自由民主党に所属する政治家、石原伸晃さん。
少林寺拳法三段です!
今回は、そんな伸晃さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1957年〈昭和32年〉4月19日
血液型 :A型 [1]
最終学歴:慶應義塾大学文学部
出身地 :神奈川県逗子市
◆実家は逗子
石原伸晃さんは、神奈川県逗子市の生まれ。
小学校は隣町の、鎌倉市立御成(おなり)小学校を卒業しています。
小学校時代はサッカーをやっていましたが、中学受験のために5年生で引退しています。
中学校は横浜にある慶應義塾普通部へ入学。
中学校でもう一度サッカーをしたいと思いましたが、「腰痛の家系」という事であきらめました。
すでに腰痛があったのでしょうか?
中学校では父親に、
やれ!
と言われ、テニスや剣道を経験。
しかし、ブルース・リーの映画を観たのがきっかけで少林寺拳法を始め、高校、大学まで続けました。
役に立つものに適応し、
役に立たないものを拒否し、
自分を明確に表現しろブルース・リー pic.twitter.com/j2T9rZ3iHz
— 筋肉兄貴@中国語勉強応援bot (@fight_shuohanyu) November 16, 2022
高校は、慶應義塾高等学校、大学は、慶應義塾大学文学部社会学科を卒業しています。
◆父・石原慎太郎
石原伸晃さんの父親は、石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さん。
1932年〈昭和7年〉9月30日生まれになります。
父・晋太郎さんは、神戸(兵庫県)で生まれ、小樽(北海道)を経て、逗子(神奈川県)に落ち着きました。
高校は、神奈川県立湘南高等学校へ進学。
サッカー部でレギュラーとして活躍する一面もありましたが、立身出世主義的な校風に反発し、休学していまいます。
今でいう不登校ですね
休学中は、読書と映画、そして絵を描くことに明け暮れました。
1年間の休学中に慎太郎さんが描いた作品は、200近くにのぼるそうです。
ようやく高校に戻った慎太郎さんを、今度は突然の悲劇が襲いました。
父・石原潔さんが脳溢血のため、51歳の若さで突然他界したのです。
遺された母と弟を養うため、慎太郎さんは一橋大学へ進学し、公認会計士になることを決意しました。
しかし、会計士という地道な勉強はどうしても性に合わず、志半ばにして挫折。
目標を失いかけた慎太郎さんが出会ったのが「小説」でした。
大学の同人雑誌用に書いた作品が好評を得たことから、慎太郎さんは2作目にとりかかります。
自由気ままに生きる弟・石原裕次郎さんからヒントを得て、わずか2日で書かれた作品の名は『太陽の季節』。
いきなり芥川賞を受賞したこの作品により、「石原慎太郎」の名は全国に轟きました。
1968年、36歳の時に参議院議員となり、25年間の間、国会議員として活躍。
1999年4月には東京都知事に転身し、4期14年の長期政権の中で、様々な政策を推し進めています。
2022年2月1日、89歳で亡くなりました。
作家の石原慎太郎氏が死去 元東京都知事、元運輸相 https://t.co/ze17GRJMN1 @Sankei_newsより
巨星堕つ。
私が杉並区長の時の都知事で、新しい歴史教科書の採択など共に教育改革を進め、日本維新の会、そして次世代の党でもご一緒した。
謹んでお悔やみ申し上げます。— 山田宏 自民党参議院議員(全国比例) (@yamazogaikuzo) February 1, 2022
◆母・石原典子
石原伸晃さんの母親の名前は、石原典子(いしはら・のりこ)さん。
1938年〈昭和13年〉生まれなので、慎太郎さんより6歳年下になります。
広島県広島市で生まれ、神奈川県に転居し、鎌倉、金沢八景、逗子で育ちました。
慎太郎さんとは、小学生の時からの知り合いだったそうです。
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