いのうえ・たかひろ【井上貴博】
1984年〈昭和59年〉8月7日生まれのTBSテレビアナウンサー。
◆実家・生い立ち
井上貴博さんは東京都出身。
小学校から大学まで一貫して慶應義塾に学び、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、そして慶應義塾大学経済学部経済学科へと進学しました。[1]
普通部時代に軟式野球を始め、当初はプロ野球選手を目指していたそうですが、小学5年生の時に高い実力を持つ選手に出会ったことをきっかけに、「甲子園を目指す」方向へ志を変えます。
高校では硬式野球部に所属し、2年生の秋には二塁手としてレギュラーを獲得、3年生では遊撃手へ転向しました。
残念ながら春夏ともに甲子園大会への出場はかないませんでしたが、その努力と真摯な姿勢は高く評価されています。
大学でも野球部での活動を希望しましたが、腰の怪我の影響でプレーを断念。
選手としては引退したものの、部に籍を置いたまま「学生コーチ」という立場で後輩たちの指導に尽力しました。
学生コーチ時代には、自身が所属していた慶應義塾高校の硬式野球部員の育成にも深く関わったといいます。
大学卒業後の2007年〈平成19年〉、TBSテレビにアナウンサーとして入社。
報道・情報番組を中心に活躍を続け、穏やかで信頼感のある語り口で視聴者から高い支持を集めています。
◆父親:関西出身
井上貴博さんの父親は関西出身。[2]
井上さんが生まれた当時は仕事が多忙だったことから、上のきょうだい二人の育児にはあまり関われなかったそうです。
しかし末っ子の井上さんが成長する頃には、育児に本腰を入れて関わるようになり、強い愛情を注ぎました。
井上さんは、

とても可愛がられたが、逆に子供扱いが悔しくて、野球で見返そうという反骨心が芽生えた
と語っています。
◆母親:関西出身
井上貴博さんの母親も、父親と同様に関西出身です。[2]
兄や姉には厳しかったという井上家の母ですが、井上さんには“孫感覚”で接していたとのこと。
そのため、井上さんは怒られた記憶がほとんどなく、のびのびと育ちました。
一方で「勉強しなさい」とはよく言われましたが、言われると余計したくなくなり、

そういうこと言わないほうがいいよ

自発的に勉強しないと意味がないし
と屁理屈を言いかえしていたのだそうです。
◆姉:12歳年上
井上貴博さんにはお姉さんがいます。
12歳年上というころなので、1972年〈昭和47年〉ごろの生まれでしょうか。[2]
年齢差のある姉は、井上さんの人格形成に強い影響を与えました。
幼い頃から姉の行動を見て、

こうすれば親は喜ぶ

今はわがままを言わない方がいい
と、空気を読む習慣を自然と身につけたといいます。
◆兄:9歳年上
井上貴博さんにはお兄さんもいます。
9歳年上ということなので、1975年〈昭和50年〉ごろの生まれと推測されます。[2]
お兄さんは、就職活動の時期に家庭内で真剣な話し合いをしていたことが井上さんの記憶に残っているそうです。
野球の活躍を家族に伝えたくても、兄の就職相談で家庭が重々しい雰囲気に包まれていた――そんな状況から、

自分だけ子供で取り残されたような気がした
と回想しています。
◆妻:未婚で独身
井上貴博さんは未婚で独身です。
結婚に関する報道や公表された情報はなく、ご本人も過去のインタビューで

結婚していない
と語っています。[2]
◆子供
井上貴博さんに子供はいません。
自身の家庭を持つ未来については、

子供には自由にやりたいことをやってほしい。そのためのチャンスは与えてあげたい
と、理想の子育て像に言及しています。[2]
◆まとめ
これまで見てきたとおり、井上貴博さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
姉や兄という“背中を見せてくれる存在”があり、愛情深くも少し過保護な父母のもとで育まれた観察力と洞察力が、今の報道現場で生かされています。
きょうだいの成長を見ながら「自分はどう生きるべきか」を問い続けてきた井上さんの挑戦は、これからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- Wikipedia 井上貴博
- WEBげんき 2023年1月11日 TBSアナ井上貴博「アナウンサーになろうと思ったことは一度もなかった」
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