岸田文雄の『家族』~妻・裕子さんとの間に息子が3人…長男は元秘書官・岸田翔太郎、代々政治家の華麗なる家系図

自由民主党に所属する国会議員、岸田文雄さん。

高校時代のあだ名はボクらのパパです!

今回は、そんな岸田さんの妻や3人の息子など『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:岸田文雄(きしだ・ふみお
生年月日:1957年〈昭和32年〉7月29日
身  長:174cm
血液型 :AB型
出身大学:早稲田大学大学院法学研究科・法学部
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◆実家は広島か東京か?

岸田文雄さんの選挙区は広島1区であり、オバマ大統領に広島を案内するなど、広島のイメージが強いですよね?

しかし、岸田さん自身は東京生まれで、小学校一年生から三年生まではアメリカ・ニューヨークで暮らしています。

帰国後は、千代田区立永田町小学校の三年次に転入。

千代田区立麹町中学校を経て、男子御三家の開成高等学校を卒業しています。

東京大学を志しますが、その望みはかなわず。

1年浪人して1982年、早稲田大学法学部へと進みました。

◆父親の職業は?

岸田文雄さんの父親の名前は、岸田文武(きしだ・ふみたけ)さん。

1926年〈大正15年〉8月19日に広島で生まれ、高校は旧制東京高等学校を卒業しました。

そして1945年〈昭和20年〉に東京大学へ進学。

しかし時代は戦争末期であり、7月には学徒動員で旭川の師団に入隊しました。

終戦後、1949年に通産省に入省。

約30年通産官僚として努め、1979年の総選挙で衆院議員に当選しました。

当選同期には麻生太郎(あそう・たろう)さんがいます。

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政治家としては、豊富な経験と卓越した識見をもって、広い範囲で活躍。

将来を嘱望されましたが、1992年8月4日、65歳で亡くなっています。

◆母親も名家の出身

岸田文雄さんの母親の名前は、岸田澄子(きしだ・すみこ)さん。

1931年生まれなので、父親より5歳年下になります。

津田塾大学を卒業した才女です!

母・澄子さんは、三菱商事の常務や日東製粉の社長を務めた、井口良治(いぐち・りょうじ)さんの次女に当たります。

2020年5月1日に88歳で亡くなりました。

◆弟の妻も名家出身

岸田文雄さんには弟がいて、名前は岸田武雄さん。

武雄さんは慶應義塾大学を卒業し、三菱商事に勤務しています。

妻である篤子さんは、ポテトチップスで有名な湖池屋の創業一族です。

◆姉妹について

岸田文雄さんには妹もいて、名前は典子さん。

典子さんは、国税庁長官である可部哲生(かべ・てつお)さんに嫁いでいます。

可部さんは、筑波大附属駒場高校を経て東大法学部を卒業。

アメリカ大使館時代に、米国の弁護士資格やクルーザー免許も取得するほどの『資格マニア』として知られています

祖父は最高裁判事を務めた可部恒雄(かべ・つねお)さんということなので、こちらもサラブレッドですね。

岸田さんにはもう一人、純子さんという姉妹がいるという情報もありますが、真偽が定かではありません。

◆祖父も政治家

岸田文雄さんの父方の祖父は、岸田正記(きしだ・まさき)さん。

祖父の正記さんは、広島県立広島商業学校長崎高等商業学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。

先代の貸家業を継ぎ、1933年に幾久屋百貨店を創立すると、大連および奉天で不動産業や百貨店を経営しました。

1928年に衆議院議員となって、以後6期連続当選。

第1次近衛内閣の海軍参与官、小磯内閣の海軍政務次官、翼賛政治会国防委員長、自由党総務等を歴任しました。

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