卓球男子日本五輪代表の、水谷隼(みずたに・じゅん)選手。
今回は、そんな水谷選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は静岡県磐田市
水谷隼選手の実家は、静岡県磐田市。
水谷選手は、地元の「豊田町卓球スポーツ少年団」に第1期生として入り、5歳から卓球を始めました。
世代は異なりますが、「豊田町卓球スポーツ少年団」では、後の日本代表の伊藤美誠(いとう・みま)選手も指導を受けています。
◆父親の名前は?
水谷隼選手のお父さんの名前は、水谷信雄さん。
1960年頃の生まれになります。
父・信雄さんは卓球経験者であり、実は「豊田町卓球スポーツ少年団」は信雄さんが設立した団体でした。
だからといって、息子を卓球一筋で育てたわけではなく、意外にも水谷少年は、さまざまなスポーツを経験しています。
小学校低学年までサッカーや水泳、小学6年までソフトボール。
夏は近くの野山を駆け回り、冬は家族でスキーに行くなどしました。
そうした中で、水谷選手が自然と最後まで続けたスポーツが「卓球」だったのです。
小学校時代は、仕事から帰宅した父・信雄さんと打ち合うのが日課となっていました。
そんな中でお父さんは、水谷選手が中学で実家を出て「青森山田」へ行くまで、基本をみっちりと叩き込みます。
水谷選手は中学・高校時代、日本卓球協会の支援でドイツ留学を経験しました。
しかし、思うような結果が出せず、言葉が通じなくてチームにも溶け込めず、遠い異国で孤独を味わいます。
練習の合間によく電話が掛かってきた。話すこともないのに…
父・信雄さんは、それでも息子を励まし続けました。
そして、リオ・オリンピック。
シングルスで、日本人初のメダルに輝いた息子に、お父さんはスタンドから大きな拍手を送りました。
最後の一本が決まるまでは気が抜けなかった。自分も感動をもらいました!
少年時代、熱意が見えずによく叱っていた息子を、この日ばかりは手放しでほめていました(*^_^*)
◆母親の年齢は?
水谷隼選手のお母さんの名前は、水谷万記子(みずたに・まきこ)さん。
年齢は、お父さんより2歳年下になります。
母・万記子さんも、卓球経験者。
夫が代表を務める「豊田町卓球スポーツ少年団」では、万記子さんもコーチとして、指導に当たってきました。
万記子さん自身、大のスポーツ好きでしたが、現役時代は「女性アスリート」が確立されていない時代。
スポーツ選手になりたいという夢を、抱くことすらできませんでした。
だからこそ、
子どもたちには思いっきりスポーツをやらせてあげたい!
という強い思いがあり、そんな思いが、スポーツ少年団の原動力になっています。
このチームから、伊藤美誠選手という15歳(リオ五輪時)の女子オリンピアンが誕生したのも、わかるような気がしますね。
リオ五輪では、母・万記子さんもスタンドから声援を送りました。
表彰式で銅メダルをかけられ、誇らしげな水谷選手を見た万記子さん。
好きなことを諦めずに続ければ夢がかなうんだなと実感した…
と、込み上げる感情を抑えながら話しました。
◆兄弟はいる?
あまり知られていませんが、水谷隼選手には、お兄さんがいます。
お兄さんの詳細は不明ですが、水谷選手の試合には、応援に駆けつけているそうです。
◆妹は浜松商業出身
水谷隼選手には妹もいて、名前は水谷茉央(みずたに・まお)さん。
年齢は、水谷選手より4歳年下になります。
妹・茉央さんも卓球経験者で、高校は静岡県の強豪・浜松商業で腕を磨きました。
リオ五輪は、磐田市内のパブリックビューイングで兄を応援。
偉業を成し遂げた兄に対し、
大事なところで卓球の神様が兄の方を向いてくれた。兄を尊敬します!
と満面の笑みを浮かべました。
◆結婚したお嫁さんの名前は?
水谷隼選手は、2013年11月22日に結婚しています。
お嫁さんの名前は、水谷海那(みずたに・みな)さん。
年齢は、水谷選手より3歳年下です。
2人のなれそめは、水谷選手が青森山田高時代。
当時、青森山田中の卓球部に所属していた海那さんと、部活を通じて交際に発展しました。
ロンドン五輪で結果を出せなかった水谷選手は、国際大会から離れることを明言。
本当は卓球からも離れていた。このまま卓球人生を終えようかなとも思った…
そんな、どん底の精神状態をたたき直してくれたのは、妻・海那さんでした。
結婚に備え、苦手だった料理を克服しようと、調理師専門学校に通って努力する姿が、水谷選手の心を目覚めさせます。
妻のために世界で活躍しないと!
厳しい環境を求めてロシアリーグに所属し、邱建新コーチに学びました。
そして掴んだ、オリンピック銅メダル。
前人未到のメダルは、妻・海那さんに対する感謝のメダルとなりました(^_-)
◆子供の画像は?
水谷隼選手は、子供もいる若きパパ。
最愛の子供は女の子で、名前は水谷茉莉花(みずたに・まりか)ちゃんです。
2014年5月に生まれていますから、可愛い盛りですね(*^_^*)
あまりに可愛いため、画像も自ら公開されています。
妻と娘がいなかったら今ごろはただのダメ男だったかも…
子供の存在が、銅メダルの大きな原動力となったことは、間違いないでしょう(^o^)丿
◆まとめ
リオ・オリンピック、銅メダルの瞬間。
水谷選手が、真っ先にガッツポーズをした視線の先には、支えてくれた海那さんの笑顔がありました。
妻と子に捧げるガッツポーズ。
しかし、水谷選手はこれで満足していません。
2歳の娘にも中国に勝つ姿を見せたい…
水谷選手の挑戦は、これからも続いていくことでしょう!
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