【池谷公二郎】の家族~妻・和代さんと3人の子供…野球一筋の父からラグビー日本代表へ

元プロ野球選手で、広島東洋カープの初優勝に貢献した池谷公二郎(いけがや・こうじろう)さん。

2026年10月29日、多発性骨髄腫のため74歳で亡くなりました。

今回は、池谷さんを支えた妻と3人の子供たちの物語です。

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◆家族構成

池谷公二郎さんの家族は、妻の和代さん、長男、次男、長女の5人家族です。

次男の池谷陽輔(いけがや・ようすけ)さんは、ラグビー日本代表として活躍した元選手です。

長男の池谷龍一(いけがや・りゅういち)さんは、広島市内で飲食店を営んでいたことで知られています。

長女については、名前などの詳しい情報は公表されていません。

◆実家・生い立ち

池谷公二郎さんは、1952年〈昭和27年〉6月28日、静岡県静岡市で生まれました。

高校は、静岡県立静岡商業高等学校へ進学。卒業後は金指造船を経て、社会人野球の日本楽器でプレーしました。

1972年のドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け、1974年にプロ入りします。

プロ2年目の1975年には18勝を挙げ、球団史上初のリーグ優勝に貢献。翌1976年には20勝を記録し、最多勝と沢村賞に輝きました。

さらに1976年と1977年には奪三振王を獲得。力強い投球でカープの黄金時代を支えました。

1985年に現役を引退した後も、広島や巨人で投手コーチを務め、野球解説者として長く親しまれました。

◆妻・和代さん

池谷公二郎さんの妻は、和代さんです。

2014年に出演したテレビ番組で、和代さんは翌年に結婚40周年を迎えると話していました。この発言によれば、2人が結婚したのは1975年ごろとなります。

夫がプロ野球選手として飛躍した時期に家庭を築き、3人の子供を育ててきました。

次男の陽輔さんは、父の現役時代を振り返り、母、兄、妹と一緒に球場へ出かけた思い出を語っています。

ただし、当時の記憶に強く残っているのは、父の投球よりも、かき氷や弁当を食べていたことだったそうです。

また、陽輔さんによると、母は高校時代に卓球部に所属していました。

プロ野球選手の夫を支えながら、子供たちの成長を見守ってきた和代さん。家庭には、スポーツが身近にある暮らしがありました。

◆長男・龍一さんは飲食店を経営

池谷公二郎さんの長男は、池谷龍一(いけがや・りゅういち)さんです。

龍一さんは広島市内で、串焼き店「力(りき)」を営んでいたことで知られています。

2018年には、父の現役時代のライバルだった堀内恒夫(ほりうち・つねお)さんが店を訪れ、自身のブログで紹介しました。

店にはカープグッズが並び、父から借りた貴重なグッズも飾られていたといいます。

現役時代、マウンドでしのぎを削った池谷さんと堀内さん。その縁は、池谷さんの息子が営む店にもつながっていました。

龍一さんの店は、父の野球人生と家族のつながりを感じさせる場所でもあったのです。

なお、店の営業状況については、当時の情報と現在の状況を区別する必要があります。

◆次男・陽輔さんはラグビー日本代表

池谷公二郎さんの次男は、池谷陽輔(いけがや・ようすけ)さんです。

陽輔さんは、崇徳高等学校から法政大学へ進み、卒業後はサントリーサンゴリアスでプレーしました。

ポジションはプロップ。スクラムの最前列で体を張り、チームを支える役割です。

2008年にはラグビー日本代表にも選ばれ、2016年に現役を引退しました。

陽輔さんは、小学4年生からラグビーを始めています。

一方、中学校では野球部に所属していました。父がプロ野球選手だったこともあり、野球は身近な競技でしたが、本人は野球をあまり好きになれなかったと振り返っています。

父とのキャッチボールでは、投げ方やバットの振り方について細かく助言を受けることもあり、野球をしんどく感じることがあったそうです。

ラグビーでは、持ち前の体格を生かしてトライを決める楽しさを知りました。高校から本格的に競技に打ち込み、大学、社会人を経て、日本代表にまで成長したのです。

父と同じ野球の道ではなく、自分が選んだ競技で実績を積み重ねた陽輔さん。

その歩みは、父とは違う形でスポーツの世界に挑戦する人生となりました。

◆長女

池谷公二郎さんには、長女もいます。

次男の陽輔さんによると、妹は運動神経がよく、大学を卒業するまでテニスに取り組んでいたそうです。

陽輔さんはインタビューで、妹について「いちばん運動神経が良かった」と振り返っています。

名前や詳しい経歴は公表されていませんが、兄たちと同じように、スポーツが身近な環境で育ったことがうかがえます。

◆エピローグ

池谷公二郎さんは、プロ野球選手として厳しい勝負の世界を生きてきました。

家庭でも、息子たちに対して努力することの大切さを伝えていたそうです。陽輔さんは、父から「まず走らなければだめだ」と教えられ、野球部に所属していたころから、家の近くの川沿いを走っていました。

当時は面倒に感じることもありましたが、後年、陽輔さんは、父に言われたことをもっとやっておけばよかったと振り返っています。

そして、父が応援したのは、息子が野球をしているときだけではありませんでした。

陽輔さんがラグビー選手として活躍するようになると、池谷さんは東京から府中の会場まで車を走らせ、試合を観戦しました。大阪で行われた試合にも足を運んだといいます。

野球とラグビーはシーズンが重ならないため、時間が合えば息子の試合を見に行くことができました。

父が歩んだのは、野球の道。息子が選んだのは、ラグビーの道。

競技は違っても、懸命に努力する息子の姿を、池谷さんは観客席から見守っていたのです。

野球の世界で輝いた父と、ラグビー日本代表として戦った息子。

その間には、同じ競技を選ばなくても通じ合う、スポーツを通じた親子の絆がありました。

◇出典

1.FNNプライムオンライン(テレビ新広島)2026年10月29日「【速報】元カープ池谷公二郎さん(74)死去 多発性骨髄腫のため」

2.デイリースポーツ online 2026年10月29日「広島 池谷公二郎さんが多発性骨髄腫で死去 74歳 カープ初優勝の立役者 翌1976年には20勝で沢村賞獲得」

3.東京サントリーサンゴリアス公式サイト 2006年7月25日「#32 池谷陽輔『頭を上げたときにトライしてたら感謝の気持ちでいっぱい』」

4.東京サントリーサンゴリアス公式サイト「#301 池谷陽輔サンゴリアス100キャップ達成」

5.アスネタ 2023年1月15日「池谷公二郎に病気の噂。自宅と家族、息子は元ラグビー選手?現在は広島で解説&タレント」

6.堀内恒夫オフィシャルブログ 2018年5月2日「池谷公二郎の息子の店に行ってきたよ!」

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