年〉10月20日生まれです。
芸能活動をしている人物ではないため、現在の生活について詳しい情報は公表されていません。
過去には類さんの自宅で火災が発生したことが報じられ、その際、マッサージ師をしていることが伝えられています。
◆長女・森本絵瑠
森本レオさんの長女は、森本絵瑠(もりもと・える)さんです。
生年については1973年とする資料と1974年とする資料があり、信頼できる資料間で一致していません。
絵瑠さんについて語られたのは、晩年の父親との関係です。
晩年、レオさんは名古屋で暮らす妻との連絡が少なくなった一方、娘が生活費などのやり取りを担っていたのだそうです。
◆別々に暮らした夫婦
森本レオさんの家族を語るうえで特徴的なのが、長期間にわたる夫婦別居生活です。
森本さんは東京、妻の和代さんは名古屋を生活の拠点とし、なんと50年にわたって別々に暮らしてきました。
しかし、離婚したわけではありません。
一般的には、
夫婦は一緒に暮らすもの
と考えがちです。
しかし、森本さんは家族について、少し違った捉え方をしていました。
レオさんはインタビューで、家族を「親しい隣人」のようなものと表現しています。
そして子供たちに対して、

おまえらはおまえらで自分の駅を育てろよ
という思いを持っていたと語っています。
子供は、親の人生をそのまま生きる存在ではない。
親から受け取ったものを、自分なりに磨き、自分の人生へ進んでいく存在。
森本さんにとって家族とは、そんな関係だったのかもしれません。
◆エピローグ
2026年〈令和8年〉9月4日——。
森本レオさんは、83年の人生を終えました。
所属事務所によると、原因は分からない突然死。
そして、
とても穏やかな顔で旅立ちました
と発表されています。
森本レオさんが残したものは、数え切れないほどの映画やドラマ、そしてナレーションです。
けれど、その「声」をたどっていくと、名古屋の家族に行き着きます。
厳しい父親。
四国の子守歌を歌ってくれた母親。
そして、長い人生の中で独自の距離感を築いた妻と、二人の子供たち。
本人が「いい声ではない」と語ったその声は、実は母親から受け取った大切な贈り物でした。
父親から受け取った人生観と、母親から受け取った声。
それを森本レオさんは、自分自身の人生という「物語」に変えて、私たちに届けてくれました。
そして今度は、その物語が、子供たちへ、さらにその先へと渡っていくのでしょう。
静かで、ゆっくりとしていて、どこか懐かしい。
森本レオさんの声は、そんな家族の記憶を乗せた「声」だったのかもしれません。
◇出典
- テレビ朝日ニュース 2026年9月11日「俳優でナレーターの森本レオさんが死去 83歳 所属事務所が発表」
- テレビ朝日ニュース 2026年9月12日「唯一無二の語り口で存在感 森本レオさん(83)死去」
- ライブドアニュース 2026年9月12日「森本レオさん『本当はあまりいい声じゃないんです』『本業フーテン』明かした本音/インタビュー」
- 二宮清純.com 「森本レオ(俳優)<前編>『危機感が感受性を磨く!』」
- チケットぴあ「森本レオ」プロフィール
- コトバンク「森本レオ」
- 森本レオ関連人物・プロフィール資料



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