お笑いコンビ「ピース」又吉直樹さんの処女作「火花」が芥川賞候補にノミネートされ、話題になっています。
今回は、多才な又吉さんを育んだ家族にスポットを当てご紹介したいと思います。
◆父親の職業?
又吉直樹さんの父・己敏さんは、沖縄県出身です。
お父さんの同級生が経営するという沖縄料理「あぶ」は名護市にあるようなので、お父さんの実家も名護なのかもしれません。
「あぶ」に又吉さんのサインを持っていくと定食が半額になるのだそうで、お父さんは親戚の子供たちに混ざり、又吉さんにサインをねだります。
又吉さんがサンタを信じていた子供のころ、クリスマスの朝に目が覚めたら、枕元に茶色い紙に包まれたプレゼントが置いてありました。
中身はラジコンでしたが、茶色い紙に書かれたサンタからのメッセージには「父より」と記載されており、お父さんの現実的というか演出力が乏しい一面が感じられます。
又吉さんは、高校サッカーの名門「北陽高校」で、サッカー部のレギュラーだったため、当時の監督に、サッカーでの大学進学を勧められました。
しかし、お笑いの道に進むことを決めていた又吉さんは「父の仕事を継ぐ」と言って、その話を断っていました。
ちなみに、お父さんの職業は、自営業ではなく「会社員」です・・・
◆母親
又吉直樹さんの母・みよ子さんは奄美・加計呂麻島の出身です。
又吉さんが幼い頃、お母さんは口癖のように、加計呂麻島の海がいかに美しかったかを嬉々として話してくれました。
話を聞くうちに、「自分も、いつか加計呂麻島に行ってみたい」という気持ちが強くなり、高校生の時にお母さんに志願し、一緒に加計呂麻島を訪れました。
しかし、この時は自身の上京を控え慌ただしく、漠然とした記憶しか残っていなかったため、さらに15年後、番組の企画で加計呂麻島を訪れ、リベンジを果たしています。
又吉さんとお母さんは、今でも仲が良く、月に1回、安否確認のメールをしているそうです。
お母さんは又吉さんの雑誌コラムも読んでいますが、ある意味、それも安否確認のためだそうです。
◆祖父
又吉直樹さんの祖父・宝善さんは、1907年(明治40年)、沖縄で産まれました。
16歳でお兄さんと一緒にハワイに移住しましたが、さとうきびプランテーションの苛酷な労働や白人・日系人からの差別により、かなり苦労をしています。
ハワイにはお嫁さんがいて、エミ子さんという娘もいましたが、2歳で亡くなってしまい、5年後にお兄さんも35歳の若さで亡くなります。
苦労の末、1941年(昭和16年)、真珠湾攻撃の半年前に17年間過ごしたハワイから沖縄に戻りました。
沖縄では近くの集落の娘と再婚し、2人の息子と5人の娘、18人の孫に恵まれ、1981年に亡くなりました。
◆祖母
又吉直樹さんの祖母・千代さんは、90歳を超えていますが、今でも沖縄で元気に暮らしています。
◆2人の姉たち
又吉直樹さんには、4歳年上の姉・愛美さんと、3歳年上の姉・成美さんがいます。
又吉さんが6歳の時、姉たちが漫才をしたいと言いだし、ネタを又吉さんが考え、お父さんを観客に姉たちが漫才を披露しました。
しかし、お父さんはお酒を飲みながら「何が面白いんだ」とバッサリだったそうです。
ともあれ、又吉さんにお笑いの面白さを教えたのはお姉さんたちだったのかもしれません。
又吉さんが売れない時代、実家のリビングでお姉さんと二人きりになった時、「なんで俺だけテレビに出られへんねやろ?」と聞いてみたことがあります。
その時お姉さんは、腕を組んでしばらく考え込み、ようやく顔を上げて、「あのさぁ、直樹は……面白すぎるんじゃないの?」と語ったそうです。
◆まとめ
このように、又吉直樹さんの側にはいつも、苦労しながらもユーモアを忘れない、温かい家族がありました。
賞の行方がどうなるかは分かりませんが、これからもお笑い・小説・スポーツなどの話題で、日本を明るくしてもらいたいですね。
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