2018年7月13日、日本を代表する演出家・浅利慶太さんが亡くなりました。
今回は、生前の浅利さんを支えた『家族』にスポットを当て、在りし日の故人を偲びたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:浅利慶太(あさり・けいた)
生年月日:1933年3月16日
没年月日:2018年7月13日(享年85歳)
所属:劇団四季、浅利演出事務所
◆息子は俳優・浅利陽介?
俳優に浅利陽介(あさり・ようすけ)さんと言う方がいます。
幼いころから劇団に所属し、NHKの朝ドラやTBSの『ROOKIES』など、話題作に立て続けに出演。
年齢は現在(2018年7月)30歳です。
名前や経歴や年齢などから、浅利慶太さんの息子さんだと思う方も多いのですが、まったく血縁関係はありません。
ちなみに、浅利慶太さんに子供さんはいらっしゃいません。
◆最初の妻は藤野節子
浅利慶太さんには、3度の結婚歴があります。
最初の妻は藤野節子(ふじの・せつこ)さん。
1928年11月3日生まれなので、浅利さんより5歳年上でした。
劇団四季の創設者の一人であり、女優として活躍しましたが、1986年5月19日、57歳で亡くなっています。
◆2人目の妻は影万里江
浅利慶太さんの2人目の妻は、女優の影万里江(かげ・まりえ)さん。
1935年7月19日生まれなので浅利さんより2歳年下でした。
2人目の妻・万里江さんも劇団四季の同志で、主演女優として活躍しましたが、後に離婚。
離婚後も浅利さんとは生涯、パートナー関係を続けました。
しかし1981年、45歳の時に脳腫瘍のため入院し、そのまま帰らぬ人となりました。
万里江さんは、浅利さんの実家の墓に葬られています。
◆現在の妻は野村玲子
2度目の離婚後は長く独身だった浅利慶太さんですが、2003年、野村玲子(のむら・りょうこ)さんを3度目の妻に迎えています。
玲子さんは、1961年8月21日生まれで、現在(2018年7月)56歳なので、浅利さんより29歳年下になんですね。
北海道の出身である玲子さんは、旭川商業高等学校を卒業後、富士銀行旭川支店の窓口に勤務。
しかし、1年間で退職し、幼い頃からの夢だったミュージカル女優を志して、劇団四季の研究所に入りました。
その後、劇団四季の看板女優に上り詰めた玲子さんは、2003年、浅利慶太さんと入籍を果たします。
玲子さんは浅利さんの訃報に接し、
“心の支えを失い、悲しみと寂しさと不安と様々な気持ちで、今は言葉が見つかりません”
とコメントしています。
◆父親は俳優!?
浅利慶太さんの父親は、三田英児の名で映画俳優として活躍した浅利鶴雄さん。
松竹では俳優の他、プロデューサーを務め、浅草国際劇場の初代支配人に就任。
こけら落としではチャップリンを招聘し、松竹歌劇団の育ての親のひとりとも言われていました。
◆母親の名前は?
浅利慶太さんの母親の名前はフサエさん。
母・フサエさんは、東京田辺製薬(現:田辺三菱製薬)で会長を務めた、田辺元三郎氏の実姉にあたるのだそうです。
その縁があったのでしょう、浅利さんは劇団四季結成後もしばらくは、東京田辺製薬で宣伝・広告などのアルバイトをしていました。
◆妹は自ら…
浅利慶太さんには妹がいました。
かつては、浅利さんと妹は優秀な日本共産党員として、選挙戦や山村工作隊時代を戦ってきました。
しかし、妹さんは左翼演劇人の劇団で裏切りに遭って自殺されたのだそうです。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、浅利慶太さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がりました。
これからは天国の上から、日本の演劇界の行方を見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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