報道番組のキャスターとして、落ち着いた語り口と確かな取材力で支持されている、膳場貴子さん。

筋肉少女帯の追っかけやってました!
今回は、そんな膳場さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1975年〈昭和50年〉2月28日
出身地 :東京都
出身大学:東京大学医学部健康科学・看護学科
◆家系図・家族構成

膳場貴子さんは、両親と2人の姉を持つ三姉妹の末っ子として育ちました。
父親は商社マンとして海外を飛び回り、貴子さんはいわゆる帰国子女です。
姉は2人。
長姉はピアニストとして音楽の道に進み、次姉は東京大学を卒業し、その後早稲田大学の教授を務めています。
そして三女が、膳場貴子さんです。
それぞれが異なる世界で活躍する、個性豊かな三姉妹でした。
◆実家「膳場家」は世田谷の旧家
膳場さんを語るうえで、忘れてはならないのが「膳場家」の歴史です。
膳場家は、安土桃山時代に下北沢の地を開墾したとされる膳場将監(ぜんば・しょうげん)の子孫と伝えられています。
現在の世田谷では、大場家、秋山家と並ぶ「三大地主」の一つとして紹介されることもあります。
つまり膳場さんは、単に東京で生まれ育ったというだけではなく、長い歴史を持つ家に生まれた女性なのです。
ただし、本人は家柄を前面に出すタイプではありません。
東京大学を卒業し、NHKアナウンサーとなり、報道の第一線で歩んできた姿からは、むしろ自分自身の力で道を切り開いてきた印象を受けます。
◆父親は世界を飛び回る商社マン
膳場貴子さんの父親は、膳場昭さんです。
昭さんは三井物産に勤務した商社マンで、海外勤務も多い国際派のビジネスマンでした。
その仕事の関係で、膳場さん一家は海外で暮らした時期があります。
膳場さんが西ドイツで暮らしていたのは、1歳から7歳まで。
幼い少女にとって、日本とは異なる文化や街並みの中で過ごした時間は、後の人生に少なからず影響を与えたことでしょう。
しかし、海外生活から帰国すると、今度は日本の学校になじめず、苦労した時期もあったと話しています。
現在の膳場さんからは想像しにくいですが、子どもの頃から何もかも順風満帆だったわけではありません。
そんな少女時代を支えたのが家族でした。
◆父親のコートに残った「タバコのにおい」
仕事人間だった昭さんは、出張や接待などで家を空けることも多かったといいます。
だからこそ、たまに父親が早く帰宅すると、貴子さんは嬉しさのあまり、

おかえり!
と抱きついていたそうです。
幼い娘の記憶に残っているのは、父親の姿だけではありません。
父親のコートに染みついた、タバコのにおい。
それは、世界を飛び回る商社マンだった父親と、家で帰りを待っていた娘との距離を象徴するような記憶です。
華々しい経歴の陰には、そんな普通の「父と娘」の時間がありました。
◆母親は娘たちを見守った存在
膳場貴子さんの母親の名前や生年月日は公表されていません。
しかし、貴子さんについて語った言葉から、その人柄を垣間見ることができます。
三姉妹の末っ子だった貴子さんについて、母親は、
何事もヤル気マンマン
と話していたそうです。
ニュースキャスターという仕事柄、膳場さんはプライベートなことで騒がれることもありました。
心配する母親と感情的にぶつかったこともあるのだとか。
そんな時、間に入ったのは父・昭さんでした。
仕事のマイナスも含めて引き受けるなら、自分の思うようにすればいい
と冷静に声をかけてくれて、仕事や家族のバランスを取ってくれたのでした。
◆長姉はピアニスト
長姉の名前は、膳場綾子(ぜんば・あやこ)さん。
綾子さんは貴子さんより7歳年上で、音楽の道へ進みました。
ドイツの音楽大学でピアノを学び、演奏家として活動。
その後、スペイン人の音楽家と結婚し、スペインで暮らしていると報じられています。
実家には現在もグランドピアノが置かれているそうです。
◆次姉は大学教授
膳場貴子さんの次姉の名前は、膳場百合子(ぜんば・ゆりこ)さん。
百合子さんは貴子さんより4歳年上で、貴子さんと同じ東京大学を卒業しています。
その後は早稲田大学の教授を務めています。
つまり膳場家の三姉妹は、
長女=音楽
次女=学問
三女=報道
と、それぞれ異なる分野で才能を発揮してきたことになります。
華やかではありますが、決して同じ道を歩むことを求められた姉妹ではありません。
それぞれが自分の世界を持っていることこそ、膳場家の大きな特徴なのでしょう。
◆三姉妹の末っ子
貴子さんは、1975年〈昭和50年〉2月28日に東京都で生まれました。
幼い頃は姉たちについて回る、甘えん坊な末っ子だったといいます。
東京大学の合格発表を見に行くときにも、一人では不安だったため、次姉についてきてもらったというエピソードが残っています。
現在の姿からすると、少し意外ですね。
テレビでは、政治家にも専門家にも物おじせず質問する膳場さん。
そんな彼女にも、姉の背中を追いかけていた少女時代がありました。
やがて東京大学へ進み、医学部健康科学・看護学科を卒業。
1997年、NHKに入局します。
その後、報道の世界で頭角を現し、『NEWS23』『報道特集』などでキャスターを務めるようになります。
◆結婚と2度の離婚
膳場貴子さんは、これまで3度の結婚を経験しています。
最初の結婚は2001年5月。
相手は東京大学時代の同級生で、2003年2月に離婚しました。
2005年には再婚。
2人目の夫も東京大学出身で、当時は大手電機メーカーに勤務していました。
しかし、この結婚生活も長くは続かず、2007年末に離婚しています。
そして2015年、3度目の結婚を果たしました。
現在の夫は、膳場さんと同い年の一般男性。
東京大学時代の同級生で、大手広告代理店勤務と報じられています。
名前などは公表されていません。
再々婚を報じた際、膳場さんの母親は夫について、
とても心の広い優しい方
と話していました。
さらに父親も、
もし自分が採用試験の面接官なら、彼を一番に取る
と高く評価していたと伝えられています。
家族からこれほど信頼される人柄だったのでしょう。
◆40歳で授かった娘
2015年、40歳だった膳場さんは第一子の妊娠を発表しました。
同年11月20日、『NEWS23』で産休に入ることを報告。
そして11月30日、女児を出産したことを実母が明らかにしています。
膳場さんにとって、40歳で初めて授かった子供でした。
母親になった膳場さんは、出産からわずか70日ほどで仕事へ復帰。
母となったキャスターとして、再び報道の現場に立ちました。
仕事と家庭。
どちらか一方を選ぶのではなく、両方を抱えて歩いていく人生が始まったのです。
◆家族が寝静まった後の一人の時間
膳場さんは、2024年に『サンデーモーニング』の司会に就任しました。
長く報道の現場に立ってきた一方で、以前は「家族が寝静まった後の1人の時間が好きだった」とも語っています。
これは、三姉妹の末っ子として育った膳場さんの意外な一面でしょう。
家族に囲まれて育った少女が、やがて自分自身の静かな時間を大切にする大人になった。
そして今は、自分が母親として一人の娘を育てています。
かつて父親の帰宅を待っていた少女が、今度は自分が家族の帰る場所をつくる側になったのです。
◆エピローグ
膳場貴子さんの人生をたどると、「家族」という言葉が何度も登場します。
世田谷に根を張ってきた膳場家。
世界を飛び回った父・昭さん。
娘たちを見守った母。
音楽の道へ進んだ長姉。
学問の道を歩む次姉。
そして報道の世界へ進んだ末っ子・貴子さん。
さらに40歳で授かった、一人の娘。
膳場さんがニュースを伝えるとき、その声にはどこか静かな強さがあります。
それは、名門の家に生まれたからでも、東京大学を卒業したからでもありません。
海外生活、家族との別れ、結婚と離婚、母になるという人生の節目を、一つひとつ自分自身の足で越えてきたからこそ生まれる強さなのではないでしょうか。
家族から受け取ったものを胸に、自分の人生を歩みながら――。
膳場貴子さんの物語は、これからも続いていきます。
◇出典
- 週刊女性PRIME「膳場貴子『大地主』『エリート家族』『3度の結婚』『サンデーモーニング』新司会のあっぱれ素顔」
- スポニチアネックス「膳場アナまた離婚していた」
- 日刊スポーツ「膳場貴子アナが番組で産休入りを報告 復帰も約束」
- 女性自身「“降板報道”膳場貴子アナ 実母は『精神状態が…』と心配」
- 東京大学医科学研究所「プラチナ通り」
- 膳場昭氏「私の履歴書 筑駒3期『膳場 昭』」
- テレビジョン「膳場貴子プロフィール」




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