【福澤克雄】の家族~母から受け継いだ「福澤」の家系図…父の姓「山越」でラグビー日本一も

『半沢直樹』『下町ロケット』『陸王』『ノーサイド・ゲーム』『VIVANT』など、数々の話題作を世に送り出してきた演出家・映画監督の福澤克雄さん。

その名前からも分かるように、福澤さんは、慶應義塾の創設者として知られる福澤諭吉の子孫です。

今回は、そんな福澤克雄さんを取り巻く「家族」の物語です。

名  前:福澤克雄(ふくざわ・かつお)
旧  姓:山越克雄(やまこし・かつお)
生年月日:1964年〈昭和39年〉1月17日
身  長:190cm
出身大学:慶應義塾大学法学部政治学科
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◆家系図・家族構成

福澤克雄さんは、福澤諭吉の玄孫(やしゃご)です。

母親は福澤和子さん。

和子さんは、福澤諭吉の次男・福澤捨次郎さんの孫にあたる福澤時太郎さんの娘です。

つまり、

福澤諭吉 → 福澤捨次郎 → 福澤時太郎 → 福澤和子 → 福澤克雄

という直系になります。

一方、福澤克雄さんの妻や子供については、信頼できる公表資料で確認できないため、本記事では記載していません。

◆「福澤」ではなく「山越」だった

現在は誰もが「福澤克雄」という名前で知る人物ですが、大学ラグビーの歴史を知る人にとっては、むしろ「山越克雄」という名前のほうが馴染み深いかもしれません。

福澤さんは旧姓を山越といい、慶應義塾大学ラグビー部では「山越克雄」としてプレーしていました。

日刊ゲンダイによれば、両親の離婚をきっかけに母・和子さんの姓を名乗るようになり、「福澤克雄」となっています。

つまり、福澤諭吉の子孫でありながら、人生の前半では「山越克雄」として歩んでいたのです。

そして、その「山越克雄」の名前は、慶應ラグビー史にも刻まれることになります。

◆父親は山越康雄さん

福澤克雄さんの父親は、山越康雄さんとされています。

ただし、父親については、名前以外の詳しいプロフィールは明らかにされていません。

福澤さんが現在の「福澤」という名前を名乗るようになった背景には、両親の離婚と、母・和子さんの存在がありました。

◆母親は福澤和子さん

福澤克雄さんの母親は、福澤和子さんです。

和子さんは、福澤諭吉の曾孫にあたります。

そのため、和子さんの息子である福澤克雄さんは、福澤諭吉から数えて玄孫となります。

和子さんの父・福澤時太郎さんは銀行家。

和子さんの弟・福澤武さんは財界人。

つまり福澤克雄さんの母方の家系には、慶應義塾を築いた教育者・福澤諭吉だけでなく、経済界で活躍した人物も多数いました。

とはいえ、克雄さんが選んだ道は、教育でも財界でもありません。

テレビと映画の世界でした。

◆叔父は三菱地所の福澤武さん

福澤克雄さんの叔父にあたるのが、福澤武さんです。

福澤武さんは三菱地所の社長、会長などを務めた人物。

母・和子さんの弟ですから、福澤克雄さんにとっては母方の叔父になります。

福澤家には、教育、出版、経済などの分野で活躍した人物がいます。

その一方で、福澤克雄さんは「人を動かす」という点では共通しながら、テレビドラマという別の世界へ進みました。

◆大学時代は「山越克雄」としてラグビー日本一

福澤克雄さんの青春時代を語るうえで、欠かせないのがラグビーです。

慶應義塾大学法学部政治学科へ進学すると、蹴球部に所属。

ポジションはロックでした。

当時の名前は、まだ「福澤克雄」ではありません。

山越克雄です。

1985年度の全国大学ラグビーフットボール選手権では、慶應は決勝で明治大学と12-12で引き分け、両校優勝となりました。

そして1986年1月15日。

慶應は日本選手権でトヨタ自動車と対戦します。

結果は、

慶應18-13トヨタ自動車。

慶應大学が初めて日本選手権を制した歴史的な試合でした。

そのメンバーの中に、「山越克雄」の名前があります。

テレビの世界で「ジャイさん」と呼ばれるようになるずっと前。

福澤克雄さんは、グラウンドの上で身体を張る一人のラガーマンだったのです。

◆福澤諭吉の玄孫として

福澤克雄さんは、慶應義塾の創設者・福澤諭吉の玄孫です。

福澤諭吉は1835年〈天保5年〉1月10日に生まれ、慶應義塾を創立した教育者・思想家として知られています。

その次男が福澤捨次郎さん。

そこから福澤時太郎さん、福澤和子さんへと家系が続き、その先に福澤克雄さんがいます。

しかし、福澤さん本人は、福澤諭吉について家庭内で特別に語り継がれてきたわけではないと、慶應義塾のインタビューで話しています。

むしろ、福澤諭吉がオランダ語から英語へ学び直したエピソードなどが家庭で語られていたそうです。

「福澤諭吉の子孫だから」というよりも、先人の姿勢を一つの生き方として受け継いでいる。

そんな印象を受けます。

◆TBSへ

大学卒業後、福澤さんはラグビーの道を離れ、1989年にTBSへ入社します。

その後、ドラマ演出家として頭角を現しました。

『3年B組金八先生』シリーズ、『砂の器』『華麗なる一族』などを手がけ、2008年には映画『私は貝になりたい』で監督を務めています。

2013年には『半沢直樹』を演出。

その後も『下町ロケット』『陸王』『ノーサイド・ゲーム』などを手がけ、2023年には『VIVANT』を世に送り出しました。

ラグビーのグラウンドから、テレビドラマの撮影現場へ。

舞台は大きく変わりましたが、チームを率いて一つのものを作り上げるという意味では、どこか通じるものがあるのかもしれません。

◆エピローグ

福澤克雄さんの人生には、2つの「名前」があります。

生まれたときは山越克雄

そして、両親の離婚を経て、母・福澤和子さんの姓を名乗り、福澤克雄となりました。

その「福澤」という名前をたどれば、福澤諭吉に行き着きます。

福澤諭吉の玄孫であることは、福澤克雄さんの出発点の一つです。

しかし、そこからどんな道を歩くのかを決めたのは、福澤克雄さん自身でした。

ラグビー場から撮影現場へ。

「山越克雄」から「福澤克雄」へ。

その歩みの先に、『半沢直樹』や『VIVANT』といった作品があります。

そして今日もまた、福澤克雄さんは新しい物語を作り続けています。

◇脚注

  1. 慶應義塾「新春対談:夢を育てる学塾」
  2. 慶應義塾「慶應ラグビーを語る」
  3. 日本ラグビー デジタルミュージアム「第22回大学選手権決勝」
  4. 日本ラグビー デジタルミュージアム「第23回日本選手権試合」
  5. 日刊ゲンダイDIGITAL「慶応・清原勝児と『VIVANT』福澤克雄監督をつなぐ“幼稚舎出身”以外の共通点」
  6. 慶應義塾「福澤諭吉と慶應義塾の歩み」

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