バレーボール全日本女子代表の、黒後愛さん。
子供の頃の夢はディズニーで働くことでした!
今回は、そんな黒後選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1998年〈平成10年〉6月14日
身長体重:180cm/70kg
血液型 :B型
家族構成:父、母、姉
◆父・黒後洋さんはバレーボール部監督
黒後愛選手の父親の名前は、黒後洋(くろご・ひろし)さん。[1]
1965年生まれになります。
父・洋さんの職業は大学教授で、国立・宇都宮大学の教育学部に所属。
同大学の女子バレー部監督も務めています。
自身は栃木県立宇都宮東高等学校で、バレーボール部に所属していた父・洋さん。
全国大会出場の経験はありませんでしたが、フィジカルの良さを認められ、筑波大学に推薦で入学しました。
大学4年ではインカレで優勝しますが、185cmとバレートップ選手としては低身長であったことから、現役続行は諦め大学院へ進学。
スポーツを科学的に捉える研究が実を結び、現在の職業へと繋がっています。
ちなみに、父方の祖母である和子さんはママさんバレーをやっていて、その影響で浩さんはバレーボールを始めました。
バレーボールの原点は、お祖母さんだったのですね。
◆母・黒後裕子さんもバレーボール選手
黒後愛選手の母親の名前は、黒後裕子さん。[2]
年齢は、父親と同級生になります。
母・裕子さんも元バレーボール選手で、筑波大学の女子バレー部に所属していました。
黒後選手が下北沢成徳高校3年時に「春高バレー」を連覇した日は、母・裕子さんの誕生日でもありました。
早く金メダルをかけてあげたい!
と、黒後選手は母親思いの一面をのぞかせています。
◆姉・黒後彩乃さんもバレー選手
黒後愛選手にはお姉さんがいて、名前は黒後彩乃さん。[3]
年齢は、黒後選手より5歳年上になります。
姉・彩乃さんもバレーボールの選手で、國學院大學栃木高等学校は春高バレーに出場しました。
高校卒業後は、父が監督を務める宇都宮大学のバレー部で活躍し、キャプテンも務めています。
今では黒後選手を精神的に支える、良き相談相手となっています。
◆実家は宇都宮
黒後愛選手は、栃木県宇都宮市の出身。
宇都宮市立横川西小学校の3年生の時、お姉さんの影響でバレーボールを始めました。
宇都宮市立若松原中学校2年次には、全日本中学選抜に選出。
3年で出場した全国都道府県対抗中学バレーボール大会では、2回戦敗退ながら優秀選手賞を獲得しています。
高校は、バレーボールの名門・下北沢成徳高等学校。
早々に東京オリンピックの強化選手である「Team CORE」のメンバーに選出されると、3年連続で春高バレーに出場し、2連覇を達成しています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、黒後愛選手の活躍の陰には、温かく支えてくれたバレー一家の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、黒後選手の挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 下野新聞 2019年4月16日 「周りと比べないように」 バレーボール選手 黒後愛さんの父 黒後洋さん(上)
- Olympics.com 2019年1月8日 春高バレー2年連続MVP黒後愛は、絶対的エースになるべく成長中
- 下野新聞 2021年8月4日 「自信持って帰ってきて」 バレー一家、黒後選手の健闘ねぎらう
◇編集後記
黒後愛さんが愛用するネックレスを見つけました。
Olympics.com の記事です。
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) May 3, 2022
拡大します。
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「笑顔」がトレードマークの愛さん。
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体の中にある微弱な生体電気に働きかけて、その電気の乱れを整えてくれる
という作用があるのです。
ちなみに愛さんの座右の銘は、
笑う門には福来る
今日もファイテンのリラックスパワーで、愛さんは躍動しています✨
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火の鳥NIPPON!
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