バレーボール選手として活躍する、小野寺太志さん。

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今回は、そんな小野寺さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1996年〈平成8年〉2月27日
血液型 :A型
身 長:202cm
出身地 :宮城県名取市
◆家系図・家族構成

小野寺太志さんは、父親・母親との3人家族で育った一人っ子です。
父親は小野寺学(おのでら・まなぶ)さん。
母親は小野寺いく子(おのでら・いくこ)さんです。
そして太志さんは2022年4月、かねてから交際していた女性との結婚を発表しました。
妻は一般の方で、名前や生年月日など詳しいプロフィールは公表されていません。
夫妻には、
- 2022年9月26日生まれの長男
- 2023年12月31日生まれの長女
の2人の子供がいます。
2025年のインタビューでは、3歳の長男と1歳の長女を育てる「2児の父」としての素顔も紹介されています。
◆実家・生い立ち
小野寺太志さんは、宮城県名取市で生まれました。
母・いく子さんによると、太志さんは予定日の3月3日より少し早い2月27日に誕生。
出生時から身長55cm、体重4000gという大きな赤ちゃんでした。
その後も身長は伸び続け、小学校6年生で170cm、中学入学時には178cmに達していたといいます。
ところが、そんな大きな身体を持つ少年が選んだ競技は、バレーボールではありませんでした。
野球です。
名取市は野球が盛んな地域でもあり、太志さんは小学3年生から近所のスポーツ少年団で野球を始めます。
中学校でも野球部に所属。
身長はさらに伸び、中学3年間で2m近くにまで成長しました。
それでも本人は、バレーボール選手になることなど考えていませんでした。
◆父親・小野寺学さん
父親の小野寺学(おのでら・まなぶ)さんは、学生時代はバレーボール選手でした。
東北高等学校から順天堂大学へ進学し、大学時代にはインカレにも出場した経験があります。
身長は186cm。
つまり、太志さんは幼い頃から、バレーボール選手だった父親の姿を身近に見て育ったことになります。
ただし、父親は息子に無理やりバレーボールをさせようとはしませんでした。
むしろ小野寺家では、太志さん本人が「やりたい」と思うことを尊重するという考え方がありました。
そんな父親が、息子の人生を大きく動かすことになります。
中学3年生の夏。
野球部を引退した太志さんに、父・学さんが、
JOCカップの選考会があるから、太志、行きなさい
と勧めました。
「全国都道府県対抗中学バレーボール大会」の宮城県選考会です。
実は太志さんは中学2年生のときにも声を掛けられていました。
しかし、その時は野球を続けていたため断っています。
中学3年で野球部を引退したことで、今度は断る理由がなくなりました。
そして参加した選考会をきっかけに、太志さんの人生はバレーボールへと大きく方向転換していきます。
◆母親・小野寺いく子さん
母親の小野寺いく子(おのでら・いくこ)さんは、さらに華やかな競技歴を持っています。
1981年から1989年まで、実業団の名門だった富士フイルム女子バレーボール部でプレー。
主将を務めた経験もある、トップレベルの選手でした。
いく子さん自身も身長179cmの長身選手です。
ところが、そんな母親は太志さんにバレーボールを勧めませんでした。
理由がありました。
現役時代に両膝を痛めるなど、競技生活で苦しい経験を重ねていたからです。
本人は、バレーボールが嫌になるほど苦しい思いをして現役を終えたと振り返っています。
そのため、息子には、
バレーをさせたくない
という気持ちがあったそうです。
太志さんが野球を続けていたのも、そんな母親の思いと無関係ではありませんでした。
ところが、息子が中学3年生になると状況が変わります。
父親の勧めでバレーボールの選考会に参加することになった太志さん。
母・いく子さんも、本人がやる気を持つのであれば、と次第に背中を押すようになります。
そして始まったのが、周囲の大人たちを巻き込んだ「バレーボール勧誘計画」でした。
◆バレーボール未経験で東北高校へ
宮城県選抜として全国大会に出場した太志さんは、そこで才能を見せます。
バレーボールを始めたばかりにもかかわらず、将来の有望選手として注目されました。
そして進学先に選んだのが、父・学さんの母校でもある東北高等学校です。
入学時点では、バレーボールのルールも十分には分からない「素人」でした。
それでも、身長2m近い身体能力は大きな武器でした。
なんと高校1年生の早い段階から公式戦に出場。
母・いく子さんは、
太志、スタメンなの?
と驚いたといいます。
本人も「最初からセンターをやれ」と言われ、ブロックやクイックを一から覚えていきました。
そこからの成長は早く、高校1年生で日本代表に選出。
東海大学を経て、JTサンダーズ広島へ進み、日本代表へとつながっていきます。
中学まで野球をしていた少年が、わずか数年で日本を代表するバレーボール選手になったのです。
◆父親が仕事と家事を引き受けた日
太志さんの成長を支えた家族の姿には、もう一つ印象的なエピソードがあります。
いく子さんに東京勤務の辞令が出た時のことです。
家族で引っ越すことは難しく、いく子さんは仕事を辞めることも考えました。
その時、夫の学さんは、
働いて下さい。家のことは、僕が全部やりますから
と答えました。
そこから父親は、バレーボールに励む息子を生活面から支えることになります。
練習への送り迎え。
洗濯。
掃除。
食事。
そして弁当まで作りました。
料理が得意だったわけではありません。
それでも「俺がつくる」と言って、早起きをして太志さんの弁当を用意しました。
母親が太志さんに「ちゃんと生活できている?」と尋ねると、
父ちゃんの料理、茶色いんだよね(笑)
と答えたそうです。
それでも、太志さんは父親が作った弁当を全部食べました。
父親の大きな手で作られた、大きなおにぎり。
周囲から「太志のデカいな」と言われると、太志さんは笑いながら、
しょうがないよね、父ちゃんの手、でっかいから
と答えていたそうです。
競技生活を支えたのは、特別な英才教育だけではありません。
毎日の弁当を作る父親と、遠くから息子を見守る母親。
そんな普通の家族の愛情でした。
◆妻と2人の子供
2022年4月3日、太志さんは自身のSNSで結婚を発表しました。
妻については一般の方ということ以外、名前や生年月日、職業などは公表されていません。
同年9月26日には、第一子となる男の子が誕生。
3492gの元気な男の子でした。
太志さんは、

元気に産んでくれた奥さんにはとても感謝しています
と喜びをつづり、

これからはより一層の責任を持って家族を守っていきます
と決意を示しました。
そして2023年12月31日には、第二子となる女の子も誕生。
小野寺家には、男の子と女の子の2人の子供が生まれました。
2025年のインタビューでは、3歳の長男と1歳の長女との家庭生活についても語っています。
日本代表として世界を飛び回る一方、家に帰れば「お帰り」と迎えてくれる子供たちがいる。
202cmの巨体を持つ日本代表選手も、家庭では一人の父親なのです。
◆エピローグ
小野寺家には、忘れることのできない出来事があります。
2011年3月11日——。
太志さんは、中学校の卒業式の日でした。
卒業式を終え、家族旅行へ出発する準備をしていたところ、東日本大震災が発生します。
宮城県名取市の自宅は高台にあったため、津波の被害を免れました。
しかし、父・学さんの故郷である気仙沼の実家は被災。
当たり前だった日常が、一瞬で変わったのです。
太志さんはその後、地域のボランティア活動にも参加しました。
そして、故郷で起きた出来事を胸に刻みながら、バレーボールの道を歩んでいきます。

当たり前の日常に感謝する
その経験は、後の太志さんの人生にも大きな意味を持つことになりました。
今では小野寺さん自身が、妻と2人の子供を守る父親になりました。
かつて両親から受け取った大きな愛情と自身の経験を次の世代へ——。
家族の物語は、静かに続いています。
◇出典
- JOC(日本オリンピック委員会)「小野寺 太志」プロフィール・オリンピック成績
- サントリーサンバーズ大阪「Vol.9『今季は1人1人が自立している』小野寺太志」
- Number Web「『まさか日本代表になるなんて』男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで」
- Number Web「『足は引っ張らないでくれと…』男子バレー小野寺太志の母が語る、素人同然だった息子がオリンピック選手になった日」
- 日刊スポーツ「中学卒業日に被災小野寺太志、今も地元宮城のために」
- スポニチアネックス「バレーボール日本代表・小野寺太志 第一子男児誕生を報告」
- J SPORTS「小野寺 太志|選手名鑑」



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