今回は、そんな望月さんを取り巻く『家族』の物語です。

◆家族構成
望月衣塑子さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、本人、弟の5人家族です。
自身は結婚しており、夫との間に2人の子供がいます。
◆実家・生い立ち
望月衣塑子さんは、1975年〈昭和50年〉、東京都で生まれました。
幼い頃は、現在の活発な姿からは想像しにくいほど引っ込み思案だったそうです。
保育園時代から兄や弟の友達と遊ぶことが多く、サッカーや野球など、男の子の遊びに夢中でした。
近所の東京学芸大学附属大泉小学校に入学してからも、女の子の友達をなかなか作れず、授業や学校行事では手を挙げることもできませんでした。
そんな衣塑子さんを変えたのが、小学1、2年生の担任だった「カバ先生」です。
先生は、衣塑子さんの良いところを見つけては、
いそちゃんはできる子だから。やれるよ
と励ましてくれました。
先生に認められたことで、少しずつ自分に自信を持てるようになったのです。
その後、東京学芸大学附属高等学校を経て、慶應義塾大学法学部へ進学しました。
実は、幼い頃の衣塑子さんには、新聞記者ではなく舞台女優になりたいという夢がありました。
その夢を育てたのが、母親だったのです。
◆父親は業界紙の記者
望月衣塑子さんの父親は、業界紙の記者として働いていました。
高校時代から学生運動に熱中していた父親は、社会への関心が強い人物だったようです。
娘の衣塑子さんにとって、父親の仕事は身近なものでした。
中学生の頃、新聞記者という職業に興味を持ち始めた衣塑子さんは、父親からも影響を受けたと振り返っています。
父親は、さまざまな人に会って話を聞き、社会の動きを見ていく記者の仕事の面白さを娘に伝えていました。
衣塑子さんが後に語ったところによると、父親の仕事に対する姿勢も、記者を目指すきっかけの1つになったそうです。
父親との間には、もう1つ印象的なエピソードがあります。
衣塑子さんが読売新聞への転職を考え、父親に相談したときのこと。
父親は、
お父さん、読売だけは嫌なんだよ
と、切なそうに話したそうです。
娘の選択に対する父親の複雑な思いが伝わってくる言葉ですね。
父親は2010年に亡くなっています。
2017年に掲載された『週刊金曜日』の記事によると、衣塑子さんが大切にしている宝物の1つは、早くに亡くした両親の写真でした。
◆母親は演劇に情熱を注いだ人
望月衣塑子さんの母親は、演劇をこよなく愛する人でした。
20代後半になってから演劇の面白さに目覚め、仕事を掛け持ちしながら劇団の活動にも取り組んでいたそうです。
夕方に帰宅して家族の夕食を作ると、今度は稽古へ出かけ、最終電車で帰ってくる。
そんな生活を送っていました。
母親は娘にも演劇の楽しさを知ってほしいと考え、衣塑子さんを舞台に連れて行きます。
劇団青い鳥や夢の遊眠社などの芝居を、小学校低学年の頃から一緒に観劇しました。
兄弟を家に残して、衣塑子さんだけを連れて行くこともあったそうです。
母親の影響で舞台に夢中になった衣塑子さんは、小学4年生になると、練馬の児童劇団に入団します。
演じることが大好きになり、オペレッタの演出や役者を経験。
学校の文化祭でも脚本や演出、出演を手がけました。
中学時代の友人からは、将来は舞台女優になると思われていたほどです。
しかし、母親が娘に与えたものは、演劇だけではありませんでした。
中学生の頃、母親から手渡されたのが、ジャーナリストの吉田ルイ子(よしだ・るいこ)さんが書いた『南ア・アパルトヘイト共和国』という本です。
肌の色によって水を飲む場所まで制限されるという、南アフリカの人種差別の現実。
平和な日本で暮らしていた衣塑子さんは、大きな衝撃を受けました。
この本との出会いが、現実の社会を取材し、人々の声を伝える新聞記者への道を開いたのです。
母親が愛した演劇と、娘に手渡した1冊の本。
その2つが、後の望月衣塑子さんを形づくっていきました。
◆弟は俳優・演出家の望月龍平
望月衣塑子さんの弟は、俳優・演出家・脚本家として活動する望月龍平(もちづき・りゅうへい)さんです。
龍平さんは、かつて劇団四季に所属し、舞台俳優として活躍しました。
その後は演出や脚本も手がけ、舞台芸術の世界で活動を続けています。
姉の衣塑子さんが新聞記者として社会の問題を追いかける一方、弟の龍平さんは舞台を通して表現する道を歩んできました。
ただし、姉弟の間には考え方の違いもあります。
2020年、龍平さんはSNSで、姉とは歴史認識が異なることを明かしています。
同じ家庭で育った姉弟が、それぞれ異なる考えを持ち、異なる人生を歩んでいるのですね。
◆夫は同業者の新聞記者
望月衣塑子さんの夫は、他社に勤める新聞記者です。
2017年のインタビューでは、夫が単身赴任中であることを明かしていました。
翌2018年の記事では、夫の赴任先は愛知県名古屋市と紹介されています。
当時、衣塑子さんは6歳と4歳の子供を育てながら、新聞記者として働いていました。
夫が不在の間は、仕事と子育てを両立するため、時間の使い方にも工夫が必要だったそうです。
その後、夫は単身赴任から戻ってきました。
2022年のインタビューでは、夫が子育ての中心を担ってくれていると語っています。
実は、夫は元教師でもあります。
衣塑子さんによると、夫は勉強でも遊びでも、子供に物事を教えるのがとても上手なのだとか。
一方、自分は短気ですぐに怒ってしまうと笑いながら話していました。
社会の問題を追い続ける記者の仕事を、家庭では夫が支えているのですね。
◆子供は長女と長男の2人
望月衣塑子さんには、長女と長男の2人の子供がいます。
2018年3月の『日刊ゲンダイ』の記事では、当時6歳と4歳の子供を育てていると紹介されていました。
長女は中学受験を経験し、志望順位の高かった私立女子中学校に進学しています。
一方、長男も中学受験に挑戦しました。
2025年9月25日の東京新聞の記事では、望月さんが長男の受験に伴走する様子が紹介されています。
4教科での受験から英語を利用する方式に切り替えるなど、親子で試行錯誤を重ねていました。
官邸で厳しい質問を重ねる新聞記者も、家庭では受験に向き合う子供を支える母親です。
仕事と子育てを両立しながら、子供たちの成長を見守っているのですね。
◆エピローグ
望月衣塑子さんの母親は、晩年、すい臓がんを患いました。
母親は急激にやせ細り、病気が判明してからわずか1か月で亡くなったそうです。
折しも、衣塑子さんが森友・加計問題の取材に取り組んでいた頃でした。
母親は、介護で子供に迷惑をかけたくないと考えていた人でした。
看病に訪れた衣塑子さんに、
衣塑子がそばにいてくれるだけで、ほっとするの
と話したそうです。
その言葉に、衣塑子さん自身も励まされました。
母親が娘に教えた演劇の楽しさ。
記者への道を開いた『南ア・アパルトヘイト共和国』という1冊の本。
そして、病床で交わした母と娘の言葉。
母親は、娘が新聞記者として歩む姿を、どんな思いで見つめていたのでしょうか。
母親が亡くなった後、衣塑子さんは、今も母親が応援してくれているのではないかと感じることがあると語っています。
かつて舞台へ連れて行ってくれた母親。
記者になるきっかけを与えてくれた母親。
その母親の面影は、今も衣塑子さんの心の中に生き続けているのですね。
◇出典
- Business Insider Japan 2017年7月16日 子育てしながら権力と対峙する——菅官房長官に切り込む東京新聞・望月記者に聞く
- 週刊金曜日 2017年11月30日 〖憲法を求める人々〗望月衣塑子
- TOKYO HEADLINE 2017年8月 〖インタビュー〗菅官房長官の天敵?「新聞記者」著者 望月衣塑子記者
- 文春オンライン 2017年8月 「長官を攻める私でも、夫婦ゲンカは受け身です」東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー
- PRESIDENT WOMAN Online 2018年4月11日 「真実の見極め方」を教わったモリカケ問題追及の記者を覚醒させた本
- 日刊ゲンダイ 2018年3月2日 望月衣塑子さん 単身赴任の夫が帰る月2回だけ夜の会合に
- 大月書店 2019年11月6日 私の出会った先生――素直に伝えていいんだよ(望月衣塑子)
- ハルメク 2020年頃 望月衣塑子(いそこ)新聞記者の政治に立ち向かう勇気
- 小説丸 2021年 著者の窓 第13回 望月衣塑子『報道現場』
- J-CASTニュース 2020年5月21日 元劇団四季「望月龍平」が唱える奇怪な陰謀論



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