日本を代表する漫画家、藤子不二雄Aさん。
実家は600年以上続く禅寺です!
今回は、そんな藤子Ⓐさんを取り巻く『家族』の物語です。
本 名:安孫子素雄(あびこ・もとお)
生年月日: 1934年〈昭和9年〉3月10日
血液型 :A型
出身地 :富山県氷見郡氷見町
◆実家・生い立ち
藤子不二雄Aさんは、富山県氷見郡氷見町の出身。
実家は、光禅寺という名前で、600年以上続く曹洞宗のお寺です。
10歳の時、富山県高岡市に転居。
転校先の高岡市立定塚国民学校(現・高岡市立定塚小学校)で、相方・藤本弘(ふじもと・ひろし)さんと運命の出会いを果たしました。
小学校時代から漫画家を志し、富山県立高岡高等学校在学中の1951年に、毎日小学生新聞の連載『天使の玉ちゃん』でデビュー。
しかし、高校卒業後は、伯父が専務を務める富山新聞社に入り、学芸部と社会部で似顔絵やインタビュー記事を担当します。
1954年、藤本さんに誘われる形で富山新聞社を退社し、漫画家になるために上京しました。
退社の件を、当時社長になっていた伯父に話すと激怒されたということです。
◆父親
藤子不二雄Aさんの父親は、実家のお寺の49代目住職に当たります。
しかし1944年、藤子さんが10歳の時に亡くなっています。
◆母親
藤子不二雄Aさんは、漫画家になる前に新聞社に勤めましたが、安定した新聞社に未練があったのだとか。
好きな女性社員もいました💛
そこで、東京行きを反対しそうな母親に相談し、
母に言われた通りにしよう
と、考えました。
しかし予想外に「好きにしなさい」と言われてしまいます。
藤子Ⓐさんは悩んだ末、漫画家の道に進むことを決心したのでした。
◆姉・松野喜多枝さん
藤子不二雄Aさんにはお姉さんがいて、名前は松野喜多枝さん。[1]
姉・喜多枝さんは、トキワ荘時代の1955年12月頃に上京して同居し、食事の世話やベタ塗りやホワイトといった簡単な手伝いをしてくれました。
有限会社藤子スタジオを設立後は正式にマネージャーとなり、コンビ解消前の藤子Fさんと藤子Ⓐさんをサポート。
コンビ解消後は、株式会社藤子スタジオの社長となり、藤子スタジオを切り盛りしています。
非常に貴重なのは、藤子不二雄Ⓐ先生のお姉さまで、ずっと藤子スタジオを切り盛りされてきた松野喜多枝さんのインタビューです。表に出なかった方なので、ほぼ初だと思います。トキワ荘から帰省する若きⒶ先生とF先生とのちょっとしたエピソードに心が温まりました。 pic.twitter.com/RKAB1i2Q3K
— KONFUNK (@KONFUNK) March 2, 2017
ちなみに、喜多枝さんの実の娘である松野泉さんも、藤子スタジオの専務取締役兼マネージャーとして勤務しています。
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