稲垣啓太の【家族】~妻・新井貴子との間に子供はいる?兄弟もラガーメン、両親はバレーボール選手

ラグビー日本代表の、稲垣啓太選手。

今回は、そんな稲垣選手の両親や兄弟など『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:稲垣啓太(いながき・けいた)
生年月日:1990年〈平成2年〉6月2日
身長体重:186cm/115kg
血液型 :A型
家族構成:
【実 家】父親、母親、長兄、次兄
【独立後】妻
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◆実家は新潟…中学まで野球少年

①実家は新潟

稲垣啓太選手は、新潟市秋葉区の出身。

生まれた時の体重は3980グラムと大きく、幼稚園では体重が40kgに達し、身長も頭一つ抜けていました。

この頃、ホッピング遊びで床が貫通したこともあるそうです(^_^;)


《ホッピング》

②小学生時代

稲垣啓太選手は、新潟市立市ノ瀬小学校(現・萩川小学校)の出身。

小学生の頃は野球少年で、投げては豪速球、打っては柵越えの中心選手でした。

小学校5年生で体重は100キロを超過。

健康診断で回転式体重計の針が振り切って故障したため、人だけ市内の健康センターで体重を測定していたそうです(^_^;)

②中学まで野球少年

稲垣啓太選手は、新潟市立新津第二中学校へ進学。

中学でも野球部で活躍し、強肩大型捕手として「リアル版ドカベン」の異名を取りました。

中学を卒業する頃には、身長180cm・体重は120キロを超え、甲子園常連校からの誘いもありました。

しかし、次兄からの誘いを受けて、中学3年夏から新潟市内のスクールでラグビーを始めています。

③高校からラグビーの道へ

稲垣啓太選手は、次兄と同じ新潟県立新潟工業高等学校へ進学。

『球感』がいい。逸材がきたと思った

と、樋口猛監督に才能を見出された稲垣選手は、プロップとして鍛えられました。

しかし、高校時代は成長期も重なり、体重は一時期120kg台後半に。

高校2年の夏に左膝靱帯を損傷したことを機に、樋口監督から減量指令が下されます。

電車通学を自転車に変え、片道40分の距離を毎日往復。

しかし、26インチのママチャリは体重を支えきれずにパンクし、車輪を支えるスポークも折れ、自転車をかついで帰宅しました。

我慢強く1週間は続けましたが、何度もパンクするため樋口監督に相談の上、自転車通学は断念しています。

その代わり、食事制限で努力します。

独自で栄養学を猛勉強し、高校2年秋の沖縄修学旅行ではビュッフェ形式の夕食で、ほぼサラダしか手をつけませんでした。

消灯後に空腹で眠れず、大量の水を飲んで胃を膨らませます。

スクール☆ウォーズの大木大助みたいですね!(^^)!

担任の先生を、

部屋を抜け出して買い食いしてもおかしくないのに

と感心させるその根性のかいあって、半年で15kg近くの減量に成功したそうです(^^)v

④母校への恩返し

花園出場43度を誇る、母校の新潟工業高校。

しかし、2019年4月の新入部員はわずか7人でした。

芝のグラウンドにすれば部員も増えるのでは?

と考えた稲垣選手は、苗代やスプリンクラー設置費用など総額約300万円を寄付

寄付のおかげで天然芝化を実現した後輩たちからは、感謝のメッセージが届けられています。

ツイッターを見たファンたちからは、

  • 私が代わりに泣いておきます
  • あっ涙が
  • なんて可愛くて頼もしい後輩達
  • 朝から涙腺崩壊
  • こんな素敵な事ありますか
  • コロコロしてる後輩さんたちが可愛い

などとコメント欄が大反響でしたヽ(^o^)丿

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