プロ野球選手や監督として活躍する、松井秀喜(まつい・ひでき)さん。
今回は、そんな松井さんを取り巻く『家族』の物語です。

◆家族構成
松井秀喜さんは、父親、母親、兄、本人の4人家族で育ちました。
そして、8歳年下の一般女性と結婚。
2人の息子にも恵まれています。
現役時代には、読売ジャイアンツやニューヨーク・ヤンキースなどで活躍し、日米の野球ファンを魅了しました。
そんな秀喜さんの歩みをたどると、父から届いた手紙や、母が作るカレーなど、家族との心温まるエピソードが見えてきます。
◆実家は石川県根上町
松井秀喜さんは、1974年〈昭和49年〉6月12日、石川県根上町(ねあがりまち、現在の能美市)で生まれました。
子供のころから野球に親しみ、地元の少年野球チームで腕を磨きます。
進学した星稜高等学校では、甲子園での活躍によって全国に名を知られる存在となりました。
1992年〈平成4年〉夏の甲子園では、明徳義塾高校との試合で5打席連続敬遠を受けたことも、大きな話題となっています。
高校卒業後は、1992年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団。
プロ野球でも主軸打者として成長し、2003年にはニューヨーク・ヤンキースへ移籍しました。
その後、2009年にはワールドシリーズで日本人選手として初めてシリーズMVPに選ばれています。
華やかな野球人生の出発点となったのが、石川県の実家でした。
◆父親・松井昌雄
松井秀喜さんの父親の名前は、松井昌雄(まつい・まさお)さん。
父・昌雄さんは、宗教法人「瑠璃教会」の司教を務める人物です。
秀喜さんが幼いころ、野球との出会いを後押ししたのも父親でした。
能美市の紹介によると、秀喜さんは2歳の後半ごろ、兄が昌雄さんとキャッチボールを始めると、自分もやりたいとせがんだそうです。
まだ小さな秀喜さんのため、昌雄さんはビニール製のグローブを探し出しました。
こうして父と兄、秀喜さんの3人でキャッチボールをするようになります。
ところが、秀喜さんは兄と同じ速さのボールを投げてほしいと求めるほど、負けず嫌いな子供だったといいます。
昌雄さんが大切にしていたのは、子供を一人の独立した人格として尊重することでした。
幼い秀喜さんにも敬意をもって接し、本人の気持ちを受け止めていたのです。
また、秀喜さんが小学校2、3年生のころ、昌雄さんは
努力できることが才能である
という言葉を毛筆で書き、息子に渡しました。
秀喜さんは、その言葉が書かれた紙を自分の部屋に貼り、高校を卒業するまで大切にしていたと振り返っています。
父が伝えたかったのは、最初から何でもできることではなく、努力を続けられることの大切さだったのでしょう。
2018年、秀喜さんが野球殿堂入りを果たした際には、昌雄さんが式典に出席し、息子のメッセージを代読しました。
中学・高校時代の秀喜さんについて、
寝る前に素振りをせずに眠った日は一日もなかった
と、当時を懐かしんでいます。
そして2026年10月、秀喜さんの巨人監督就任が発表されると、昌雄さんは
たくさんの野球ファンの方々に希望が与えられるようなそんな野球をしてほしい
とエールを送りました。
幼いころのキャッチボールから、野球に向き合う姿勢を育んだ父親。
秀喜さんが選手として歩んだ道の先には、今度は監督として野球界に貢献していく新たな挑戦が待っています。
◆母親・松井さえ子
松井秀喜さんの母親の名前は、松井さえ子(まつい・さえこ)さん。
母・さえ子さんは、家庭の味で秀喜さんを支えてきました。
松井家の味として知られているのが、母親の手作りカレーです。
秀喜さんは子供のころから、さえ子さんが作るカレーを食べて育ちました。
プロ野球選手となってからも、実家に帰省すると必ず口にして英気を養ったといいます。
その家庭の味を再現したのが、レトルト食品の「松井家秘伝のカレー」です。
2013年〈平成25年〉8月1日に発売され、2025年には累計販売数が55万食を突破しました。
商品には、練習中向けのニンニクなしのタイプと、試合前向けのニンニク入りのタイプがあります。
秀喜さん自身も、商品について
このカレーの味は、僕が子供の頃から慣れ親しんだ母の味にそっくりです!
とコメントしています。
世界の舞台で活躍した選手が、帰省すると母親のカレーを食べる。
その素朴な習慣からは、どれほど大きな舞台に立っても、故郷の味が特別な存在であり続けたことが伝わってきます。
◆兄・松井利喜
松井秀喜さんには、松井利喜(まつい・としき)さんという兄がいます。
利喜さんは建築士として知られています。
兄弟の仲をうかがわせるエピソードが、秀喜さんの結婚発表の場面にありました。
結婚発表の際、秀喜さんは兄の利喜さんが描いた妻の肖像画を披露しました。
兄が描いた絵を、人生の大きな節目に紹介する。
そこには、家族ならではの親しさが感じられます。
野球選手としての秀喜さんとは違う一面を知ることができる、印象的なエピソードです。
◆妻は8歳年下の一般女性
秀喜さんが結婚を発表したのは、2008年〈平成20年〉3月27日です。
お相手は、8歳年下の一般女性。
名前や顔写真など、詳しい個人情報は公表されていません。
秀喜さんは結婚発表の際、妻について
一目ぼれだった
と明かしています。
2人は2006年ごろから互いを意識するようになり、2007年ごろに交際が本格化したと報じられました。
そして2008年3月26日、ニューヨークの教会で親族らに見守られながら挙式しています。
当時の報道によると、妻は明るく、気配りのできる女性。
秀喜さんは、妻の作るハンバーグも好物として挙げていました。
母親のカレーに、妻のハンバーグ。
家庭で食べる料理の話からは、野球場で見せる姿とは違う、暮らしの中の秀喜さんが垣間見えます。
◆2人の息子
秀喜さんと妻の間には、2人の息子がいます。
長男は2013年〈平成25年〉生まれ、次男は2017年〈平成29年〉生まれです。
子供たちの名前など、詳しい情報は公表されていません。
秀喜さんは、現役引退後も野球との関わりを続けながら、家庭で父親としての時間を大切にしてきました。
2017年には、親子でキャッチボールをすることについて、自身の原点を振り返りながら、親子で時間をつくることの大切さを語っています。
キャッチボールは、ただボールを投げ合うだけの遊びではありません。
向かい合い、相手の様子を見ながら、ボールを受け取り、また投げ返す。
その繰り返しの中で、言葉だけでは伝えきれない気持ちが通じることもあります。
少年時代、家族に支えられながら野球に打ち込んだ秀喜さん。
今度は、自分が父親として、子供たちと向き合う立場になりました。
◆エピローグ
父・松井昌雄さんが、息子の秀喜さんに送り続けた手紙——。
その数は、216通にのぼります。
2005年に刊行された『息子・松井秀喜への二一六通の手紙 秀さんへ。』には、父親が息子の成長を見守りながら綴った言葉が収められています。
手紙の呼びかけは、いつも「秀さんへ」。
父親が息子を「秀さん」と呼ぶところに、昌雄さんならではの親子の向き合い方が表れています。
息子だからといって一方的に教え諭すのではなく、一人の人間として尊重する。
そんな父の姿勢が、手紙の根底にありました。
かつて父から受け取った愛情を胸に、今度は自分が家族を支えながら、新しい道を歩み始める。
松井秀喜さんの物語は、まだまだ続いていきそうです。
◇脚注・出典
- 松井秀喜ベースボールミュージアム「松井秀喜情報」
- 日刊スポーツ 2008年3月28日「松井秀喜『一目ぼれだった』25歳美女と結婚」
- ニッポン放送 NEWS ONLINE 2025年9月10日「おかげさまでついに“55”万食突破!『松井家秘伝のカレー』好評発売中!」
- 文春文庫『息子・松井秀喜への二一六通の手紙 秀さんへ。』
- Full-Count 2017年6月26日 親子のキャッチボールに関する記事
- Full-Count 2026年10月23日「巨人・松井新監督の要請受諾は『悩みました』」
- FNNプライムオンライン 2026年10月23日「松井秀喜さんが巨人新監督就任 父昌雄さんがエール」




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