バドミントン女子ダブルスでリオ五輪代表の、松友美佐紀(まつともみさき)選手。
今回は、そんな美佐紀さんを育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は徳島県
松友美佐紀選手の実家は、徳島県藍住(あいずみ)町。
美佐紀さんは5歳のころから、地元のクラブ「藍住エンジェル」でバドミントンを始めました。
藍住東小学校4年生の時、全国の小学生が集うABC大会のBクラス(3、4年)で栄冠に輝き、5、6年でも優勝をさらいます。
中学校進学を控え、県外の名門校から誘いを受けたが、選んだのは地元の徳島中学校でした。
美佐紀さんが中学3年生になる年に、全中が地元の徳島で開催されることが、地元にこだわった理由だそうです。
◆父親は野球選手
松友美佐紀さんのお父さんの名前は、松友伸二さん。
年齢は53歳[2016.5.24現在]になります。
5歳でバドミントンをはじめ、みるみる上達する美佐紀さん。
選手として強くなると、道具や遠征費用でお金がかかるため、親としても覚悟を決めなければなりません。
しかし美佐紀さんは、何事も自分で決めないと気が済まない頑固な子でもありました。
そんな性格を知る父・伸二さんは、小学校3年生の美佐紀さんを問い詰めます。
本気でやるのかやらないのか?
美佐紀さんは、涙ながらに即答しました。
やりたい!
その日から、父の徹底したサポートが始まります。
元球児で、社会人でも草野球をしていた伸二さんは
バドミントンと動きが似ている…
と考え、野球にヒントを得た練習を娘に課しました。
1つは、
シャトルを指で打つこと。
実際は、もちろんラケットで打つのですが、ラケットの先に指があるように意識して打つことを言い聞かせました。
これは野球で、グラブの中の指が硬球をつかむように意識することを参考にしています。
また、スマッシュを強化するため、投手のシャドーピッチングのように、タオルを肩口から振り下ろす練習も行いました。
手首を返す感覚を磨くため、ひしゃくに水を入れて、中の水を散らさないよう固まりで飛ばします。
父・伸二さんが考えた独創的な練習が、美佐紀さんのあの繊細なショットを生みだしたのでした。
◆母親もバドミントン選手
松友美佐紀さんのお母さんの名前は、松友千恵美さん。
母・千恵美さんはバドミントンの競技経験があり、その影響で、美佐紀さんは物心つく前からラケットを握ってきました。
中学までは地元に残った美佐紀さんでしたが、高校は親元を離れ、全国屈指の強豪・聖ウルスラ学園英智高(宮城)へ。
寂しかったけど、本人が決めたことだから…
と母・千恵美さんは振り返ります。
しかし、そこで出会った高橋礼華選手と組み、高校2年時にはダブルス、シングルス、団体の3冠を達成。
日本ユニシス入社後も、礼華さんとコンビを続け、日本代表として世界のトップへと駆け上がりました。
2016年5月、香川県で「日韓交流大会」が開催され、故郷・徳島から両親や中学時代の恩師らが応援に来てくれました。
母・千恵美さんは、娘が大好きな地元の洋菓子店で買ったチーズケーキを手に、坂出市の会場に駆けつけます。
海外遠征などで、忙しい美佐紀さんと顔を合わせたのは、約半年ぶりでした。
この日「タカマツ」ペアは、韓国の強豪ペアを下し、世界ランク1位の貫禄を存分に示します。
勝利を見届けたお母さんは、
けがをして苦しい時期もあった。よくここまで来られたと思います。
と感慨深く語りました。
◆姉の名前や年齢は?
松友美佐紀選手にはお姉さんがいて、名前は「仁美」さん。
年齢は、美佐紀さんより2歳年上なので、26歳になります。
姉・仁美さんもバドミントン選手で、幼いころは美佐紀さんと一緒に練習に通いました。
実はお姉さんもバドミントンの強豪で、徳島中時代にはダブルスで四国を制覇。
徳島県立城東高校でもバドミントンを続け、インターハイにも出場しています。
◆結婚は?
松友美佐紀選手は、現在24歳とお年頃ですが、結婚はしていません。
彼氏などの情報などもなく、今はバドミントンと礼華先輩が恋人といったところでしょうか(#^.^#)
◆まとめ
2016年5月の母の日。
美佐紀さんはお母さんに、ピンクのバラの花を贈りました。
いつもありがとう…
と添えられた、短いメッセージの裏側には、書きこむ事ができないほどの感謝が、あふれていたことでしょう。
伝えたい感謝の気持ちをメダルに託し、決戦はもうすぐそこに迫っています!
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