連帯ユニオン・関西地区生コン支部の執行委員長を務める、武建一さん。
今回は、そんな武さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:武建一(たけ・けんいち)
生年月日:1942年(76歳)※2018年8月現在
出身地:鹿児島県大島郡徳之島町
◆結婚して妻や子供はいるのか?
武建一さんは、孫がいてもおかしくない年齢です。
しかし、私生活はあまり語られず、妻や子供さんがいるのかどうかも分かりません。
武さんは労働運動で雇用者側と激しく対決する人生を送ってきています。
時には会社から解雇され、経済的に厳しい時期もありました。
結婚はしていない可能性もありますね。
◆実家は徳之島
武建一さんは、鹿児島県にある徳之島の出身です。
徳之島は奄美群島に属し、徳之島町・伊仙町・天城町の3町を擁する、人口約27,000人の島となっています。
武さんは1942年に生まれ、中学校を卒業すると同時に、家計を支えるために3年間の丁稚奉公(でっちぼうこう)に出ました。
丁稚奉公とは、商家などに居候し、雑用に従事することです。
武少年は、朝は6時前から起きて仕事をし、夜は12時頃まで仕事をしていました。
その頃は、日本全体が高度成長の波にのった時分で、都市部で労働者が不足し、徳之島へも運転手の募集が来ます。
武さんは、
“故郷に錦を飾ってやろう”
との意気に燃えて、大阪への移住を決意しました。
これが、組合人生の始まりとなる事は、当時、知る由もありません。
◆実家の両親
大阪の三生運送に入社した武建一さんは、同僚の解雇事件をきっかけに、組合活動を始めます。
しかし、現在とは違い、会社が組合を好ましく思わない時代。
ストライキを起こしたことを理由に、武さんも会社を解雇されてしまいました。
武さんは不当解雇を訴え、『三生解雇撤回闘争』を展開。
大阪地裁で「職場復帰」「解雇期間中の賃金支払」の勝訴判決が下り、原職復帰を果たすのですが、その間はアルバイトや行商をやって生活を支えました。
この時辛かったのは、徳之島の実家への送金ができなくなった事でした。
武さんは徳之島にいる母親に手紙を書いて、
“悪い事をした訳ではありません、正しい事をしたからクビを切られました”
ということを説明しました。
母親は、武さんが首を刃物で斬りつけられたのかと思ってびっくりしたそうです。
もっともその後は、解雇撤回闘争を続けている間、母親の方から手紙で応援し続けてくれました。
◆妹は大学を断念
武建一さんにとって一番残念だったのは、妹さんの事です。
出来が良く成績優秀だった妹さんには、
“何とか大学へまで行って欲しい”
と考え、それまでは一定金額の仕送りをしていました。
それが一円も送れなくなったため、妹さんは大学進学を諦めざるを得なかったということです。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、武建一さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の芯材がありました。
これからも家族の応援を胸に、武さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
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