たかはし・らん【髙橋藍】
2001年〈平成13年〉9月2日生まれのバレーボール選手。
◆実家・生い立ち
髙橋藍さんは京都府京都市出身。
スポーツ一家に育ち、小学2年生からバレーボールを始めました。
小学生のころはリベロとして守備を支えるポジションでしたが、中学ではアウトサイドヒッターへと転向。
高校は東山高等学校、日本体育大学を経て、2021年にはイタリア・セリエAのクラブに加入しました。
日本代表でも主力として活躍し続けています。
◆父親・髙橋政次
髙橋藍さんの父親の名前は、髙橋政次(たかはし・まさつぐ)さん。
父・政次さんかつては野球に打ち込んでいたスポーツマンでした。
高校時代にはエースで4番というチームの中心的存在であり、巨人のスカウトが視察に訪れたほどの実力の持ち主でした。[5]
そのアスリートとしての情熱は息子たちにも受け継がれ、家庭では“静かなる支柱”として、必要なときに背中を押す存在でした。
藍さんの名前は、政次さんが「ホームラン」にちなんで命名したもので、
人生の中で大きく飛躍する存在になってほしい
という思いが込められています。[1]
◆母親・髙橋小百合
髙橋藍さんの母親の名前は、髙橋小百合(たかはし・さゆり)さん。[4]
母・小百合さんは、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフなので、藍さんはクオーターということになります。
小百合さんもアスリートで、中学・高校では軟式テニス部に所属し、近畿大会出場の経験もある実力派でした。[3]
バレーボールに関しては初心者だったものの、競技に打ち込む息子たちを献身的に支え、食事・生活リズム・メンタル面など、母親として全方位のサポートを担いました。
藍さんは

試合後に一番に感想をくれるのが母
と語るなど、深い信頼関係がうかがえます。
◆兄・髙橋塁
髙橋藍さんには兄がいて、名前は髙橋塁(たかはし・るい)さん。[4]
1999年〈平成11年〉5月3日生まれなので、藍さんより2歳年上になります。
藍さんに最も影響を与えたバレーボール選手であり、兄弟で切磋琢磨しながら成長してきました。
塁さんの名前は、父・政次さんが野球にちなんで「一塁、二塁の“塁”」から名付けたもので、
堅実にベースを踏み進むような人生を――
という願いが込められています。[5]
2021年には兄弟そろって全日本代表入りを果たし、国際大会でも「兄弟共演」が実現。
藍さんは

ずっと兄の背中を追ってきた
と語り、塁さんの存在が自身のバレー人生における原点であったことを明かしています。[1]
◆妹・髙橋莉々
髙橋藍さんには妹もいて、名前は髙橋莉々(たかはし・りり)さん。[4]
年齢は藍さんより3歳年下になります。
妹の莉々さんも兄たちの影響を受け、バレーボール選手として活躍されていたようです。
◆25歳で結婚?
髙橋藍さんは未婚で独身です。
藍さんは結婚について

25〜26歳で結婚し、35歳で子どもがほしい
と考えていると明かしています。[2]
競技人生の先に、温かな家庭を築く夢も描いているようです。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、髙橋藍さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
高校野球のスターだった父・政次さん、テニス経験者で常に支え続けた母・小百合さん、兄・塁さんとの切磋琢磨、そして妹・莉々さんの存在。
家族の絆を背負って、髙橋藍さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- サンスポ 2020年12月19日 【TOKYO2020+1カウントダウン】バレーボール男子日本代表・高橋藍、兄の背中の先に金 19歳の若さで12人の精鋭に抜擢された
- TBS 2024年10月11日 髙橋藍「25、6歳で結婚、35歳で子ども・・・」自身が描く未来予想図 2025年は兄・塁と一致【バレーボール】
- STORY WEB 2024年4月26日 バレーボール日本代表・髙橋藍さんの母・小百合さん「全く興味がなかった息子がバレーを続けられたのは…」
- Number WEB 2024年4月19日 『ほんまは同じバレーをやってほしくなかった』高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…
- Number WEB 2023年10月6日 《高橋藍ができるまで#1》バレーを始めた兄が驚いた弟・藍の“特別な才能”とは? 巨人スカウトに注目された父「次男にはホームランの“ラン”を…」
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