原口文仁【阪神】結婚2年後に大腸がん…お嫁さんと子供に支えられて

阪神タイガースで捕手として活躍する、原口文仁 選手。

今回は、そんな原口選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

【本人プロフィール】
名前:原口文仁(はらぐち・ふみひと)
生年月日:1992年3月3日(26歳)※2019年1月現在
身長/体重:182cm/92kg

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◆2017年に結婚…花嫁は保育士

原口文仁選手は、2017年1月に結婚しています。

お嫁さんは1学年下で、埼玉県出身の保育士さん。

大きな瞳が特徴的な女性で、女優の安達祐実さんに似ているのだそうです。

2人の馴れ初めは、阪神入団直前の2009年11月。

当時、帝京高校3年生だった原口選手は、地元・埼玉県寄居町で行われたイベントでお嫁さんと出会い、勇気を振り絞って声をかけました。

原口選手の“一目ぼれ”ですが、後日、お嫁さんに聞いてみると、

“実は私も一目ぼれです。子供たちに野球を教えている笑顔にやられちゃいました!”

とのこと。

連絡先を交換し、ほどなく交際が始まったみたいですね(*^_^*)

◆阪神入団後の試練

原口文仁選手が阪神に入団すると、お嫁さんとは関東と関西の遠距離恋愛となりました。

2軍では関東遠征もほとんどありませんでしたが、原口選手は毎日電話をして、お嫁さんに近況を伝えました。

さらに選手としての原口選手には、幾つもの試練が待っていました。

2012年に腰痛で戦線を離脱すると、シーズン後に育成枠へ転落。

2013年にはシートバッティング中に、死球で左腕を骨折しました。

2014年には、捕手として生命線の右肩を痛めています。

3年連続で育成契約となっても、原口選手が諦めなかったのは、いつも微笑んでくれるお嫁さんがいたからでした。

◆プロポーズは「自宅」で

2016年シーズン、原口文仁選手は3年振りに支配下登録へ復帰すると、一軍公式戦107試合に出場。

関東で保育士として働いていたお嫁さんは、神宮球場で試合があるときには観戦に訪れ、スタンドで声援を送ってくれた。

その甲斐あって、このシーズンは打率.299、11本塁打、46打点を記録。

契約更改では480万円だった年俸が2,200万円まで増加し、球団史上最高の昇給率(358%)まで記録しています。

“1軍で活躍もせずに「結婚」の2文字を口に出すことなどできない”

と決めていた原口選手は、激動のシーズンを終えると、お嫁さんにプロポーズ。

つきあって7年目の12月3日、いつも通り飾らず、プロポーズの場所は「自宅」だったそうです。

◆子供と甲子園で…

原口文仁選手のお嫁さんは、

“笑顔の絶えない家庭を作りたい。いつか子供とユニホームを着て、甲子園で応援する!なんて妄想しています”

と話していました。

そして2018年3月31日、待望の子供が誕生。

2930グラムの健康な女の子でした。

数年後には可愛いユニフォーム姿が見れそうですね(*^_^*)

◆父と母と2人の姉

原口文仁選手の実家は、父と母、2人の姉の5人家族。

支配下登録された日には、原口選手から電話があり、父、母、姉2人、そして祖母全員と話しました。

父・秀一さんは、

“フミ(文仁)が打つと、89歳のおばあちゃん(よりさん)がどんどん元気になるんです”

と喜んでいます。

◆結婚2年後に大腸がんが発覚

神様は、原口文仁選手に、更なる試練を与えました。

ちょうど結婚2年となる2019年1月に、大腸がんが発覚したのです。

原口選手は自身のツイッターで、

“プロ10年目を迎えるにあたり、昨年末、人間ドックを受診したところガンと診断されました”

と告白。

ようやく掴んだ1軍の座と幸福な家族…その前に立ちはだかった壁は、想像を絶するものがあると思います。

それでも原口選手は、また前を向き始めました。

“野球選手という立場でこの病気になった事を自分の使命だと思えます”

原口選手は近日中に手術を受け、早期の実戦復帰を目指すこととなります。

◆まとめ

原口文仁選手は、がんを告白したツイッターを次の言葉で締めくくりました。

“僕には大切な家族や応援してくださるファンの方々、共に戦う仲間がいます。常に前だけを向いて進んでいきます”

お嫁さんと子供に支えられ、原口選手の挑戦はこれからも続いていきます。

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