元テレビ朝日のアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活躍する、古舘伊知郎さん。
今回は、そんな古舘さんの妻や息子、娘など『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆妻は元JALのキャビンアテンダント
古舘伊知郎さんは、1987年7月に結婚しています。
奥様は5歳年下の女性で、元JALのキャビンアテンダント。
古舘さんが仕事でハワイに行った時、機内で出会ったのだそうです(#^.^#)
2人の結婚式には、夜のヒットスタジオで共演した、芳村真理(よしむら・まり)さんが司会を努めています。
2004年から2016年まで『報道ステーション』のキャスターをつとめた古舘さん。
降板する理由を、
12年をひと区切りにして…
と説明しましたが、額面通り受け止める人はいません。
古舘さんの反権力、とくに反原発の姿勢が、安倍政権と近いテレ朝の幹部に受け入れられなかった…
などと憶測を呼びました。
実は古舘さんが降板した本当の理由は、奥様から
もうキャスターは降板してほしい
と迫られていたからです。
奥様がそう望んだ理由は、
- 夫の健康状態やストレスが心配
- 夫が多忙すぎて家のことを考える余裕がない
- 悩みがあっても古舘さんに相談することができない
というものでした。
しかし、古舘さんは、
久米(宏)さんは18年間やった。自分はまだ12年。東京五輪までは続けたい
と、言うことを聞きません。
最終的に、奥様は自身が署名・捺印した離婚届を突きつけ、①降板 ②離婚 のどちらを選ぶのかを迫りました。
怒濤のしゃべりで知られる古舘さんも、これには絶句。
そうして無事に(?)番組降板へと至ったのでした。
◆息子(画像)はバンドマン
古舘伊知郎の息子さんの名前は、古舘佑太郎さん。
1991年4月5日生まれなので、年齢は今年(2020年)で29歳になります。
息子さんは、ロックバンド『THE SALOVERS』のボーカル・ギターを務める人物。
『THE SALOVERS』は、慶應義塾高校の同級生4人で結成したバンドでしたが、2015年3月に活動を無期限休止しています。
それではここで、息子さんの画像をご紹介します。
なかなかのイケメンですが、やはり、面影がお父さんに似ていますね!
息子さんは現在、新たなバンド『2(ツー)』として活動しているほか、俳優活動にも力を注いでいます。
2017年には朝ドラ『ひよっこ』に、和菓子店の長男・ヤスハル役で出演しています。
◆娘の友達は吉田明世
古舘伊知郎さんには娘さんもいて、成城大学の出身です。
娘さんはフリーアナの吉田明世(よしだ・あきよ)さんと成城学園初等学校のころからの同級生で仲が良く、吉田さんはよく自宅に遊びに来ていました。
娘さんが小学生のとき、吉田さんと一緒にパレスチナ問題について古舘さんに質問したことがあります。
この時、娘さんは聞いた手前、親を立てて話を聞いていてくれましたが、吉田さんは30秒ぐらいでウトウト…(^^;)
吉田アナも、
家に遊びに行くと、夜中に古舘さんが帰ってきて、5分間ぐらいマシンガントークして去っていくっていうのが毎回のパターンだった
と、話しているので、話が退屈なのではなく、夜中なので眠かったのでしょう(^_-)
娘さんは現在、「父親とは違う世界を選択したい」として、テレビ業界を敬遠し、アパレル会社に就職しています。
◆実家は東京
古舘伊知郎さんは、東京都北区の出身。
ちなみに両親は、戦前の中国・青島で生まれています。
古舘さんの学歴は、
- 北区立滝野川第二小学校
- 千代田区立今川中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)
- 立教高等学校(現:立教新座高等学校)
- 立教大学経済学部
意外にも小学生のときは人前で喋ることが苦手で、朗読の時間はいつも寝たふりをしていたそうです。
◆父親の職業は?
古舘伊知郎さんのお父さんの名前は、古舘順太郎さん。
お父さんの職業は、会社経営者であり、東証2部上場企業である『ハマノ工業』の社長を努めていました。
ハマノ工業は後にミサワホームに買収され、事業はミサワセラミックスに引き継がれています。
古舘さんは、お父さんの事を次のように評しています。
いっさい愚痴をこぼさないタイプで。率先して自分でやるような、昔の気骨をもった人だった…
お父さんは、76歳のときに心筋梗塞で亡くなりますが、この時も、助けを呼ぶこともなく、マンションの一室でひっそりと亡くなっていました。
人になるべく迷惑をかけない生き方を心掛けたお父さんは、最期まで自分の生き方を貫き通したのでした。
◆姉の病気
古舘伊知郎さんの6歳上のお姉さんは、古舘さんより話が上手で、憧れの存在でした。
しかしお姉さんは、37歳でがんを発症し、3回の手術もむなしく、42歳の若さで亡くなってしまいました。
元フジテレビのアナウンサーであった逸見政孝(いつみ・まさたか)さんは、同じように身内を癌で亡くしており、この時、古舘さんにお悔やみの手紙を送っています。
ここから2人の間に交流が生まれ、逸見さんが癌で闘病中は、古舘さんが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を代行したのでした。
◆母親の最期
無口だった古舘少年でしたが、プロレスが大好きで、200名以上のプロレスラーを丸暗記していました。
そこに立ちはだかったのが、お母さん。
お母さんは、外国の俳優・女優の名前を全部暗記していたのだそうです。
そうして母と息子は、映画俳優とプロレスラーの記憶勝負をするようになります。
喋り達者なお母さんと、どちらかが言えなくなるまで名前を言い続ける…
古舘さんは後に、
この対決が喋ることへの目覚めだった…
と、振り返っています。
お姉さんの闘病生活の際、古舘さんのお母さんは毎日のように「私が変わってやりたい」と話していました。
すると、奇しくもお母さんは、お姉さんと同じ病気になってしまい、母娘同時に、同じ病院に入院してしまいます。
古舘さんは、献身的に母を見舞いますが、お母さんの最期を看取る事は出来ませんでした。
お母さんが亡くなってから数時間後に始まった「報道ステーション」の生放送では、いつもと変わらぬ様子で、淡々とニュースを伝えたそうです。
◆まとめ
お姉さんとお母さんが、同時に入院してしまった時、古舘さんは、
両方入院しちゃってこれから大変だよ、参ったね…
とお父さんに愚痴りました。
しかし、お父さんはこう返します。
伊知郎何言ってんだ。早く寿司食わなきゃ、寿司食うだろ、酒飲むだろ、ウチ帰ってサッと寝るだろ、で、朝起きるだろ。2人とも仕事いく。毎日がそうやって続くんだから。頑張んなきゃだめだよ。さ、帰ろう帰ろう
この言葉に、古舘さんは大変元気づけられたそうです。
今は亡き家族との思い出を胸に、古舘さんの挑戦は続いていきます。
◇編集後記
古舘伊知郎さんが愛用する腕時計を探してみました。
報道ステーションを降板し、フジテレビで『フルタチさん』を始めたころにつけていたのがこちらです。
ジラール・ペルゴは、1791年スイスで創業以来、220年以上にわたってスイス時計界を牽引する存在です。
伝統がありながら、自己主張が強いデザインが特徴といえるでしょうか。
ある意味「12年間の束縛」を振り払った古舘さんにピッタリの時計ですね(^_-)
コメント
[…] 引用元 […]
古舘伊知郎は3姉弟の真ん中で姉と妹が居るはずだ
息子も同様。
古舘佑太郎姉はもう結婚して義理の兄はいるだろうか
コメントありがとうございます。
古舘さんも息子さんも、姉と妹がいる(いた)ということですね。
貴重な情報をありがとうございます。
[…] 姉が一人(長男だが実質次男?) […]