毎日新聞の主筆を務めるなど、毎日新聞社やTBSの「顔」として活躍した岸井成格さんが、肺腺がんのため亡くなりました。
今回は、生前の岸井さんを支えた家族をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:岸井成格(きしい・しげただ)
生年月日:1944年9月22日
没年月日:2018年5月15日(享年73歳)
最終学歴:慶應義塾大学法学部
◆最期まで寄り添った妻と子供
岸井成格さんは結婚されていて、奥様と子供さんがいました。
慶応大の同級生である佐高信(さたか・まこと)さんが病気を気遣うと、奥さんから
“(夫の)体調は良くないが、カステラなら食べられる”
と聞いて、亡くなる前日にカステラを送ったそうです。
これまで2度のがんを乗り越えましたが、体調不良を理由に、2017年末からテレビ出演を休んでいた岸井さん。
奥さんはそんな岸井さんを、一番近くで支えてきました。
子供さんの詳細は不明ですが、40~50代くらいでしょう。
言論人として生きた父と祖父のDNAは、確実に子供さんに受け継がれています。
◆父親は元衆議院議員
岸井成格さんの父親の名前は、岸井寿郎(きしい・としろう)氏。
香川県豊田郡常磐村(現 観音寺市村黒町)の出身で、旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科を卒業しました。
その後、満洲旅行、司法官試補を経て、大阪毎日新聞へ入社。
なんと、岸井さんはお父上と同じコースを歩んでいたのですね。
父・寿郎氏は、関連会社である東京日日新聞社に勤務し、印刷部長・営業局次長を歴任。
この間、『連盟を脱退すべし』『満洲の我移民村』等の著書を刊行しています。
その後、新聞社を退社すると、1942年の第21回衆議院議員総選挙に香川県第2区から出馬し、当選。
1945年に公職追放されるまで、大蔵省委員、内閣委員などを務めました。
公職追放後は実業界に入り、日本デリス社長、協和鉱業社長、中央広告通信会長を歴任。1970年10月1日に79歳で亡くなられています。
◆母親と兄弟
岸井成格さんの実家の家族は、父親の他に母、兄、弟の5人家族だったそうです。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、岸井成格さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた家族の姿がありました。
これからは天国で、奥さんや子供たちを見守り続けることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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