女子バレー日本代表の監督を務める、眞鍋政義さん。
今回は、そんな眞鍋監督を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1963年〈昭和38年〉8月21日
身 長:188cm
出身地 :兵庫県姫路市
家族構成:妻、子供3人
◆実家・生い立ち
眞鍋政義監督は、兵庫県姫路市の出身。
子供の頃は長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんや…
王貞治(おう・さだはる)さんに憧れる少年で、中学からは野球を始めるつもりでした。
当然ポジションも、サードやファーストを希望。
しかし、姫路市立白鷺(はくろ)中学校で野球部に入ると、顧問の先生からとんでもないことを言われます。[1]
眞鍋、キャッチャーをやれ(゚д゚)!
実際にキャッチャーをやってみましたが、バットを目の前で振られるのが怖く、苦手意識から部活に行かなくなってしまいました。
そんなとき、バレー部の顧問から熱心に誘われて転部。
高い身長を活かしてスパイカーとして活躍し、仲の良い友人にも恵まれて、メキメキ上達していきました。
高校は、大阪商業大学高等学校へ進学。[1]
1年の全国高校総体予選でまさかの敗北を喫した日、上野尚志監督からセッター転向を命じられます。
セッターは常にボールと仲良くなれ
が監督の口癖。
高校3年間は授業中も寝るときも球を手放さず、そばに置いて触り続けました。
そんな甲斐もあって1年生からレギュラーとして活躍し、インターハイ優勝も経験しています。
大学は、大阪商業大学へ進学。
西日本インカレ・関西リーグでは1回生から4回生まですべて優勝を果たし、1985年には神戸ユニバーシアードにも出場しました。
在学中に全日本代表にも選出され、1985年ワールドカップに出場しています。
1986年、新日鉄へ入社。
新日鉄黄金時代の中心選手として活躍し、日本代表でもソウル五輪など数多くの国際大会に出場しました。
イタリアへの挑戦を経て、2005年に現役を引退し、久光製薬スプリングスの女子監督に就任。
2008年からは女子日本代表の監督として采配を振るい、ロンドン五輪では28年ぶりとなるメダル獲得を成し遂げています。
◆父親と母親
眞鍋政義監督の実家は、兵庫県姫路市白鷺町(本町)というところで、姫路城のすぐ南側にありました。
姫路城や大手前公園で、毎日のように暗くなるまで遊んでいたので、いつも両親に
早く帰って来い!
と怒られていたそうです(>_<)
また、中学時代は毎朝、お城の周辺を走って体を鍛えました。
坂道にかかると
そこからダッシュや!
と父親に尻を叩かれていたそうです(>_<)
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