まつしま・ななこ【松嶋菜々子】
1973年〈昭和48年〉10月13日生まれの女優。
◆実家・生い立ち
松嶋菜々子さんは神奈川県横浜市鶴見区で生まれ、横浜市立矢向小学校に通っていました。[1]
その後、座間市に引っ越し、相模女子大学中学部・高等部へ進学。[1]
中学時代にはソフトボール部に所属し、高校時代は書道部で活動しました。
視力が悪く小学校時代は眼鏡を使用していましたが、高校以降は主にコンタクトを使っています。
高校1年生の終わりごろには女性ファッション誌『ViVi』の読者モデルにスカウトされ、両親の反対を説得してデビューしました。
◆父親:青森県出身
松嶋菜々子さんの父親は青森県出身で、一部上場の工作機械メーカーに勤めるサラリーマンだったと言われています。[2]
芸能界に対しては反対で、松嶋さんがモデル活動を始めた当初は、父親には内緒で進めていたそうです。
◆母親:岩手県出身
松嶋菜々子さんの母親は岩手県八幡平市(旧・岩手郡西根町)出身であるとされています。[3]
仕事と家事を両立しながら娘と息子を育て、松嶋さん自身も母の支えがあってこその成功だったと語っています。
◆兄:2歳年上
松嶋さんには2歳年上の兄がいます。[2]
子どもの頃から兄妹の仲は良好で、小学1年生から3年間、兄と一緒にピアノ教室に通っていたそうです。
音楽を通じて兄妹の関係が深まった印象が伝わります。
◆夫:反町隆史/俳優
松嶋菜々子さんの夫は俳優で歌手でもある反町隆史(そりまち・たかし)さん。
1973年〈昭和48年〉12月19日生まれで、埼玉県浦和市(現さいたま市南区)出身です。[4]

浦和市立大谷場(おおやば)小学校・浦和市立大谷場中学校を経て浦和情報文化専門学校高等課程情報ビジネス科に進学しましたが中途退学。
その後モデルとして活動を始め、ジャニーズJr.のユニット「平家派」の一員として光GENJIのバックダンサーを務めていた時期もあります。
16歳でモデル事務所に移籍し、パリ・コレクションにも出演しました。
1994年春に研音に所属し芸名を「反町隆史」に改め、同年7月にドラマ『毎度ゴメンなさぁい』で俳優デビュー。
その後『ビーチボーイズ』『GTO』など話題作に出演し、『GTO』では最高視聴率35.7%を記録する大ヒット作となりました。
松嶋さんとは『GTO』共演をきっかけに1999年11月頃に交際開始、2001年11月22日に結婚をファンに報告しています。
◆娘:2人
松嶋菜々子さんと反町隆史さんの間には娘が2人います。
長女は2004年〈平成16年〉5月生まれ。[5]
次女は2007年〈平成19年〉11月生まれです。[5]
娘たちは名門私立学校に通い、幼い頃から英語教育やクラシックバレエを習い、豊かな感性と教養を育んでいます。
松嶋さんだけでなく反町さんも育児に積極的で、忙しい時期が重ならないよう夫婦でスケジュールを調整しあっています。
育児方針についても日頃から話し合いを重ね、子どもたちに寄り添う姿勢が感じられます。
入学式や運動会には夫婦そろって参加する様子が度々目撃され、芸能界屈指の“子煩悩夫婦”として知られています。
2023年のテレビ番組では、娘たちが現在は海外に留学中であり、芸能界への関心は薄いことを反町さん自身が語っています。

留学しているので芸能界にはあまり興味がない
としつつ、年に数回帰国した際の成長した姿を見ることが親としての喜びであると話しました。
◆まとめ
これまでご紹介してきたとおり、松嶋菜々子さんの活躍を支えてきた存在は、まぎれもなく「家族」です。
父親はかつて厳しく芸能界を遠慮させましたが、その後理解を得て夢を応援してくれる存在になりました。
母親は岩手出身の強く温かい人柄で、兄との絆も音楽を通じて培われました。
夫・反町隆史さんとは互いの仕事を尊重し合いつつ、家庭第一を貫く理想のパートナーです。
そして娘たちにも教養と自主性を与え、大切に育む姿勢が一貫しています。
家族の応援を胸に、松嶋菜々子さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- Wikipedia「松嶋菜々子」2025年7月27日閲覧
- PASONICA JPN「松嶋菜々子」2025年7月27日閲覧
- Wikipedia「岩手県出身の人物一覧」2025年7月27日閲覧
- Wikipedia「反町隆史」2025年7月27日閲覧
- スポニチアネックス 2023年1月15日 反町隆史 妻・松嶋菜々子との18歳と15歳の娘たちの近況「2人とも留学しているので」 芸能界入りは?
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