自由民主党所属の衆議院議員である、高市早苗さん。
X JAPANと聖飢魔Ⅱのファンです!
今回は、そんな高市さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1961年〈昭和36年〉3月7日
血液型 :A型 [1]
出身地 :奈良県
出身大学:神戸大学経営学部
◆奈良の実家
高市早苗さんは、奈良県出身。
高校は地元の、奈良県立畝傍(うねび)高等学校に通っています。
高校時代は禁止されているバイクで通学し、授業をさぼって屋上で空を眺めていたそうです。
忌野清志郎さんの世界ですね♪
Woo 授業をさぼって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で たばこのけむり とても青くて
(トランジスタラジオ・忌野清志郎)
そんな高校生活を送った割には、大学は難関の神戸大学経営学部へ進学。
大学時代は軽音楽部に所属し、ヘヴィメタルバンドのドラムをやっていました。[2]
どこかアウトローな方ですね
◆父親からの手紙
高市早苗さんの父親の名前は、高市大休(たかいち・だいきゅう)さん。[3]
父・大休さんの職業は、メーカーに勤めるサラリーマンでした。[4]
高市さんが初当選した1993年の第40回衆議院議員総選挙。
奈良県選挙区の定数5名に対し、
- 現職議員
- 現職議員
- 現職議員
- 現職議員
- 現職議員
- 大ブームを起こしていた日本新党の新人1名
- 自民党の新人1名
がすでに名乗りを上げていました。
そんな中、無所属だった高市さんが当選できる可能性は皆無と言われ、
あと一期、我慢して待ちなさい
と、後援会長からも言われる始末。
そんなある日、高市さんが深夜に帰宅すると、キッチンのテーブルの上にお父さんからの手紙が置いてありました。
俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手とお辞儀を忘れるな。気楽にやれ。
その瞬間、父の手紙を抱き締めて泣きながら、高市さんは出馬する決心を固めます。
結果はまさかのトップ当選!
以降の政治家としての活躍は周知のとおりですが、お父さんの手紙が無ければ、違った人生になっていたかもしれません。
父・大休さんは2013年5月5日、79歳で亡くなっています。
◆母の病が政策のヒントに
高市早苗さんの母親の名前は、高市和子(たかいち・かずこ)さん。[5]
母・和子さんは奈良県警に勤めながら、共働きで家族を支えました。[4]
高市さんが総務大臣に在任中の2015年4月の夜、奈良に住むお母さんが、
心停止状態で病院に運ばれた
という連絡が入りました。
高市さんはすぐに飛行機でかけつけ、お母さんは何とか一命をとりとめます。
しかし、入院した先の病室はナースステーションから遠く、心拍数や呼吸数の情報を送る「医用テレメータ」の電波がナースステーションまで届かない状態でした。
この経験から、医療現場での通信インフラが未成熟な状態であることを知った高市さん。
全国各地の他の病院でも、同様の電波環境に直面している可能性が高いのではないか?
こう考え、総務省幹部に『電波の安全な利用のための手引き』の取りまとめを指示し、通信インフラの改善を実現しています。[6]
母・和子さんは、それから3年後の2018年4月17日、86歳で亡くなりました。
◆6歳年下の弟
高市早苗さんには弟がいて、名前は高市知嗣(たかいち・ともつぐ)さん。[5]
年齢は6歳年下で、両親が共働きであったため、高市さんは保護者のような立ち位置でもありました。[1]
弟さんは自民党本部職員として働いていましたが、その後、高市さんの秘書として高市さんを支えます。
しかし高市さんは、2003年の衆院選で落選。
弟さんも無職となってしまったため、再就職先を探す過程で、高市さんに春が訪れることとなります。
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