「ふぞろいの林檎たち」など、数々の名作を生み出した脚本家、山田太一(たまだ・たいち)さん。
今回は、そんな山田さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆娘はフジテレビ・宮本理江子さん
山田太一さんには娘がいて、名前は宮本理江子(みやもと・りえこ)さん。
1986年に国際基督教大学(ICU)を卒業していますから、今年(2017年)で53歳くらいでしょうか。
大学を卒業後が、フジテレビに入社。
山田太一さんはNHKやTBSの仕事が多かったのですが、フジテレビを選んだ理由は、
たまたま最初に内定が出たから
とのこと(^_^;)
入社後一貫してドラマ制作に携わり、『101回目のプロポーズ』では武田鉄矢さんが演じる主人公がトラックの前に飛び込んで、
僕は死にません!
と叫んだあの名シーンを演出した監督として知られています。
娘・宮本理江子さんは、35歳の時に結婚。
旦那さんは、ICUの同級生とよく行くバーの常連が彼で、絵をかいたりオブジェつくったりする仕事だそうです。
2013年、『最後から二番目の恋』の演出により芸術選奨新人賞を受賞。
この賞は父と娘、親子二代での受賞となりました。
◆もう一人の娘
山田太一さんにはもう一人娘がいて、宮本理江子さんの妹に当たります。
下の娘さんはかつてTBSに勤めており、渡辺真理アナウンサーと同期入社。
芯がしっかりしていて、とても優しい方です。
◆息子は石坂拓郎さん
山田太一さんには息子さんもいて、名前は石坂拓郎(いしざか・たくろう)さん。
1974年8月17日生まれなので、今年(2017年)で43歳になります。
11歳離れた姉・理江子さんの影響が大きかったという拓郎さんは、高校時代に渡米。
大学時代に写真にハマり、カリフォルニア州のチャップマン・ユニバーシティ・フィルムスクールの映画製作学科へ編入しました。
撮影監督としてキャリアをスタートさせた拓郎さんは、「ロスト・イン・トランスレーション」や「世界の中心で、愛をさけぶ」に撮影助手として参加。
撮影監督としては、「さくらん」、「るろうに剣心」などを手掛け、グローバルに活躍しています。
◆実家の父と母
山田太一さんの育った環境も振り返ってみましょう。
山田さんはもともと東京・浅草に生まれます。
実家は当時最も賑わっていた「浅草国際劇場前」で大衆食堂を営み、繁盛していました。しかし、太平洋戦争の終わりが近い1944年、突然、食堂を閉めることになります。
空襲による火事の延焼を抑えるため、街に防空帯を作るために立ち退きを余儀なくされたためでした。
こうして山田少年は、家族で神奈川県湯河原町に移りますが、翌年、母親を病気で失うことになります。
神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年に早稲田大学教育学部国文学科を卒業。
山田さんは教師になって、
休みの間に小説を書きたい…
という希望を持っていましたが、就職難で教師の口はありませんでした。
仕方なく(?)、松竹大船が助監督を募集していると聞いて、松竹を受験。
そこから脚本の世界に入っていったのでした。
◆最愛の妻・和子さん
最後に、最愛の妻・和子さんについて。
妻・和子さんは、山田太一さんとは、早稲田大学の同級生。
同じく同級生の寺山修二さんと山田さんは仲が良く、そして寺山さんは和子さんに恋をしていました。
大学卒業後、和子さんはテレビ朝日のアナウンサーとして活躍。
紆余曲折あって、山田太一さんと結ばれることとなります。
その後、寺山修二さんは映画女優と結婚しましたが別れ、晩年はハーレムの首長のような生活を送ったそうです。
◆まとめ
現在、山田太一さんの自宅は、『岸辺のアルバム』の舞台になった多摩川にほど近い、川崎市の閑静な住宅街にあります。
実は山田さん、2017年1月に脳出血で倒れ、退院したものの
もう脚本家として原稿が書ける状態ではない…
ということ。
しかし、山田さんに悲観した様子はありません。
これからは和子さんと2人で、ゆっくりと余生を楽しまれることでしょう(^_-)
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