世界的なモデルとして活躍する、冨永愛さん。
趣味は写経です!
今回は、そんな愛さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1982年〈昭和57年〉8月1日
身 長:179cm
血液型 :B型
出身地 :神奈川県相模原市
◆実家・生い立ち
冨永愛さんは、神奈川県相模原市の出身。
幼少期は虫が好きで、昆虫図鑑を持って裏山で遊ぶような少女でした。
小学校時代は転校を繰り返しましたが、小学5年生から相模原市立橋本小学校へ通い、卒業しています。[1]
中学校は相模原市立旭中学校へ進学。[1]
中学2年で175cmを超えた身長は、当時はコンプレックスでしかありません。
身長がこれ以上伸びないように
と、14歳のからタバコを吸っていたそうです。
高校は、神奈川県立橋本高等学校へ進学。[1]
15歳からティーン誌の読者モデルになりましたが、身長が高すぎて既製服が合わず、やがて呼ばれなくなりました。
自分ができることはこれしかないと思ってモデルになっても、また『違う』と言われる。さらにコンプレックスを深めました
そんな時に目にしたのが、テレビ東京『ファッション通信』で紹介されたドルチェ&ガッバーナのショーでした。
ワイドフレアのパンツに、肌が透けて見えるほどのシースルーシャツ、そして重厚なロングコートをさっそうと着て歩いてくる…
咲き乱れる花の前でポージングをとると、カメラのフラッシュが絶え間なく光り、そして射るような視線を投げかけて歩き去っていく…
自分もここに立ちたい。絶対にこのショーに出る!
それは、初めて愛さんの心が動いた瞬間でした。
その後、愛さんは東京コレクションに進出し、本格的にモデル活動を始めました。
この頃、ヴォーグ誌に制服姿の写真が掲載され、ファッション業界に衝撃を与えましたが、
あれは”橋高(はしこう)”の制服なんですよ
と明かしています。
高校卒業を前に、ニューヨークコレクションでデビュー。
オリエンタルなルックスは、白人モデルが多い中で唯一無二の存在となり、次々とビッグブランドのショーに出演するようになったのでした。
◆家族構成
冨永愛さんの実家の家族構成は、父親、母親、姉、愛さん、妹です。
自身は2004年に結婚し、一男をもうけましたが、2009年に離婚しています。
◆離別した父親
冨永愛さんの父親は、身長が187cm~188cmと言われています。
愛さんの高身長は、父親からの遺伝が大きいのでしょう。
愛さんの両親は、愛さんが3歳のときに離婚しているので、父親との思い出はほとんどありません。
唯一の思い出は、ディズニーランドに行ったことだそうです。
そんな父との関係でしたが、父親が65歳の時に再会を果たしています。
◆母親との確執
シングルマザーとして子供3人を育てた母親でしたが、
母は、ほとんど家にいなかった。たまに帰ってくるときには、酔っぱらっていた
という風に、ネグレクト気味でした。[2]
小学校のとき「学校でいじめられる」と相談しても、関心を示そうとしません。
ここからいなくなれば、幸せな世界に行けるのかもしれない。いじめもなく、やさしいお母さんとお父さんのいる世界に
そう考えた愛さんは、中学生の時に自殺未遂を図ります。
しかし、死ぬことへの恐怖に自殺を思いとどまった愛さんは、
みんな、みんな、ぶっ殺してやる!
と、怒りのエネルギーを生きる方向へ変えました。
自分を見下した人間、母親への”復讐”と”怒り”、そして貧しさから逃れたいとの一念。
これらの気持ちが、トップモデルへと駆け上がる原動力となったのです。
しかし、モデルとして世界で活躍し、結婚して、息子を授かった愛さん。
自分自身をのろい、自己を否定し、自身を愛してこなかったこれまでの生き方。そして母への憎悪。それらすべてが浄化されていくのを感じた
今では、父親にも母親にも感謝をしているそうです。
◆三人姉妹
冨永愛さんは三姉妹の次女に当たります。
驚くことに、三姉妹の父親はそれぞれ違うのだそうです。[2]
①姉
お姉さんは5歳年上。
愛さんが読者モデルを始めたのは、お姉さんの勧めによるものでした。
また、愛さんが息子さんの反抗期に悩み、
いやもうほんとに無理。くじけそうっていうかくじけてる
と相談したことがあります。
この時、お姉さんは、
親は絶対にあきらめちゃいけないんだよ。何が何でも向き合うしかない。親があきらめたらもう終わりじゃん。絶対あきらめちゃダメだよ。自分が産んだんでしょ
と、諭してくれたそうです。
②妹
妹さんは結婚して、3人の子供に恵まれています。
インスタには、3人目の赤ちゃんを抱っこする伯母としての姿を公開していました。
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