中日ドラゴンズの監督をつとめる、立浪和義さん。
座右の銘は「氣」です!
今回は、そんな立浪さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1969年〈昭和44年〉8月19日
身 長:173cm/74kg
血液型 :A型
家族構成:
【実 家】父親、母親
【独立後】妻
◆実家・生い立ち
立浪和義さんは、大阪府摂津市の出身。
小学校は地元の、摂津市立鳥飼小学校へ通いました。
小学校4年生の時に「茨木ナニワボーイズ」に加入し、以降は野球に打ち込むようになります。
チームの同期には、後にプロ入りする橋本清(はしもと・きよし)さんがいました。
(橋本清さん↓)
収入は何十分の一、体重は15キロ減り…プロ野球界から干された橋本清が悩みながら学んだこと
文春野球コラム ペナントレース2022#giants #文春野球 #文春オンラインhttps://t.co/n86g4pmzx7— 文春オンライン (@bunshun_online) May 5, 2022
立浪さんは、6年生の春までのポジションは投手でしたが、肘を痛め、野手に転向。
代わりに、橋本清さんがエースピッチャーとなっています。
中学校は、摂津市立第五中学校へ進学。
中学時代も引き続き、茨木ナニワボーイズで野球を続けました。
(中学時代の立浪さん↓)
<原点 立浪監督を語る> (1)茨木ナニワボーイズで同期 渡辺一弘さん:中日新聞Web https://t.co/AUT2recNq5
— 舌口鳥 (@matsut1) January 20, 2022
中学時代、2歳年上のPL学園「KKコンビ」が大活躍。
KKコンビに触発されたのと、幼稚園からの幼馴染・橋本清さんがPL進学を決めたことで、自身もPL学園への進学を決意します。
当時、大阪商業大学堺高等学校への進学が決まりかけていましたが、何とか断りを入れ、PL学園高等学校へ進学しました。
この時の同期には、橋本さん以外に、片岡篤史(かたおか・あつし)さん…
炎症悪化しアビガン決意 片岡篤史さん「副作用よりも」:朝日新聞デジタル https://t.co/hEXKLoZUL3 #新型コロナウイルス pic.twitter.com/T1T7NkZOd0
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) June 1, 2023
野村弘樹(のむら・ひろき)さん…
【PL同級生・野村弘樹氏】殿堂入り立浪氏に「抑えたことより打たれたことを覚えている」 – サンスポ https://t.co/ozMUaxdGfh @SANSPOCOMより
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) June 1, 2023
桑田泉(くわた・いずみ)さんらがいました。
センバツPhotoスタジアム 写真特集:時事ドットコム https://t.co/ieZU95B5Ng @jijicomより pic.twitter.com/WAqbS0iEd2
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) June 1, 2023
また、野球部合宿所「研志寮」では、憧れの桑田真澄(くわた・ますみ)さんと相部屋になっています。
立浪さんは高校2年生のとき、第58回選抜高等学校野球大会に出場。
1回戦の静岡県立浜松商業高等学校戦に、6番遊撃手として出場しましたが、初戦敗退しました。
高校3年生のときは、主将として第59回選抜甲子園大会と第69回夏の甲子園選手権大会に出場。
甲子園春夏連覇を達成しました。
1987年のドラフト会議で、南海ホークスと中日ドラゴンズが1位で競合し、中日が交渉権を獲得。
立浪さんは中日に入団し、プロとしての道を歩き始めています。
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