2004年アテネ、2008年北京の五輪2大会連続で、金メダルを獲得した柔道家・内柴正人さん。
今回は、そんな内柴さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:内柴正人(うちしば・まさと)
生年月日:1978年6月17日(40歳)※2018年7月現在
身長:160cm
引退:2010年10月
◆2003年に結婚、お嫁さんは?
内柴正人さんは、2003年3月に結婚しています。
お嫁さんの名前は、「あかり」さん。
年齢は、内柴さんより2歳年下です。
お嫁さんは、帝京大学柔道部の内柴さんの後輩で、卒業式の日に2人は結婚しました。
お嫁さんも柔道3段の実力者であり、時には走り込みにつきあい、投げ技の練習相手も務めました。
そして、結婚翌年の2004年6月に第一子を出産。
2ヶ月後に出場したアテネ五輪で、内柴さんは待望の金メダルを獲得しています。
◆お嫁さんの支えで五輪連覇
お嫁さんのあかりさんは、アテネ五輪の後から、柔道整復師の勉強を始めました。
将来、メダリストの夫と一緒に道場を開くのが夢でした。
一方、内柴正人選手は現役を続行。
メダルストといえど競技は順調ではなく、何度も「やめたい」と考えていたそうです。
しかし、一生懸命家事をしながら学校に通っている妻と子供を
“北京に連れて行きたい”
と、歯を食いしばりました。
お嫁さんも、大会と合宿で年間3分の1は帰らない夫の分まで、東京の自宅で子供の面倒を見ました。
そうして2008年の北京五輪で2連覇達成。
「金」が決まった瞬間に見た先には、観客席にいるお嫁さんと子供の姿がありました。
◆お嫁さんと離婚に…
北京五輪の翌年、2009年6月には、第2子が誕生。
2つの金メダルと、2人の子宝に恵まれ、内柴正人さんにとって人生のピークがここにありました。
2010年10月に現役を引退。
そして2011年、悪夢の事件が日本中を驚かせます。
コーチを務める九州看護福祉大学の女子柔道部の教え子に酒を飲ませ、無理やり関係を強要したというのです。
警視庁は準強姦容疑で内柴さんを逮捕。
内柴さんは容疑を否定しましたが、2014年4月23日、最高裁判所にて懲役5年の実刑判決が確定しました。
当初は内柴さんの無実を信じていたお嫁さんでしたが、次々と内柴さんの女性関係が明らかとなるにつれ、心が離れていきました。
2012年11月、夫妻は離婚をしています。
◆子供は現在…?
前述のとおり、内柴正人さんには2人の子供さんがいます。
第1子は、2004年6月生まれの男の子。
第2子は、2009年6月生まれの女の子。
それぞれ現在(2018年7月)、14歳と9歳になっていますね。
2人の子供さんはお嫁さんが引き取っており、現在どこで何をやっているのかは分かりません。
しかし、五輪を2連覇した父親と柔道三段の母親の血を引く子供…。
柔道の凄まじい才能があることは間違いない事でしょう。
◆再婚のお相手は?
内柴正人さんは、2018年春に再婚しています。
お相手は、問題を起こした九州看護福祉大で、内柴さんの教え子だった女性です。
新しいお嫁さんは、高校時代にインターハイで活躍した逸材で、内柴さんの指導を受けるため、他県から入学してきました。
内柴さんが逮捕されてからも、面会に訪れていたという新しいお嫁さん。
面会を重ねるうちに、2人の関係は恋愛関係に発展していったのだそうです。
2018年8月からは、中央アジアのキルギスで柔道男子チームの総監督に就任した内柴さん。
2人の新しい生活は、キルギスで始まっています。
◆父親と3人の母親
内柴正人さんには、産みの母、育ての母、現在の母と、3人の母が存在します。
産みのお母さんは、内柴さんが6歳の時に家を出て行きました。
しかし毎週土曜日、父には内緒で、小学校の裏の公園で産みの母と会っていた内柴少年。
ときに仕事で会えない日には、手作りのお弁当が木に吊るされていました。
“それだけが二人の絆だった…”
そう振り返る内柴さんの目は、6歳の少年そのものでした。
◆育ての母との別れ
しかし、内柴少年と産みの母との絆は、父の再婚によって断ち切られます。
“正人、もうタヨ子(産みの母)には会うな。お前には新しいお母さんがいるんだぞ”
という、父からの言葉。
新しい母がどれだけ愛してくれても、断ち切れない産みの母への想い。
それでも内柴さんは現在の父と母を想い、自分の心にケジメをつけたのです。
“俺、母ちゃんとはもう会わない。母ちゃんのところに死んでも行かない!”
産みの母はその言葉を聞き、
“じゃあ会うべきじゃないんだな”
と思い、内柴少年を抱き上げて顔を拭いてあげてました。
それが2人の最後となりました。
◆育ての母と現在の母
産みの母との辛い別れを経験した内柴正人さんですが、再婚相手である「育ての母」にも感謝しています。
3人目となる「現在の母」は、内柴さんが25歳の時に内柴家に嫁いできました。
内柴さんが現役時代に辛いとき、家に帰ってきて優しくしてくれたのは、現在のお母さんです。
内柴さんは3人の母親にとても感謝しているのでした。
◆柔道のきっかけは兄弟
内柴正人さんは9歳で柔道を始めました。
そのきっかけは
“兄に喧嘩で勝つため”
だったと言われています。
しかし、両親の離婚に伴い、兄と妹は母親に引きとられ、内柴さんだけ父親の下で育てられました。
そして、兄は2005年に熊本市内のホームセンターで工具4点を盗み、男性警備員に暴行をした疑いで逮捕されました。
内柴さんがアテネで金メダルをとった翌年のことでした。
◆まとめ
内柴正人さんは20歳のとき、柔道の大会で優勝して、10年ぶりに産みの母に電話をしました。
産みの母は電話口で泣きながら
“ごめんね”
と繰り返しました。
さらに内柴さんは、アテネ五輪の会場に産みの母を招待し、勝ち取った金メダルを産みの母に捧げたといいます。
日本中が歓喜に沸いたあのメダルには、そのような意味も込められていたのですね。
これからも家族のために、内柴さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
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