ジャイアンツの元オーナー「ナベツネ」こと渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さん。
今回は、長年にわたるナベツネさんの活躍を支えた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家の父親は?
渡辺恒雄さんの実家は、東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)にありました。
父親の名前は、渡辺平吉さん。
名字は「渡邉」が正しい表記ですが、ここでは「渡辺」と表記します。
父・平吉さんは、不動貯金銀行(現:りそな銀行)に勤めていましたが、ナベツネさんが8歳の時、自宅玄関で突然吐血。
胃がんと診断され、1週間後に47歳の若さで亡くなりました。
◆母親の名前は?
渡辺恒雄氏の母親の名前は、花さん。
早々に夫を亡くした花さんでしたが、平吉さんが遺した11軒の貸家からの家賃収入があり、当面の生活費には困りませんでした。
しかし、稼ぎ手をなくした一家には将来の生活の不安が重くのしかかり、花さんは、夫を失った打撃からなかなか立ち直れません。
母・花さんは、いつもこう言って、長男のナベツネさんを叱咤しました。
お前は総領だ。総領というのは跡継ぎだ。だからお前は勉強して偉くならないかん。成績も全甲でないと、援助してくれている目黒の伯父さんに報告できない
ナベツネさんは進学に際し、第一志望の府立高校、第二志望の武蔵高校、第三志望の府立一中と、続け様に受験に失敗します。
ようやく第四志望の開成中にビリに近い成績ですべり込みますが、花さんは「あんなボロ中学に入って情けない」と親類の前でオイオイ泣いたということです(^^;)
クリスチャンだった花さんは、101歳で天寿をまっとうされました。
◆兄弟はいる?
渡辺恒雄さんは、五人姉弟の三番目で長男に当たります。
◆お嫁さんは元女優?
渡辺恒雄さんのお嫁さんの名前は、篤子さん。
年齢は、ナベツネさんより4歳年下なので、現在85歳になります。
旧姓は「鍋島篤子」さんであり、佐賀の鍋島家の分家で、遠山の金さんと同時代に北町奉行を勤めた旗本、鍋島内匠頭直孝(たくみのかみなおたか)の末裔なのだそうです。
篤子さんは、元東宝の女優で、体をこわしたためモデルに転身し、昭和30年にナベツネさんと結婚しました。
長い夫婦生活で、妻・篤子さんは空気のような存在になっていましたが、十数年前、クモ膜下出血の発作を起こし、2カ月もの間、生死の境を彷徨います。
この時、深夜にリビングで倒れていた篤子さんを朝まで発見できなかったため、ナベツネさんは罪の意識に苛まれました。
これをきっかけに、篤子さんは認知症となってしまい、ナベツネさんが面倒を見なければならなくなりました。
しかし、皮肉にもこの事で篤子さんが愛おしくなり、出かけるときはキスを忘れないのだそうです(#^^#)
◆息子の職業は?
渡辺恒雄さんには息子がいて、名前は睦さん。
名前の由来は、ナベツネさんが番記者をしていた自民党の大物「大野伴睦」さんにあやかったものです。
ナベツネさんは、熱心な教育パパだったそうで、番町中学校に進んだ睦さんを、殴ったり、ご馳走して宥めたりしながら、勉強を教えていました。
学習参考書を買いあさって良いものを選び出し、家庭教師を大量に雇いながら、自分も教えたりしています。
雑誌のインタビューでは、当時高校生の睦さんとのエピソードを語りました。
ハダカで息子と付き合うために、息子と一緒でなければフロに入らない
熱心な指導の甲斐あって、睦さんは中央大学付属高校、青山学院大の経済学部を経て、中央三井信託銀行に入社しました。
睦さんは、中央三井の出世頭と呼ばれ、M&A、行政担当、丸の内支店などを渡り歩き、同期トップで部長に昇進しています。
もっとも、睦さんの成績を上げるため、読売の役員が熱心に三井信託にお金を預けて協力してくれたのだそうです(^^;)
◆まとめ
ナベツネさんは数年前、家族についてこう話しています。
私は今八十歳、認知症の老妻と共に、安心で楽しい家庭生活を続けていられるのは、隣に息子一家が住み、両親に何かと心遣いしてくれているからだ。この年になって、子供の有り難みを知るとは…
今後の事は次世代に任せ、最愛の奥さんとともに、穏やかな余生を過ごしてほしいと思います。
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