男子プロゴルファーとして活躍した、上田諭尉(うえだ・ゆい)さん。
今回は、そんな上田さんを取り巻く『家族』の物語です。

◆家族構成
上田諭尉さんの実家の家族構成は、父親、母親、姉、本人、弟の5人家族です。
父親の名前は英郎さん、母親は悦代さん。
姉の香織さんと、弟の崇宏さんがいます。
2006年〈平成18年〉5月には結婚し、妻の愛さんとの間に、長男の廉くん(れん)が誕生しています。
◆実家・生い立ち
上田諭尉さんは、岐阜県大垣市で生まれました。
中学時代は野球部に所属し、ゴルフを始めたのは中学3年生の頃です。
きっかけは、母親と一緒に練習場へ出かけたことでした。
その練習場にはショートコースも併設されており、上田さんは毎日のように通って腕を磨きました。
高校は大垣日大附属高校へ進学。
大学は専修大学に進み、ゴルフ部では副キャプテンを務めています。
1994年〈平成6年〉には中部オープンでベストアマを獲得。
大学卒業後、プロテストに挑戦しましたが、最初は不合格でした。
そこで1年間の期限を決めてアメリカへ渡り、再挑戦。
2度目のプロテストでは、初日の142人中138位タイという厳しい状況から、最終的に合格を勝ち取りました。
1997年〈平成9年〉10月にプロ転向。
2002年〈平成14年〉には初シードを獲得しますが、翌年にはシード落ちを経験します。
苦しい時期を乗り越え、2006年〈平成18年〉にシードへ復帰。
そして翌2007年〈平成19年〉、東建ホームメイトカップで悲願のツアー初優勝を飾りました。
◆父親・英郎さん
上田諭尉さんの父親の名前は、英郎さん(ひでお)です。
英郎さんは家業を営んでおり、弟の崇宏さんがその仕事を継いでいます。
また、父親と母親は、東建多度カントリークラブ・名古屋のメンバーでした。
このゴルフ場は、上田さんにとって幼い頃から慣れ親しんだ場所です。
2007年の東建ホームメイトカップで優勝した際も、両親がメンバーだったコースでの勝利となりました。
家族にとっても、思い出深い場所での記念すべき初優勝だったのですね。
◆母親・悦代さん
上田諭尉さんの母親の名前は、悦代さんです。
悦代さんは、息子の「諭尉(ゆい)」という名前を付けた人物です。
長女の香織さんに続く2人目の子供について、悦代さんは「きっと女の子」と思っていました。
そのため、名前も早くから「唯(ゆい)」と決めていたそうです。
ところが、生まれてきたのは男の子。
それでも悦代さんは「ゆい」という響きを残したいと考え、知り合いに字画などを鑑定してもらいました。
そうして、現在の「諭尉」という漢字に決まったのです。
一度聞いたら忘れられない、珍しい名前。
上田さんは2013年〈平成25年〉、JGTOの取材で、子供たちから名前の由来を尋ねられた際、こう語っています。

変わっているけどみんなももう、僕の名前は覚えてくれたでしょう? 一度聞いたら忘れない。この名前に感謝しています
母親が考えてくれた名前を、本人も大切にしていたことが伝わってきます。
◆姉・香織さん
上田諭尉さんには、姉が1人います。
名前は香織さんです。
香織さんの生年月日や職業など、詳しい情報は公表されていません。
◆弟・崇宏さん
上田諭尉さんの弟の名前は、崇宏さんです。
崇宏さんは諭尉さんの2歳年下で、兄と同じ専修大学を卒業しています。
父親の家業を手伝う一方、学生時代からプロゴルファーのキャディーを務めるなど、ゴルフにも深く関わっていました。
一時は自身もプロを目指しており、ハンディキャップはプラス2。
2001年〈平成13年〉のJGTOの記事には、弟の崇宏さんが兄のキャディーを務めた際のエピソードが紹介されています。
当時の上田さんは、ミスショットをすると感情的になり、さらにスコアを崩してしまうことがありました。
そんな兄に対し、弟は厳しい言葉を投げかけます。
ばかやろう!! キレてるヒマがあったら、次のショットのことを考えろ!!
この言葉をきっかけに、上田さんは怒りを引きずらず、気持ちを切り替えることを覚えたそうです。
そして2007年の東建ホームメイトカップ。
この大会でも、崇宏さんは兄のキャディーを務めました。
会心のショットを打てば、
そんな球は、アニキにしか打てないよ
と褒め、ミスが続けば、
これまで、ひとつもボギーを打たずに勝ったチャンピオンなんてきっといない
と励まします。
兄の性格を知り尽くした弟だからこそできるサポートでした。
上田さんは優勝後、

弟がいなかったら勝てなかった
と感謝しています。
そして18番グリーンでは、兄弟が固く抱き合いました。
まさに、兄弟でつかんだツアー初優勝だったのです。
◆妻・愛さん
上田諭尉さんは、2006年〈平成18年〉5月に結婚しています。
妻の名前は、愛さんです。
結婚した翌年の2007年、上田さんはツアー開幕戦の東建ホームメイトカップに臨みました。
前年にシード権を取り戻し、迎えた新シーズン。
上田さんは妻の愛さんと、長男の廉くんに、

今年は、絶対に勝つよ
と誓っていました。
そして、その約束を開幕戦で果たします。
最終日は3打差の首位でスタートしましたが、初優勝を目前にして極度の緊張に襲われました。
17番ではティーショットを左に曲げ、最終18番でもバンカーにつかまります。
それでも最後まで粘り強くプレーし、見事に優勝を決めました。
2007年のゴルフダイジェストの記事には、優勝後の上田さんと、妻の愛さん、息子の廉くんの姿が掲載されています。
家族に誓った言葉を、わずか1年後に現実のものとしたのでした。
◆長男・廉くん
上田諭尉さんには、長男が1人います。
名前は廉(れん)くんです。
2007年の東建ホームメイトカップで優勝した当時、妻の愛さんとともに、上田さんのそばにいたのが廉くんでした。
父親がプロゴルファーとして初めてのツアー優勝を飾った年、廉くんはまだ幼い子供でした。
生年月日や現在の職業など、詳しい情報は公表されていません。
◆エピローグ
2007年の東建ホームメイトカップ最終日。
上田諭尉さんは、プロゴルファーとして初めてのツアー優勝を目前にしながら、強烈なプレッシャーと戦っていました。
その姿をロープの外から見守っていたのが、母・悦代さんです。
普段は明るく、いたずら好きな息子の表情から笑顔が消え、手足が震えるほど緊張している。
ミスショットが出るたびに、母親の表情もこわばっていたといいます。
一方、バッグを担ぐ弟の崇宏さんは、兄を励まし続けました。
そして、もう一つ、上田さんの胸にあったのが、妻・愛さんと長男・廉くんとの約束です。

今年は、絶対に勝つよ
その言葉を胸に、最後まで戦い抜きました。
最終18番で見事にパーをセーブし、ツアー初優勝が決まります。
母親が見守り、弟が支え、妻と子供に誓った約束を果たした瞬間でした。
2026年〈令和8年〉11月7日、上田さんは52歳でこの世を去りました。
しかし、母親が思いを込めて付けた名前と、家族に支えられてつかんだ初優勝の記憶は、これからも多くの人の心に残り続けることでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
◇出典
- 日本ゴルフツアー機構 2007年4月16日 上田諭尉「弟がいなかったら勝てなかった」
- 日本ゴルフツアー機構 2007年4月16日 上田諭尉が、ツアー初優勝で2007年のチャンピオン第1号に!!
- 日本ゴルフツアー機構 2001年7月27日 「このままガンガン攻めていく」と3位タイの上田諭尉
- プロゴルファー上田諭尉オフィシャルサイト PROFILE
- 日本ゴルフ協会 上田諭尉選手プロフィール
- ゴルフダイジェスト 2007年4月26日 東建初優勝の上田諭尉、野球の工藤、福留に学んでV、苦節11年のゴルフ人生
- 日刊スポーツ 2026年11月8日 男子プロゴルフの上田諭尉さんが死去、52歳 07年東建ホームメイト杯でツアー初優勝



コメント