『あしたのジョー』や『おれは鉄兵』などの名作で知られる漫画家、ちばてつや(ちば・てつや)さん。
今回は、戦争を乗り越え、漫画を通じて結ばれた、ちばてつやさんと家族の物語です。

◆家族構成
ちばてつやさんは、父親、母親、本人、弟3人の6人家族で育ちました。
4人兄弟の長男で、弟たちも漫画家や漫画原作者として活躍しています。
自身は漫画家のチバユキコさんと結婚し、息子の千葉修平(ちば・しゅうへい)さんも漫画に関わる仕事に携わっています。
◆実家・生い立ち
ちばてつやさんは、1939年〈昭和14年〉1月11日、東京都中央区の築地で生まれました。
父親の仕事の関係で、幼い頃に家族とともに旧満州へ渡ります。
1941年〈昭和16年〉1月、一家は**奉天(現在の中国・遼寧省瀋陽市)**に移り住みました。
父親は印刷会社に勤めており、ちばさんは本や絵に親しみながら幼少期を過ごします。
しかし、1945年〈昭和20年〉8月に終戦を迎えると、一家の生活は一変しました。
戦後の混乱の中、家族は苦難を乗り越え、翌1946年〈昭和21年〉に日本へ引き揚げます。
幼いちばさんが目にした戦争や引き揚げの記憶は、後年の創作にもつながっていきました。
帰国後、一家は生活を立て直していきますが、両親が病気を患うなど、暮らしは決して楽ではありませんでした。
そんな中、ちばさんは絵を描く才能を伸ばし、1956年〈昭和31年〉、17歳で漫画家としてデビューします。
漫画は、やがて家族の暮らしを支える仕事となり、ちばさんの人生を切り開いていきました。
◆父親は印刷会社に勤務
ちばてつやさんの父親は、旧満州で印刷会社に勤めていました。
母親もかつて主婦の友社に勤めていたと伝えられています。
本や印刷物が身近にある環境は、ちばさんにとって漫画の世界につながるものでした。
しかし、終戦後に日本へ引き揚げた一家を待っていたのは、生活の再建という現実でした。
さらに両親が病気を患ったことで、長男のてつやさんは若くして家族を支える立場になります。
17歳で漫画家としてデビューしたちばさん。漫画を描くことは、自らの夢を追うと同時に、家族の暮らしを支える道でもあったのです。
父親の氏名や生年月日など、詳しいプロフィールは広く公表されていません。
◆母親は4人兄弟を守った人
ちばてつやさんの母親についても、氏名や生年月日などの詳しい情報は明らかになっていません。
ただ、戦争体験を振り返るちばさんの回想からは、幼い息子たちを守ろうとした母親の姿が伝わってきます。
一家が暮らしていた旧満州では、終戦後、社会が大きく混乱しました。
家族は身の危険にさらされながら、食料や住む場所を確保し、日本へ帰る道を探さなければなりませんでした。
4人の息子を抱えながら、厳しい状況を生き抜いた母親。
家族がそろって日本へ引き揚げることができた背景には、母親をはじめ、一家の懸命な努力がありました。
◆次男・千葉研作
ちばてつやさんの弟で、4人兄弟の次男にあたるのが、千葉研作(ちば・けんさく)さんです。
研作さんは漫画家として活動した後、兄の仕事を支える立場となり、ちばてつやプロダクションのマネージャーを務めました。
兄が作品を生み出す一方で、研作さんはその活動を支える仕事に携わったのです。
漫画家としての経験を持ちながら、兄の制作活動を支える側へ。
それぞれの立場で漫画の世界に関わってきたことが、千葉家の4兄弟の特徴です。
◆三男・ちばあきお
4人兄弟の三男は、漫画家のちばあきお(ちば・あきお)さんです。
本名は千葉亜喜生(ちば・あきお)さん。1943年〈昭和18年〉に旧満州の奉天で生まれました。
代表作は、野球漫画の『キャプテン』や『プレイボール』です。
あきおさんが漫画家になるきっかけには、兄のてつやさんが関係しています。
高校時代に病気療養をしていたあきおさんは、兄の仕事を手伝うようになりました。その経験が、漫画の世界へ進む転機となったのです。
兄の仕事を手伝う立場から、自分自身の作品を生み出す漫画家へ。あきおさんは、独自の作風で多くの読者を魅了しました。
しかし、1984年〈昭和59年〉9月13日、41歳の若さで亡くなります。
兄のてつやさんにとって、幼い頃から苦楽をともにしてきた弟との別れは、大きな悲しみでした。
◆四男・七三太朗
末弟は、漫画原作者の七三太朗(なみ・たろう)さんです。
本名は千葉樹之(ちば・しげゆき)さん。1944年〈昭和19年〉10月23日、旧満州で生まれました。
代表作には『4P田中くん』『風光る』『Dreams』『天のプラタナス』などがあります。
七三太朗さんは、漫画原作者として数々の作品を手がけただけでなく、兄のてつやさんや、三男のあきおさんのストーリーアドバイザーとしても活躍しました。
作品を生み出す兄たちに、物語の面から力を貸していたのです。
2023年〈令和5年〉12月30日、79歳で亡くなりました。
訃報を伝えた兄のてつやさんは、弟が家族や多くの孫たちに見守られて旅立ったことを報告しています。
4人兄弟のうち3人が先に漫画家や漫画原作者として歩み、互いの作品を支え合ってきた千葉家。七三太朗さんも、その歴史を担った一人でした。
◆妻は漫画家のチバユキコ
ちばてつやさんの妻は、漫画家のチバユキコさんです。
ユキコさんは、ちばさんの自伝的な漫画『ひねもすのたり日記』にも登場し、「奥ちゃん」と呼ばれています。
ユキコさん自身も漫画に関わってきた人物で、夫の仕事や日常を知る存在です。
長年にわたって漫画を描き続けてきたちばさん。その歩みのそばには、家庭をともにするユキコさんの存在がありました。
◆子供
ちばてつやさんには、息子の千葉修平(ちば・しゅうへい)さんがいます。
修平さんは漫画制作に携わり、父親の助手を務めたほか、文星芸術大学で漫画を学ぶ学生の指導にも関わってきました。
父親が長年にわたって培ってきた漫画の技術や経験を、次の世代へ伝える立場でもあります。
ちばさんの漫画は、読者に愛され続けるだけでなく、家族の中でも仕事や表現への思いをつなぐものとなっています。
◆エピローグ
ちばてつやさんの家族の物語には、忘れられない弟との日常があります。
三男のちばあきおさんは、結婚して独立した後も、兄の仕事場を訪れていました。
朝9時か10時頃にやって来て、自分の部屋にこもって漫画の構想を練る。
そして夕方になると、帰り際に兄の仕事場をのぞき込み、
「じゃあな」
と声をかけて帰っていったそうです。
兄弟であり、同じ漫画の世界を生きる仲間でもあった2人。
1984年〈昭和59年〉、あきおさんは41歳で旅立ちました。
いつものように仕事場に顔を出し、ひと言声をかけて帰っていく。そんな何げない日常は、もう二度と戻りません。
ちばさんは後年、弟との思い出を振り返っています。
兄の仕事場を訪れた弟の姿。帰り際に交わした、短い言葉。
大げさな約束も、特別な別れの言葉もありません。ただ、そこには兄弟がともに過ごした日々がありました。
戦争を乗り越え、漫画家として歩み始め、互いの仕事を支え合った千葉家の4兄弟。
弟たちが残した作品は、今も読者の心を動かし続けています。
そして兄のてつやさんの心の中には、仕事場にひょっこり現れて「じゃあな」と帰っていった弟の姿が、今も生き続けているのでしょう。
◇脚注・出典
- ちばてつや公式サイト「ちばてつやプロフィール」
- 集英社『ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語』書籍紹介
- スポニチアネックス 2024年1月9日「ちばてつや氏、弟で漫画原作者の七三太朗さん死去を報告」
- 日刊スポーツ 2024年1月9日「七三太朗さん、79歳で死去 長兄はちばてつや、三兄は故ちばあきおさん」
- 文藝春秋 2009年8月号「ちばあきお いまも童顔のままで」
- TBS NEWS DIG 2023年4月8日「『あしたのジョー』ちばてつや氏も…“命からがら引き揚げてきた”満洲引揚者」
- アスネタ 2024年1月10日「ちばてつやの娘&息子について。弟たちも漫画業界で活躍。嫁と家族は漫画家」



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