【小島よしお】の家族~妻・小松愛唯との間に子供が1人…父は国政選挙に6度落選するも母は「なんくるないさ」

「そんなの関係ねぇ!」で一世を風靡したお笑いタレント、小島よしおさん。

海パン一丁で全力で笑わせる姿が印象的ですが、その人生をたどってみると、実は「何度失敗しても笑顔で前へ進む」という家族の姿が浮かび上がります。

父は国政選挙に6度挑戦し、母は「なんくるないさ」の精神で家族を支えました。

さらに、父方の祖父は巨額の借金を抱えながら人生を立て直し、母方の祖父は戦争とマラリアを生き抜いています。

今回は、そんな小島よしおさんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:小島よしお(こじま・よしお)
本  名:小島義雄(こじま・よしお)
生年月日:1980年〈昭和55年〉11月16日
血液型 :O型
身  長:178cm
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◆家族構成・家系図

小島よしおさんは、父親、母親、兄、本人の4人家族で育ちました。

現在は、2016年〈平成28年〉7月18日に結婚した妻・小松愛唯さんとの間に、長男が1人います。

◆実家・生い立ち

小島よしおさんは、1980年〈昭和55年〉11月16日、沖縄県久米島で生まれました。

母・智恵さんが里帰り出産をしたためです。

その後は千葉県で育ち、2歳年上の兄と両親の4人家族で暮らしました。[1]

子どものころから明るく、お笑いが大好きな少年でした。

テレビのバラエティー番組を見ては、ウッチャンナンチャンのものまねを友達の前で披露。

学校では「お笑いコント係」を作り、帰りの会でコントをすることもありました。

一方、スポーツも大好きでした。

小学1年生のとき、2歳上の兄が少年野球をしていたことがきっかけで、自身も野球を始めます。

高校時代にはピッチャーを務め、チームのエースを目指して走り込みにも励みました。

そんな少年時代の小島さんの家庭には、普通の家庭とは少し違った「恒例行事」がありました。

それが、父親の選挙です。

◆父親・小島孝之さん

小島よしおさんの父親は、小島孝之(こじま・たかゆき)さんです。

北海道出身の孝之さんは早稲田大学へ進み、政治活動に関心を持つようになります。

その後、民社党の職員として働きながら、国政選挙にも挑戦しました。[4]

その回数は、なんと6回。

しかし、6回とも当選には届きませんでした。

小島さんが生まれたときから高校生になる頃まで、父親は選挙に出続けていたといいます。

小島さんにとって選挙は特別なものではなく、

またやるよー

という、家族にとっての恒例行事のような感覚だったそうです。

選挙カーに乗ったり、ポスターにシールを貼ったり。

幼い小島さんも、家族の一員として選挙を手伝っていました。

しかし、選挙には大きなお金がかかります。

母親は年賀状を1万枚ほど書くなど、選挙活動を全面的に支えました。

最後の6度目の出馬では、父親が家族に相談せず退職金を使って立候補したため、母親は新聞で出馬を知り、怒ったそうです。

それでも、孝之さんは挑戦をやめませんでした。

そして6度目の選挙も、結果は落選でした。

小島さんは後年、父親について、

みんなを幸せにしたいというのを貫いた

と振り返っています。

◆父親は「笑顔の人」だった

小島さんが2021年に文藝春秋で語った父親の思い出も印象的です。

6度の選挙にすべて落選し、政界から身を引いた後、孝之さんは語学学校の校長を20年近く務めました。

しかし、経営は決して順調ではありませんでした。

それでも小島さんが思い出す父親の顔は、いつも笑っていたそうです。

選挙に負けても、事業がうまくいかなくても笑っている。

そんな父親の姿は、後に「笑い」を仕事にする小島さんの人生にも、どこかつながっているように見えます。

◆母親・小島智恵さん

小島よしおさんの母親は、小島智恵(こじま・ちえ)さんです。

久米島で生まれ育ち、高校卒業後に上京。

看護師のアルバイトをしながら琉球舞踊を始め、活動を通じて孝之さんと出会いました。

2人は1978年に結婚。

その後、長男が生まれ、1980年に小島さんが誕生しています。[4]

政治活動を続ける夫を支えた智恵さんも、決して楽な生活を送っていたわけではありません。

選挙で家計が苦しくなった時期には、当時珍しかった沖縄産の食品を取り寄せ、フリーマーケットで販売して家計を支えました。

そんなとき、智恵さんが大切にしていたのが、

なんくるないさ

という考え方でした。

夫に愚痴を言うより、自分がやればいい

そう考えて家族を支えた母親の姿を、小島さんはすぐそばで見ていたのです。

後に小島さん自身も、母親の「なんくるないさー」精神について、

自分の血肉になっている

と語っています。

現在、智恵さんは久米島で沖縄料理店を営んでいます。

◆2歳年上の兄

小島よしおさんには、2歳年上の兄がいます。

小島さんにとって、この兄は野球を始めるきっかけになった存在です。

小学1年生のとき、兄が少年野球をしていたことから、自分も野球を始めました。[3]

また、幼いころには兄と一緒に学習漫画を読むなど、家庭で一緒に過ごす時間も多かったようです。

兄の背中を追いかけるように始めた野球は、高校まで続き、小島さんの身体能力を育てる土台となりました。

◆母方の祖父・敏一さん

小島よしおさんの母方の祖父は、敏一(びんいち)さんです。

敏一さんは久米島で農業を営んでいました。

人を笑わせるのが得意で、集落の人気者だったといいます。[6]

しかし、その人生には戦争という大きな試練がありました。

20歳になった敏一さんは陸軍に召集されます。

戦地から復員して農業に戻ったものの、その後、再び召集を受けました。

そして戦地でマラリアを発症。

それでも病を乗り越え、終戦を迎えて久米島へ戻りました。

その事実を知った小島さんは、

生き残ってなかったら僕はいないわけですし。奇跡的にいるんだなっていうのを感じます

と語っています。

祖父が生き抜いたからこそ、母・智恵さんが生まれ、その先に小島さんの命があります。

「自分がここにいる」という当たり前の事実が、祖父の歴史を知ることで、特別な意味を持った瞬間でした。

◆父方の祖父は巨額の借金から再起

小島よしおさんの父方の祖父は、小島文夫(こじま・ふみお)さんです。

小島家の父方のルーツは愛知県犬山市にあり、先祖は明治時代に北海道へ移住しました。[7]

文夫さんは小樽高等商業学校、現在の小樽商科大学につながる学校を卒業。

その後、不動貯金銀行の札幌支店に勤めました。

銀行の社風を象徴する言葉が、当時としては珍しかった「ニコニコ主義」。

文夫さんの写真には、いつも笑顔が残っていたそうです。

ところが、文夫さんの人生も順風満帆ではありませんでした。

知人の保証人になったことで、莫大な借金を背負うことになります。

銀行を退職し、借金を返すために職を転々としました。

アンゴラウサギを飼育して毛を売ろうとしたり、パチンコ店を経営したり。

いくつもの事業に挑戦しましたが、簡単にはうまくいきません。

最終的には信用保証会社の立ち上げに参画しました。

この祖父の生き方を知った小島さんは、番組の中で驚きを隠せませんでした。

借金を抱えながらも、そこから新しいことに挑戦していく姿。

それは、ブレイク後も自分の進む道を模索してきた小島さん自身の姿とも重なります。

さらに小島さんは、祖父の「ニコニコ主義」が、自身の芸風にもつながっているのではないかと語っています。

◆妻は小松愛唯さん

小島よしおさんは、2016年7月18日に小松愛唯(こまつ・あい)さんと結婚しました。

愛唯さんは、1988年〈昭和63年〉7月18日生まれ、神奈川県出身です。

2009年にミス桜美林大学に選ばれています。[8]

結婚を発表した小島さんは、妻について、

明るくて友達思いで堅実で真面目

と、その人柄に惹かれたことを明かしました。

ちなみに、結婚した7月18日は愛唯さんの誕生日でもあります。

海パン姿を仕事着とする小島さんにとって、海の日でもあったこの日は、まさに「小島よしおらしい」記念日になりました。

◆長男が誕生

2024年〈令和6年〉2月17日、小島さん夫妻に第1子となる男の子が誕生しました。[2]

小島さんはテレビ番組で長男の誕生を報告。

出生時の体重は4016グラムだったことも明かしています。

長男の名前は公表されていませんが、小島さんは長男を「おぱぴまる」と呼んでいます。

父親になった小島さんは、子どもとの生活について、

初めての連続だった

と語っています。

妻と励まし合いながらミルクをあげたり、子どもの成長を見守ったり。

これまで数多くの子どもたちに笑顔を届けてきた小島さん自身が、今度は一人の子どもの父親として、家庭の中で子育てをしています。

◆エピローグ

小島よしおさんの家族を調べていくと、ひとつの言葉が浮かびます。

笑って、前へ進む——。

父・孝之さんは、国政選挙に6度挑戦しました。

母・智恵さんは、夫の選挙活動を支えながら、食品販売などで家計を支えました。

母方の祖父・敏一さんは、戦争とマラリアを生き抜きました。

父方の祖父・文夫さんは、保証人になったことで莫大な借金を背負い、それでも新しい仕事に挑戦しました。

かつて兄と白球を追っていた少年は、芸人として不遇な時代を乗り越え、自分の子供を抱く父親になりました。

小島よしおさんが子どもたちに届ける、

ダイジョブ、ダイジョブ

という言葉は、単なるギャグではありません。

そこには、何度転んでも立ち上がり、笑顔で前へ進んできた家族の歴史が重なっています。

久米島から、北海道から、そして千葉から——。

それぞれの場所で人生を切り開いてきた家族の物語は、いま小島よしおさんから、その次の世代へと続いているのです。

◇出典

  1. CHANTO WEB 2024年5月4日「選挙で6回落選する父と食堂経営で支える母『今や子どもに大人気』小島よしおが過ごしたちょっと変わった幼少期」
  2. スポニチアネックス 2024年2月23日「小島よしおが生放送で第1子男児誕生を報告」
  3. Alpen Online 「小島よしお(芸人)がマラソンを通じて目指すもの」
  4. 日刊スポーツ 2025年2月19日「小島よしお父は国政選挙6度落選も『お父さんの挑戦、みんなを幸せにしたいというのを…』」
  5. 文藝春秋PLUS 2021年9月4日「印象的な父の姿」
  6. 日刊スポーツ 2025年2月19日「小島よしお、難病乗り越えた母方の祖父に感謝『生き残ってなかったら僕はいない、奇跡』」
  7. 日刊スポーツ 2025年2月19日「小島よしおの芸風育んだのは祖父が勤めた銀行の超『前向き』主義 莫大な借金乗り越えた原動力」
  8. WEBザテレビジョン「小松愛唯プロフィール」
  9. 小島よしおオフィシャルブログ「結婚しました」2016年7月18日
  10. オリコンニュース 2024年3月22日「小島よしお、第1子長男とお宮参りへ」
  11. 東京都「TEAM 家事・育児」2025年1月31日「子育ては他人と比べすぎない『ピーヤ』と『ダイジョブダイジョブ』の精神で!」
  12. 講談社コクリコ「小島よしお」プロフィール

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