きたむら・はるお【北村晴男】
1956年〈昭和31年〉3月10日生まれの弁護士。
テレビ番組『行列のできる法律相談所』などへの出演で知られ、まっすぐな正義感と分かりやすい法律解説で多くの視聴者から親しまれています。
◆実家・生い立ち
北村晴男さんは長野県更埴市(こうしょくし)〈現・千曲市〉出身。[1]
幼いころから野球が大好きで、中学では野球部に入部し毎日を楽しく過ごしていました。
ところが、2年生の4月に突然、野球部が廃部に。
校長や教師たちから納得のいく説明がなく、卒業まで抗議を続けましたが、相手にされませんでした。
やり場のない怒りを抱え、

理不尽な力には屈しない
という信念が芽生えたことが、弁護士としての原点です。
高校進学時は父親から
中学卒業後は工業高校に進学し、鉄工所を継ぐように
と言われていましたが、北村さんは

将来は弁護士になりたい
という秘かな夢を抱きつつ、とりあえず野球をやりたい一心で、進学校ながらスパルタ指導の野球部が有名だった県立長野高校を志望しました。
野球は遊び。義務教育を終えた人間が、野球なんてとんでもない
という考えの父に

野球はやらないよ
と嘘をつき、中学の先生も父を説得してくれて、何とか長野高校への進学を許してもらっています。
1971年〈昭和46年〉、長野県長野高等学校に進学すると、すぐに野球部に入りました。
髪を丸刈りにして帰宅すると、当然、父親から怒られましたが

あくまで仮入部。2週間したら必ず辞める
と言い張りました。
3年生で迎えた1973年夏の長野大会は、夏春夏の3季連続甲子園を狙う丸子実業(現・丸子修学館)が大本命ながら、“全員野球”の長野高もダークホース的存在でした。
準々決勝まで進んだ長野高の相手は、練習試合で完勝していた長野工業高校。

ここは楽勝。次は丸子実業だ
と、準決勝に心が飛んでいました。
チーム全体に油断があったためか、結果は逆転負け。

それから10年間、あの場面を何度も夢に見ました
1974年〈昭和49年〉に高校を卒業後、浪人生活を経て1975年〈昭和50年〉に早稲田大学法学部へ入学。
1979年〈昭和54年〉に卒業し、8度目の受験となる1986年〈昭和61年〉、ついに司法試験に合格しました。
◆父親
父親は鉄工所を経営しており、厳格で無口な職人気質の人でした。
北村さんが中学卒業後に工業高校へ進み、家業を継ぐことを望んでいましたが、北村さんが高校進学を希望すると、その意志を尊重してくれたといいます。[2]
幼い頃、父と一緒に湯船に入って話をするのが日課で、勤勉さと苦労話をそこで自然と学びました。
従業員のストライキなどで経営が困難な時期でも弱音を吐かず、家族を支え続けた父の背中を見て育ちました。
また、司法浪人中の北村さんが28歳で結婚を決意した際、
そんな人に苦労させるわけにはいかない
と言って生活費の援助を申し出るなど、無口ながらも深い愛情を持つ父親でした。
◆母親
北村晴男さんの母親は、幼少期から北村さんを溺愛していたといいます。
息子が野球部で練習する姿をいつも心配そうに見守っていたその姿は、北村さんにとって

うるさいけれど、温かい記憶
として残っています。[2]
父の鉄工所の経営が厳しくなった際には、保険外交員として外に出て働き、家計を支えました。
北村さんは

母の愛情を疑ったことは一度もなかった
と語っています。
晩年は92歳まで長生きし、曾孫を抱いて微笑む姿を見せるなど、家族に囲まれて穏やかな最期を迎えました。
◆兄
北村さんには7歳年上の兄がいます。[2]
父の期待どおり工業高校を卒業し、家業の鉄工所を継いだとみられています。
北村さんは

兄は私以上に変わり者
と語っており、兄弟間でも互いの個性を認め合って育ったようです。
◆妻
北村晴男さんは28歳のときに結婚しましたが、その時点ではまだ司法浪人中でした。
父からは
夢を追いかけて将来が見えないお前と結婚してくれる女性がいるのか
と心配されましたが、生活費の援助を受け、副業を減らして試験勉強に集中できるようになりました。[2]
その後、30歳で司法試験に合格。
支えてくれた妻の存在について

どんなときも信じてくれた
と、今でも深く感謝しているそうです。
◆長男:北村晃一
北村晴男さんの長男の名前は、北村晃一(きたむら・こういち)さん。
1985年〈昭和60年〉1月2日生まれのプロゴルファーです。
元々は野球をやっており、桐光学園時代の2002年には春夏連続で甲子園に出場しました。
中央大学法学部に進学後、父と同じく弁護士を目指しましたが、22歳からゴルフを始め、2009年にプロ転向しています。[3]
現在は国内男子ツアーやチャレンジツアーで活躍中で、2024年には下部ツアー初優勝も果たしました。
「父以上に変わり者」とも言われる独自の感性を持ち、ゴルフ界でも異彩を放つ存在となっています。
北村晃一が逆転でプロ初V 父はバラエティー番組で活躍の弁護士・晴男氏 https://t.co/MrbDHyPsOE #golf #ゴルフ #ニュース
— スポーツ報知 (@SportsHochi) May 31, 2024
◆長女
北村晴男さんの長女は一般女性で、詳細なプロフィールは公表されていません。
芸能活動なども行っておらず、プライベートを大切にされているようです。
◆次女:北村まりこ
北村晴男さんの次女の名前は、北村まりこ(きたむら・まりこ)さん。
1992年〈平成4年〉4月2日生まれの、俳優・タレントです。[4]
洗足学園音楽大学声楽コースを卒業し、2013年から舞台・テレビで活動を開始。
父・晴男さんとのバラエティー共演でも注目を集めましたが、現在は舞台を中心に表現の幅を広げています。
北村晴男弁護士の次女・北村まりこ、父とのバラエティー共演「NG」にした理由「迷惑をかける」【インタビュー】 https://t.co/NSCCYqVPDq#北村まりこ @mariko_kitamu
— ENCOUNT (@encountofficial) June 30, 2024
◆まとめ
これまで見てきたとおり、北村晴男さんの活躍の陰には、厳しくも温かい父、深い愛情を注いでくれた母、個性的な兄、苦労を共に乗り越えた妻、そして多様な道を歩む3人の子どもたちの存在がありました。
家族に支えられ、応援されながら歩んできたその姿は、まさに信念と感謝にあふれた人生の証です。
家族の応援を胸に、北村さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
1.Wikipedia 北村晴男
2.日々摘花 2023年6月30日
・「湯船で聞いた“勤勉な父の苦労話”」弁護士 北村晴男さん【インタビュー前編】
・「消えない母の面影」弁護士 北村晴男さん【インタビュー後編】
3.GDOゴルフニュース 北村晃一 プロフィール
4.Wikipedia 北村まりこ

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