自由民主党所属の衆議院議員で、ジョイフルの社長も務めた実業家でもある穴見陽一氏。
今回は、そんな穴見議員を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【個人プロフィール】
名前:穴見陽一(あなみ・よういち)
生年月日:1969年7月24日(48歳)※2018年6月
身長:186cm
血液型:A型
出身地:大分県佐伯市
◆息子の年齢は?
穴見陽一議員には、3人の子供がいます。
2014年5月24日にはFacebookに、
“今日は息子の運動会で、僕は大分に戻れないけど、朝、奥さんがお弁当の力作をLINEで送って来てくれました。美味しそう!”
とありました。
「運動会」ということなので、この時の息子さんは小学生くらいでしょうか。
息子さんはゆくゆくは、政治家として地盤を継ぐのでしょうか。
それともジョイフルという大企業を引き継ぐのでしょうか。
この疑問について、穴見議員はこう綴っています。
“「息子には絶対に継がさない」という言葉を公言し続けていた父の思いは、同族経営からの脱却を意図していたと私は考えてきました。だから私は、同族経営をやめて、広く世間から、そして社内の人材から経営者を求め、育てることを目指しました”
この言葉が本当ならば、息子さんの将来は、社長ではなく政治家ということになりますね。
◆娘の年齢は?
穴見陽一議員には、娘さんもいるようです。
“娘とともに生まれた中国ジョイフル”
と話していますので、娘さんは中国ジョイフルが設立された1997年生まれなのでしょう。
◆妻はジョイフル社長!?
穴見陽一議員の妻は、穴見くるみさん。
1972年10月31日生まれなので、現在(2018年6月)45歳になります。
大学は中央大学商学部を出ているので、穴見議員が法政大学時代に知り合ったのでしょうか?
お2人が結婚したのは、穴見議員が27歳、奥様が24歳の時。
結婚して、すぐに縁もゆかりもない岡山県に移住し、株式会社中国ジョイフルを設立。
1号店を立ち上げながら娘の夜泣きをあやし、深夜の急患に走り、奥様と大喧嘩…。
すべてが新しく経験することばかりで、どうしていいのかも考える余裕もなく、ただがむしゃらに駆け抜けました。
大変な局面を乗り切れたのは、やはり奥様の支えがあったからでしょう。
現在、政治家に転身した穴見議員に代わり、妻のくるみさんがジョイフルの社長を務めています。
◆父親はジョイフル創業者
穴見陽一議員の父親は、穴見保雄さん。
父・保雄さんは、元々は焼肉店を経営する商売人で、機を見てファミリーレストランに業態転換し、規模を拡大しました。
穴見議員は小学校に入学すると、保雄さんから毎朝走らされたそうです。
雨の日は走らなくてすんだので、いつも
“雨が降らないかなぁ”
と願っていたのだとか。
このおかげで、穴見議員は強い足腰と強い忍耐力を得ることができました。
後にジョイフルに入社した穴見議員は、株式上場準備をすすめるうちにメニュー政策によって
大幅な売上増を実現。
それを契機に、グループ本社の父と経営を交代することになりました。
実は父・保雄さんは
“息子に後は継がさない”
と公言し続けていたといいます。
それは、自分の苦しんで生きてきた道を息子に味あわせたくないという優しい親心でした。
しかし穴見議員は、父の事業をこれからもずっと残していける事業に育てていきたかったのです。
◆母親の出身は?
穴見陽一議員の母親は、大分県佐伯市直川村の出身。
穴見議員が幼い頃は、実家は深夜営業の焼き肉店を営んでいたので、穴見議員はよく母の実家に預けられ、小川や野山でいつまでも遊んでいたそうです。
◆弟はビジネスホテルを展開
穴見陽一議員には弟がいて、名前は穴見賢一さん。
穴見少年は1歳下の弟をいつも心配してかわいがる優しい子供だったそうです。
弟の賢一さんは、現在、郊外型ビジネスホテルを展開する、株式会社アメイズの社長を務めています。
◆まとめ
穴見陽一議員はホームページ上で、家族への感謝の気持ちを述べています。
“妻には本当に言い尽くせない苦労をかけ、それに耐え抜いてもらいました。申し訳なさで、ただはらはらと涙が止まらないことが何度もありました。それでもいつも私を愛し続けてくれている。ありがとう、ありがとう。
子どもたちも、こんな出来の悪い父親をいつも思いやってくれて、いつも助けてくれて、ありがとう、ありがとう。
父さん、私を鍛えてくれ、私にあらゆるチャンスを与えてくれた。母さん、私を守り、私のあらゆる失敗を許してくれた。
ありがとうございます、ありがとうございます…”
これからも家族への想いを胸に、穴見議員の挑戦は続いていきます(^O^)/
コメント