男子バレーボール選手として活躍する、髙橋塁(たかはし・るい)さん。
今回は、そんな髙橋塁さんの家族を紹介します。

◆髙橋塁の家族構成
髙橋塁さんは、父・母・本人、弟、妹の5人家族で育ちました。
母・小百合さんのインタビューでは、塁さんと藍さん、そして藍さんより3歳下の妹・莉々さんの3人兄妹であることが語られています。
なお、父親については、母・小百合さんが
高校時代、野球に打ち込んでいた
と明かしています。
左投げ左打ちの投手で、4番も務めていたそうです。
球場にはスカウトが来ていたそうです
と振り返っています。
◆兄が始めたバレーボールを弟が追いかけた
髙橋兄弟の物語は、塁さんから始まりました。
塁さんがバレーボールを始めたのは、小学生の頃。
テレビで女子バレーボールを見たことがきっかけだったといいます。
当時、憧れていた選手の一人が栗原恵さんでした。
そして、兄の姿を見ていた弟の髙橋藍(たかはし・らん)さんもバレーボールを始めます。
藍さん自身も、サントリーの公式プロフィールで「バレーを始めたきっかけ」を「兄がしていたから」と答えています。
兄が先に進み、その背中を弟が追う。
この関係は、その後の2人の競技人生を象徴するものになりました。

◆公園の鉄棒が「ネット」だった
幼い兄弟は、体育館だけでバレーボールをしていたわけではありません。
家の近くの公園では、鉄棒をネットに見立てて練習しました。
兄の塁さんがスパイクを打ち、弟の藍さんがそれを受ける。
まだ幼かった2人にとっては遊びの延長だったのでしょう。
しかし、この何気ない時間が、後のトップアスリート兄弟の原点となりました。
後に2人が同じプロチームのコートに立ったとき、その原点を思い出させるような光景が生まれることになります。
◆中学時代、兄弟そろって全国大会へ
2人は京都市立蜂ヶ岡中学校へ進みました。
決して全国的な強豪校というわけではありませんでしたが、塁さんと藍さんは兄弟そろってバレーボールに打ち込みます。
塁さんが3年生、藍さんが1年生の時には、兄弟そろって全国大会に出場。
兄の背中を追っていた藍さんは、少しずつその差を縮めていきました。
母・小百合さんは、兄弟が同じ競技をすることについて、
兄弟でやっていると、比べられる
という思いから、本当は同じスポーツをやってほしくなかったと振り返っています。
しかし、兄弟は同じ道を選びました。
◆高校は2人とも東山高校へ
高校も兄弟は同じ東山高等学校に進みます。
塁さんは2017年のインターハイで3位に入るなど、実力を伸ばしました。
しかし、塁さんは高校時代に春高バレーの全国制覇を経験していません。
その一方で、弟の藍さんには大きなチャンスが訪れます。
2020年1月12日。
東山高校は全日本高校選手権、いわゆる「春高バレー」の決勝で駿台学園高校と対戦しました。
東山が勝てば、悲願の初優勝。
その試合を、日大に進んでいた塁さんも会場で見守っていました。
そして――。
東山高校は勝利。
藍さんは日本一になりました。
◆弟・藍の日本一に、兄・塁が流した涙
弟が日本一になった瞬間。
会場にいた塁さんは、涙を流しました。
兄にとって、弟の優勝はもちろん喜ばしいことでした。
しかし、それだけではありません。
自分が高校時代に届かなかった場所に、弟が先にたどり着いた。
その事実に、悔しさもありました。
塁さん自身も、弟について「抜かれたな」と感じたと語っています。
兄として弟を応援したい。
それと同時に、選手としては負けたくない。
その2つの気持ちが、涙になったのかもしれません。
それは、単純な「兄の涙」ではありませんでした。
ずっと背中を追ってきた弟が、ついに兄を追い越した。
兄弟だからこそ生まれる、複雑で、しかし愛情のある涙だったのでしょう。
◆大学で、兄弟は初めて別々の道へ
高校卒業後、塁さんは日本大学へ進学。
一方、藍さんは日本体育大学へ進みました。
それまで中学、高校と同じ道を歩んできた兄弟が、初めて別々の大学へ進みます。
そして藍さんは、日本代表にも選出されるようになり、世界を舞台に戦う選手へと成長していきました。
兄・塁さんも、大学卒業後にサントリーサンバーズへ加入。
2022年からプロ選手としてプレーします。
兄弟はそれぞれの場所で、バレーボール選手としての道を歩み続けました。
◆弟・藍が兄のいるサントリーへ
2024年。
兄弟に大きな転機が訪れます。
髙橋藍さんがサントリーサンバーズへの加入を決めたのです。
そこには、すでに兄・塁さんがいました。
高校時代以来、離れていた兄弟が、再び同じチームのユニフォームを着ることになりました。
サントリーは2024年5月、藍さんとの選手契約を正式に発表しています。
入団発表の際、塁さんは弟へのメッセージで、再び一緒にプレーできることへの喜びを伝えました。
幼い頃、公園の鉄棒をネットにしていた兄弟が、今度はプロのコートで同じチームとして戦う。
あまりにも長い時間をかけた、兄弟の再会でした。
◆兄のサーブから、弟が決めた「兄弟の1点」
そして、兄弟が同じチームでプレーした時間の中で、忘れられない1点が生まれます。
2024年11月29日。
サントリーサンバーズと日本製鉄堺ブレイザーズの一戦。
試合はフルセットにもつれ込み、最終第5セットは14-13。
サントリーがマッチポイントを握っていました。
ここでコートに入ったのが、リリーフサーバーの髙橋塁さんでした。
塁さんは強いサーブを打ち、相手の守備を崩します。
そして返ってきたボールを、最後に決めたのが弟の藍さんでした。
サントリーは15-13で勝利。
兄がサーブで崩し、弟が決める。
幼い頃、公園で塁さんが打ち、藍さんが受けていた兄弟が、今度はプロの公式戦で一つの得点を完成させたのです。
試合後、塁さんは「自分が崩して藍が決める」という形で終われたことを喜び、藍さんも「最後兄弟で一緒に1点を取りたい気持ち」があったと振り返りました。
これは、髙橋兄弟の物語を象徴するような1点でした。
◆2026年、弟・藍との2年間が大きな転機に
そして2026年9月29日。
髙橋塁さんは、自身のSNSを通じて、自分がゲイであり、セクシュアルマイノリティの一人であることを公表しました。
塁さんは、幼い頃から自分自身のある一面と向き合うことを恐れ、悩み、自分自身を否定していたと明かしています。
そのうえで、大きな転機になったものとして挙げたのが、弟・藍さんと同じチームで過ごした約2年間でした。
藍さんと話したことをきっかけに、初めて自分自身を認めることができた――。
塁さんは、そう説明しています。
ここで印象的なのは、「弟が兄を救った」という単純な物語ではありません。
塁さん自身が長い時間をかけて自分と向き合い、その過程で、すぐそばにいた弟との時間が大きな意味を持ったということです。
幼い頃。
兄の背中を追っていた弟。
公園では、兄が打って弟が受けた。
高校では、弟が兄より先に日本一になった。
プロになってからは、再び同じチームで戦った。
そして最後には、兄のサーブから弟が得点するという「兄弟の1点」が生まれました。
その約2年間が、競技だけではなく、塁さん自身にとっても忘れられない時間になったのです。
◆結婚について
髙橋塁さんの結婚について、本人や所属先から公表された情報はありません。
ただ、本人の性的指向の公表と結婚の有無を直接結びつけることはできません。
塁さん自身が語ったのは、自分がゲイであること、そして長く悩んできたこと、弟・藍さんと過ごした時間をきっかけに自分自身を認められるようになったことです。
それ以上の私生活について、憶測で補う必要はないでしょう。
◆エピローグ
髙橋塁さんは性的マイノリティの公表に際し、家族やチームメート、スタッフ、関係者への感謝も伝えています。
そして、自らの公表が、
自分自身を受け入れることに悩んでいる人にとって、ほんの少しでも何かのきっかけになれば
という思いも示しました。
これは、塁さんにとって新しい人生の章の始まりなのかもしれません。
本人が明言しているように、バレーボールに向き合う姿勢が変わるわけではありません。
塁さんはこれからも変わらず、コートに立ち続けます。
◇出典
- サントリーサンバーズ大阪「髙橋 塁」選手プロフィール
- サントリーサンバーズ大阪「髙橋藍選手 入団のお知らせ」
- 日刊スポーツ「【バレー高橋兄弟連載〈1〉】公園の鉄棒をネットにして練習した幼少期~塁と藍の物語」
- 日刊スポーツ「【バレー高橋兄弟連載〈2〉】廃部寸前の公立中学を全国大会へ~塁と藍の物語」
- 日刊スポーツ「【バレー高橋兄弟連載〈4〉】藍の日本一と塁が流した涙~母の願い『一緒に全日本へ』
- Number Web「『ほんまは同じバレーをやってほしくなかった』高橋藍の母が明かす…」
- サントリーサンバーズ大阪「2024-25 大同生命SV.LEAGUE 11月29日 日本製鉄堺ブレイザーズ戦」
- 2026年9月29日 髙橋塁さん本人によるSNSでの公表を報じた各社報道



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