映画やドラマで、独特の存在感を放ってきた俳優、佐野史郎さん。
音楽、写真、文学などにも深い関心を持ち、ミュージシャンとしても活動してきました。
今回は、そんな佐野さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1955年〈昭和30年〉3月4日
血液型 :B型
身 長:175cm
◆家系図・家族構成

佐野史郎さんは、父親・母親・弟・妹のいる家庭で育った長男です。
実家は島根県松江市で江戸時代から続く医家。
佐野家の医院は、元治元年(1864年)から続いており、佐野さんは本来なら5代目として家業を継ぐ立場でした。
しかし、佐野さんが選んだのは医学ではなく、演劇の世界でした。
その後、弟が医師となり、現在も実家の医院を受け継いでいます。
佐野さん自身は1980年代に女優の石川真希(いしかわ・まき)さんと結婚。
夫婦には一人娘がおり、2026年には娘さんが結婚したことを佐野さんが明かしています。
◆実家は幕末から続く医家
佐野史郎さんの実家があるのは、島根県松江市。
しかし佐野さんは、山梨県で生まれました。
父親が勤務医として山梨県に赴任していたためです。
生後まもなく東京へ移り、6歳の頃に松江に戻りました。
佐野家の医院は、元治元年(1864年)から続いています。
つまり、明治維新より前から続いてきた医家です。
2025年にNHKで放送された『ファミリーヒストリー』では、佐野家のルーツが詳しく紹介されました。
佐野家はもともと「春日」という姓で、佐野さんの高祖父にあたる春日文修さんの代に「佐野」の姓を受け継いだとされています。
その後、文修さんが松江で診療所を開き、医家としての歴史が始まりました。
佐野さんの父親の代まで、その家業は受け継がれていました。
長男だった佐野さんにも、当然のように「家を継ぐ」ことが期待されていたのです。
◆父親・佐野義和さん
佐野史郎さんの父親は、佐野義和(さの・よしかず)さんです。
医師だった義和さんは東京医科大学で学んだ後、故郷の松江へ戻り、実家の医院を継ぎました。
専門は内科・循環器科。
佐野さんが育った松江の家には、医院が併設されていました。
幼い佐野さんにとって、医師は特別な職業ではありません。
朝から診療し、往診へ向かい、夜にも患者のもとへ出かける。
そんな父親の姿を日常の風景として見ながら育ちました。
父親は、佐野さんに医師になって家を継いでほしいと考えていました。
ところが、史郎さんの心を強く惹きつけたのは医学ではありませんでした。
中学3年生でギターを始め、高校ではロックバンドを結成。
さらに文学や映画、演劇にも興味を持つようになります。
やがて佐野さんは、父親が望んだ「医師」ではなく、「俳優」という道を選びました。
◆父から受け継いだ音楽と写真
医師として働いていた父親ですが、仕事一筋の人だったわけではありません。
写真、バイオリン、オーディオ、機械いじりなど、多くの趣味を持つ人物でした。
佐野さん自身も、父親からこうした感性を受け継いだと語っています。
音楽を愛し、写真を撮り、機械をいじる。
そんな父親の姿を間近で見て育ったからこそ、佐野さんも俳優だけにとどまらず、音楽や写真、文章など、さまざまな表現の世界へ進んでいったのかもしれません。
そして父親が亡くなった後、佐野さんのもとには、秋葉原から一台のアンプが届きました。
父親が自分で作ったアンプでした。
家業を継ぐことはできなかった息子に、父親が残したもの。
それは、医師という職業そのものではなく、「好きなものを追い求める姿勢」だったのかもしれません。
◆父親との最後の会話
2000年、父・義和さんが亡くなります。
その最期の頃、佐野さんは父親に、

家のことは大丈夫だから。俺に任せて
と声をかけたと振り返っています。
実際には、佐野さんが医師となって医院を継いだわけではありません。
しかし、長男として父親を安心させたい。
その思いは、言葉の中に込められていたのでしょう。
そして現在、医院を守っているのは弟です。
「家を継ぐ」という父親からの期待は、形を変えながら次の世代へ受け継がれていきました。
◆母親・佐野禮子さん
佐野史郎さんの母親は、佐野禮子(さの・れいこ)さんです。
禮子さんは看護師として働いていた時代に、後に夫となる義和さんと出会いました。
NHKの『ファミリーヒストリー』でも、看護師だった禮子さんと医師だった義和さんの出会いが紹介されています。
松江の医院を営む家では、家族だけでなく住み込みの看護師たちも暮らしていました。
禮子さんは大所帯の食事を作り、医院を支える生活を送ります。
佐野さんは2024年、自身の公式サイトで母親について綴り、

2月2日、母、禮子が永眠しました
と報告しました。
92歳でした。
母親が守ってきた松江の家。
そこには、佐野家が長い年月をかけて積み重ねてきた家族の記憶が詰まっていました。
◆弟が医師として家業を継ぐ
佐野史郎さんには、弟と妹がいます。
長男である佐野さんが俳優の道へ進んだ一方、弟は医師となりました。
そして現在、松江の医院は弟が継いでいます。
2026年8月26日放送の『徹子の部屋』で、佐野さんは、

弟が同じ敷地に分家して医院を継いでいる
と明かしました。
医家の長男として生まれた佐野さん。
父親から受けた「家を継いでほしい」という期待には、別の形で応えることになりました。
兄は俳優として表現の世界へ。
弟は医師として家を守る。
二人の人生は別々の道を歩みながらも、佐野家の歴史をそれぞれの場所でつないでいます。
◆妻は女優・石川真希さん
佐野史郎さんの妻は、女優の石川真希(いしかわ・まき)さんです。
1959年〈昭和34年〉12月25日生まれなので、佐野さんより4歳(5学年)年下になります。
石川さんも演劇の世界で活動してきた女優で、唐十郎さん率いる「状況劇場」に所属していた経歴があります。
佐野さんと石川さんは演劇を通じて出会い、結婚。
二人とも俳優として活動する一方、音楽の分野でも活動を共にしました。
佐野さんが参加していたバンド「タイムスリップ」では、石川さんもボーカルやキーボードを担当しています。
「演じること」と「音楽」が、夫婦の共通言語になっていたのでしょう。
◆娘は「八雲」さん
佐野史郎さんと石川真希さんの間には、一人娘がいます。
名前は八雲(やくも)さん。
名前の由来は、佐野さんが敬愛する作家・小泉八雲(こいずみ・やくも)です。
松江と小泉八雲には深い縁があります。
そんな土地で育った佐野さんが、娘に「八雲」と名付けたというのは、なんとも佐野家らしい名前です。
父親が愛した松江という土地。
そして、父親自身が愛した文学。
その二つが、一人の娘の名前に込められたのかもしれません。
◆2026年、娘が結婚
2026年8月、佐野史郎さんはテレビ番組にて

今年は娘が嫁いで行きましたので
と、娘さんが結婚したことを明かしました。

まあ近くにいますけどね
と続けているので、そんなに寂しくはなさそうです。
◆エピローグ
1864年——。
まだ明治維新さえ迎えていなかった時代に、佐野家の医家としての歴史が始まりました。
その家で、長男として生まれた佐野史郎さん。
父親からは医師になり、家を継ぐことを期待されました。
しかし、佐野さんが選んだのは演劇でした。
ギターを弾き、映画を観て、文学を読み、舞台に立つ。
そして俳優として数々の作品に出演し、自分だけの表現を築き上げていきました。
一方、弟は医師となり、松江の医院を受け継ぎました。
父親が守ってきた「医家」という歴史は、弟によって続いています。
では、佐野さんは何を受け継いだのでしょうか。
それは、父親が愛した音楽や写真への情熱。
母親が守った家族の記憶。
そして、松江という故郷への思い。
長い歴史を持つ医家から生まれた一人の俳優は、医師という形ではなく、表現する人生そのものを次の世代へ残そうとしているのかもしれません。
◇出典
- 日本コロムビア「佐野史郎 meets SKYE プロフィール」
- 鳥取大学医学部附属病院「俳優 佐野史郎」
- NHK『ファミリーヒストリー』「佐野史郎~150年続く医者の家 行き倒れた侍の謎~」
- 家族葬のファミーユ「『父の最後に捧げた“演技”』俳優 佐野史郎さん」
- 佐野史郎公式サイト「母、禮子が永眠しました」
- 毎日新聞/ORICON NEWS「佐野史郎、弟の職業をサラリと明かす 実家は江戸時代から続く医師の家系」2026年8月27日
- スポニチアネックス「佐野史郎 女優妻との間にもうけた愛娘は今年結婚」2026年8月26日
- Wikipedia「佐野史郎」(家族・出演歴等の補助資料)




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