はすいけ・とおる【蓮池透】
1955年〈昭和30年〉4月3日生まれの社会活動家。
北朝鮮による拉致被害者の家族会元事務局長であり、弟・蓮池薫(はすいけ・かおる)さんの帰国を機に退会。
その後は拉致問題への政府の対応を批判的に論じ、著作や講演活動を通じて世論に訴えている。
◆実家・生い立ち
蓮池透さんは、新潟県柏崎市で生まれ育ちました。
日本海に面したこの町は、風雪の厳しい気候と地域の結びつきが強い土地柄で、透さんも誠実な家庭環境の中で成長しました。
新潟県立柏崎高等学校を卒業後、1977年〈昭和52年〉3月に東京理科大学工学部電気工学科を卒業。
同年4月に東京電力へ入社し、技術職としてのキャリアをスタートさせました。
その後、弟・薫さんの拉致事件が発覚すると、家族会の事務局長として全国的な活動に奔走しています。[1]
◆父親・蓮池秀量
蓮池透さんの父親の名前は、蓮池秀量(はすいけ・ひでかず)さん。
次男の蓮池薫さんが北朝鮮に拉致された後は、家族会の一員として活動に関わり、苦悩の中でも沈着冷静に世論へ訴える姿が印象的でした。[2]
◆母親・蓮池ハツイ
蓮池透さんの母親の名前は、蓮池ハツイ(はすいけ・はつい)さん。
母・ハツイさんもまた、家族会の活動を支えました。
息子の安否がわからない中、署名活動や集会に足を運び、息子の帰国を信じて努力を続けました。
その姿は、多くの拉致被害者家族の象徴のように語り継がれています。[2]
◆弟・蓮池薫
蓮池透さんには弟が一人います。
弟の名前は、蓮池薫(はすいけ・かおる)さん。
1957年〈昭和32年〉9月29日生まれなので、透さんより2歳年下になります。
薫さんは1978年〈昭和53年〉に新潟県柏崎市で北朝鮮に拉致され、2002年〈平成14年〉に帰国を果たしました。
薫さんは帰国後、翻訳家や大学講師として活動する傍ら、自らの拉致体験を記した著書を発表するなど、社会に静かな問いかけを続けています。
透さんは、弟の奪還と再出発を支える過程で、国やメディアの対応に疑問を抱き、独自の立場から問題提起を始めるようになりました。
◆妻
蓮池透さんの妻については、公的な情報がなく、存在の有無も含めて非公表です。
◆子供
子供についても、存在を裏付ける公的な情報は確認されていません。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、蓮池透さんの活躍の陰には、静かに支えてくれた『家族』の姿がありました。
特に弟・薫さんとの深い絆、そして両親が貫いた強い信念は、拉致問題に立ち向かう原動力となっていました。
家族の応援を胸に、蓮池透さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- Wikipedia「蓮池透」2025年6月閲覧
- 新潟日報 2018年8月2日 「断ち切られた夢と絆 『絶望』の中 生き続け 早期解決願い体験語る」
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