井口資仁…時代を描いた生き残りのダイエー戦士。引退後も球界の為に

“井口資仁”

偉大なる野球選手の一人が、またこの野球界を去ることになりました。

そんな彼は当時のダイエーホークスを知る数少ない“ダイエー戦士”の一人でした。

残されたダイエー戦士でいえば、川崎宗則、和田毅などがあげられます。

ダイエー戦士の引退に、根強いファンから悲しみの声がやみません。

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◆ダイエー時代

井口資仁(いぐちただひと)。

これが世間に通ずる名前ではありますが、本名は井口忠仁(いぐちただひと)です。

これはあまり知られていない、ちょっとした豆知識かもしれません。

井口選手は青山学院大学を出た後、当時のダイエーホークスのドラフト第一位指名で、プロ野球の道に足を踏み入れました。

筆者が物心ついて野球に興味を持ち始めたころ、すでに

恐怖の九番打者

として華々しい活躍をみせていました。

プロ野球ゲームでも井口選手を好んで使用しており、バリバリ盗塁をさせていました(^^)

◆メジャー挑戦

2005年、井口資仁選手は野球の母国・アメリカに飛びました。

彼が待望したメジャーリーグでも活躍し、日本のプロ野球界の技量を見せつけました。

井口選手が打席に入ったり、守備で好プレーを見せたりすると、

GUU~!GUU~!

と、観客がブーイングに似た声をあげました。

これは「グーイング」と呼ばれ、井口選手に対する応援の気持ちの表れだったのです。

さらに、ホワイトソックス時代には、ワールドシリーズにも出場し、新庄剛志、松井秀喜、田口壮・各選手に次いで四人目の快挙となりました。

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そして、この年にチームはワールド制覇をし、監督のキーエンに

今年のMVPは井口だ。彼ほど野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールド制覇ができた

と言わしめます。

野球において、もちろん技術は重要です。

しかし、井口選手のように、野球というスポーツを根本から見つめる選手が一人いるだけで、チームに与える影響ははかりしれないほど大きいのです。

翌年の2006年、井口選手はワールド・ベースボール・クラシックに選出されました。

王監督のもとでプレーできることを心待ちにしていましたが、

メジャー二年目は、一年目以上のものが求められる

と、考えを改め、出場を辞退しています。

そこには、井口選手の並々ならぬ覚悟があったのでした。

◆ロッテ時代…そして引退へ

井口資仁選手は、2009年に日本プロ野球界に再び戻り、千葉ロッテマリーンズと契約をします。

筆者は個人的には、縦じまのユニホームが似合っており、とても好きでした。

2013年の対楽天戦では、田中将大投手から、史上五人目となる日米通算2000本安打を達成します。

しかし、年を追うごとに規定打席に届かず、出場機会も激減することが多くなった井口選手。

そして、パリーグ最年長選手となった2017年、引退を表明しました。

◆まとめ

野球に対してストイックであり、多くの方々に愛された井口資仁選手。

また違う形で日本球界に戻り、先頭を走ってくれる存在になってくれると信じています。

その日はそう遠くないのかもしれませんね(^_-)

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