柔道女子48キロ級でリオ五輪代表の、近藤亜美(こんどうあみ)選手。
今回は、そんな亜美選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・祖父は元力士
近藤亜美選手の実家は、愛知県名古屋市。
亜美さんの祖父・次郎さん(享年79)は、相撲の力士だったそうで、近藤家は格闘家の家系なのですね。
◆父親も元・相撲力士
近藤亜美選手のお父さんの名前は、近藤敬造(けいぞう)さん。
1961年8月13日生まれなので、もうすぐ55歳になります。
父・敬造さんも愛知・名古屋の出身で、地元の中京高校から中京大学へ進学。
高校・大学と相撲部に所属し、学生選手権(大学対抗の全国大会)にも出場しました。
自身も学生相撲で鳴らした敬造さんでしたが、幼い亜美さんに「勝負の道」を強制することはありません。
嫌だということはやらせない。辞めたかったらいつでもやめていい
亜美さんが柔道を始めると、勝ったら一緒に喜び、負けても徹底的におだてました。
周囲には、期待のあまり厳しい言葉を投げつける保護者もいましたが、父・敬造さんは、
「好きなことは、辛さも我慢できる」
と、まずは柔道を好きになるように心を配ります。
亜美さんは、小学校2年生の冬に名門「大石道場」に移り、そこでメキメキと力を付け、各大会で優勝を重ねるようになります。
頭角を現した娘に対し、敬造さんはこう言い続けました。
自分のプライドのために頑張れ
娘の自尊心をくすぐり、さらにやる気を高めるように誘導していったのです。
一方で、父・敬造さんは練習の大切さも説いてみせました。
努力家はいるけど、天才は誰もいない。寝て起きて強くなった選手はひとりもいない。
こうして実力をつけた亜美さんは、小学校5年生の時に学年別の40キロ級で全国大会初優勝を飾ります。
頂点を極めたかに見えましたが、その後の県大会決勝で敗れ、2年ほど続いていた連勝もストップ。
亜美さんは大泣きして、柔道を辞めると言いだします。
プライドを傷つけられた娘に、敬造さんはこう語りました。
負けたまま辞めるのはダメ。勝ち逃げしろ
この言葉で、亜美さんは持ち前の闘争心に再び火が付きます。
稽古にも一層熱がこもるようになり、小学校卒業時には獲得した金メダルが100を超えていたということです。
煮て食うなり、焼いて食うなり好きにして下さい
父・敬造さんは、亜美さんが進学した大成中学の指導者に、こう話して預けたといいます。
その言葉どおり指導者を信頼し、一貫して口を出すことはしませんでした。
亜美さんは、中学3年の時、全国大会で優勝。
大成高でも「世界カデ柔道選手権大会」「高校総体」「グランドスラム東京」と次々にタイトルを奪っていきます。
いい方たちに育ててもらえたので、ここまで来れた。指導者に恵まれた
敬造さんは感謝を口にしますが、父親の後方支援も、亜美さんの成長に大きく寄与していることでしょう。
◆母親も格闘家?
近藤亜美選手のお母さんの名前は、近藤清美(きよみ)さん。
1965年8月16日生まれで、もうすぐ51歳なので、お父さんより4歳年下になります。
母・清美さんも名古屋の出身ですが、相撲や柔道をやっていたというわけではないようです。
女の子らしいことをしてほしかった。
お母さんは、亜美さんを0歳の時から体操教室へ通わせ、ゆくゆくは娘が新体操をする姿を思い描きます。
しかし、娘は柔道の世界へ(>_<)
それでも母・清美さんは、指導者の言葉をノートにメモして、亜美さんをサポートしてくれました。
ちゃんとしていれば神様が見てるよ。ご褒美をくれるよ
幼い亜美さんを、優しい言葉をかけて励ましてくれたそうです。
時は流れ、リオ五輪代表がかかった「全日本選抜体重別選手権」。
母・清美さんは、大会前夜に宿舎を訪ね、亜美さん大好物の天津飯を差し入れたそうです(*^_^*)
亜美さんは、母親の計らいに気力を充実させ、決戦の舞台に臨み優勝。
母の愛情で、リオ五輪代表の座をつかみ取ったのでした(^o^)丿
◆兄も柔道家
近藤亜美選手にはお兄さんがいて、名前は近藤孝哉さん。
亜美さんより2学年年上で、年齢は今年で22歳になります。
亜美さんが柔道を始めたのは、お兄さんがきっかけ。
お兄さんが地元の「六郷道場」で柔道をやっている姿を見て、亜美さんも興味を持ったのでした。
兄・孝哉さんは、大成高校から名城大学へ進み、副主将をつとめています。
体格は亜美さんとは異なり、身長175㎝、体重110㎏の重量級の選手です。
◆まとめ
8月は父・敬造さんと、母・清美さんの誕生月です。
子供の頃から、全国大会の金メダルを誕生日プレゼントに贈っていたという亜美さんは、
五輪でも金メダルを取ってプレゼントしたい!
と宣言。
素敵な誕生日プレゼントを、両親だけでなく日本中が期待しています!
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